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2015年03月12日21:46

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日本の歌曲のコンサートに行った



2015年 3月 6日 (金)

Japanse Traditionele en Nieuwe Melodieen (日本の伝統と新しいメロディー)

Seika Kawaguchi  ソプラノ
Masakazu Yamamoto ピアノ

於; ハーグ芸術協会(Haagse KunstKring)

プログラム;

1 桜          (作詞、作曲、 不詳 やまもと まさかず編曲)
2 ずいずいずっころばし  (伝統童謡、 やまもと まさかず編曲)
3 小さな秋見つけた    (佐藤ハチロー、中田喜直)
4 くちなし         (たかのきくお、 たかださぶろう)
5 この道         (北原白秋、 山田耕作、やまもと まさかず編曲)
6 星が降る        (やまもと まさかず ピアノソロ)
7 見る          (谷川俊太郎、 やまもと まさかず)
8 Piano from 2 song with text of Tanikawa Shuntaro(谷川俊太郎、やまもと まさかず)
9 Ave Maria 5min    (やまもと まさかず)
10 Rain Tree Sketch II, In memory of  Olivier Messiaen Piano Solo  (武満徹)
11 さよなら        (あきやま くにはる、武満徹、やまもと まさかず 編曲)
12 丸と三角のうた     (武満徹)
13 雪           (せき しんいち、 武満徹、やまもとまさかず編曲)
14 Apparition (幻影)  (中原中也、 やまもと まさかず)



50人ほどのこじんまりした集まりで休憩なしの1時間ほどのコンサートだった。 会場はハーグの芸術協会(HKK)の二階ホールで普段は展示会のスペースになったりこのような小さなコンサートの会場になったりするところだ。 この25年以上ここには折に触れ来ることがありこの通りにはギャラリーやレストランがならんでいるのでただ眺めるだけでも時間の過ごせる場所でもある。 家人がこの協会のメンバーであり芸術家たちのボランティア活動で運営されている組織で人手が足りない時に手伝いで事務をすることがあり自然と自分もそれに付き添いをするようなことがあったからメンバーの何人かとは顔見知りでもある。 この日もコンサートの後久しぶりに会った人々とも歓談の機会を得た。 特にこの10年ほどはこの組織も老齢化が進み経済の停滞による政府の財政補助削減の影響が催し物や活動にも影に日向に現れていると聞く。 階下のスペースは会員のインスタレーション展示会場となっておりコンサートのあと歓談の場となった。

メールで今回の催しの案内が来て山田耕作、中田喜直などを中心にした日本の歌曲がプログラムに企画されているというので家人と食事の後電車に乗ってハーグの会場に出かけた。 渡されたプログラムには歌詞が英訳とともに書かれた紙片が挿入されており英語で簡単な説明が添えられていた。 当然のことながら英訳は単に訳であってそのままメロディーに乗せて歌うわけにはいかない。 ずいずいずっころばしが将軍献上の茶壺が街道を通過するときに参勤交代と同じように沿道の民は平伏しなければ罰をうけることから皆がそれをおそれて姿を消すさまだと説明されていたのが面白く初めてその歌詞を理解したのだった。 英訳の意味がわからない、と何人かから問われて歌詞の意味を改めて説明することもあり英訳は専門の翻訳家の手になるものかどうか訝った部分もいくつかあった。 13のフランス語原文は作詞家の手になることは明らかでそこには英訳が添えられていた。 日本語の歌詞は書かれているけれど読むことのできない聴衆には日本語の響きと歌詞の訳が頼りになるわけではあるけれど日本語の響きに親和力を感じると印象を語った人も一人だけではなかった。 それは日本語が子音と母音が合わさった、一種、スペイン語やイタリア語のラテン系言語の発音に近く響くようでけれどそれらよりトーンに柔らかさを感じるようだ。 当然この日のソプラノの瀟洒な着物を纏った小柄な体から発せられるヴォリュームを伴った声にも力を感じるようだった。 

武満徹や谷川俊太郎という名前が出てくれば60年代から見知った新しい日本の歌曲のレパートリーになるのだろうが、山田耕作、中田喜直のラインからすると急に70年代のいわゆるインテリ・知識層の音楽になったような気がして、その選曲にこの二人の意図がうかがえるようだ。 だから50年代生まれの自分が想像していた、今の日本の音楽家が海外で日本の歌曲として紹介するレパートリーで山田、中田を中心として日本紹介プログラムを組むとまるで60年代のようだと思っていたものがコンサートの中心を谷川、武満に置いているのに接して70年、80年代の日本紹介プログラムのような印象を持った。 海外に長く住み日本の現代音楽にはほとんど接する機会がないものには80年代以降の名前がなかったことに少々残念な思いがしたのだがそれはこの日のピアニスト・作曲家のやまもとの作、編曲の技法がそれなのだとのメッセージと受け取ればいいのかもしれない。 

この20年ほど折に触れクラシック、現代音楽を齧ることがあり、けれどそれもジャズピアノがらみであるから自然とモーリス・ラベル、ドビュッシー、サティー、プーランク、フェルディナンド・モンポーのようなものになり、日本の現代音楽としては武満徹、林光、一柳慧、高橋悠治などのピアノを聴いたことがあるけれどこれらは80年代ごろまでに聴かれた新しい音楽であり、2015年の現在、それから約30年経っているのだから今の新しいものを聴きたいと思ったものの二人の紹介する日本の歌曲はメシアン風味のものを含めた武満中心のように聴こえたし、実際ピアノの編曲にしてもプログラム7番以降に見られるように「現代音楽」風アクセントが見られるものの19世紀から20世紀前半のフランス・スタイルが中心のように受け取られる。

以上のようにみてくると12、13,14に力点が置かれているのがよくわかり、山田耕作、中田喜直が自分のような年寄りを呼ぶ釣りの餌であったことがはっきりする。 いわゆるアート・プロパーと思われる50人余りの聴衆にも日本の音楽として紹介するのに無難なプログラムであるのだろうけれど日本の音楽には親しみのない何人かのオランダ人たち、というよりも日本の音楽にはほとんどなじみがないのが明白で、ティーンエイジャーのアニメオタクやJ-Popオタクは別にして日本には親しみのない聴衆には1,2,3までは日本的と見做していた風はあるけれどそれ以降は19世紀、20世紀初頭のドイツ・フランス影響下のものと聴こえたようで13のフランス語がドイツ訛りが強いものとして聴こえたとの声もあった。 日本の映画に興味を持つ人たちからは黒沢映画の中で聴かれた武満を覚えている人が何人かいた。

先日ハーグ中央駅そばのオランダ国立公文書館での写真展にでかけたときのことを記した。 そのときの展示責任者のパートナーで家人と芸術家仲間である造形作家とこのコンサートで隣合わせになり同じ町に住むことからコンサートのあと一緒に何やかや話しながら帰った。 彼女の知り合いで同じ町に住むヨーロッパの比較文学を教える女教授とも共にこの間の写真展のこと、四方山の噂、今の学生気質などを楽しく語りながら電車を降り、まだ12時にもならない駅でそれぞれと別れ我々は自転車置き場に向かった。 
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