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2015年03月04日10:24

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日本帰省旅(12);阿倍野ハルカス



帰省からオランダに戻りそろそろ2か月になろうかという今日この頃、そろそろ今回の帰省メモも終わりにしようと思う。 1月の中ごろに書き始めたのが帰路ロシア上空で撮った景色で今ようやくそこに行きついたように思う。 けれど今回の旅で一つだけし残したことがあるのでそれを書いて終わる。 

何年か前、夏に天王寺を歩いていたら工事現場を指して誰かがあそこに日本一のビルができる、と言った。 近鉄百貨店のビルが300mほどになってそこが日本一になるのだとのこと、それを聞いても別段何の感興も起こらず、日本は地震が多く今までは高層建築もなく都会の景色も比較的平らだったものが70年代になって新宿に高層ビルが建ちはじめ、就職活動のため会社訪問のため中学の修学旅行以来初めて行った東京で一度だけそこに上った経験があるけれどそのときも特別な感慨もなかった。 その時耐震技術に支えられた高層化だと聞き、それから40年たっての今の高層化は今更驚きはしない。 ところがそれが街の景観を変えることを思い知らされたのが何年も前に梅田近辺の景観が立ち並んだ高層ビルで変わったことだった。 それまでは街頭から上を見ても空が広く仰げたものがそこに高層ビルが立ち並び囲まれるとこちらが水槽の底にうごめいているかのような錯覚を覚えるようになったことだった。  

天王寺、阿倍野のあたりに日本一高いビルというのが分からなかった。 梅田あたりなら分からなくもない。 天王寺界隈は特に大阪のビジネスの中心ということではないからだ。 母が阪和線沿線の田舎で介護付き住宅に越してから阪和線を使い天王寺に来ることが多くなったけれど今までは南海本線難波、地下鉄御堂筋線、梅田、というのが大半で天王寺に来ることはなかった。 だからこのあたりに来るのはほぼ浪人生のころ以来だから40年ぶりだ。

去年の正月に家人と二人琵琶湖のほとりにある坂本から比叡山に登りそこで一泊し翌日徒歩で大原に抜けた。 朝宿坊を出て夕方大原に着くまでの間に誰にも会わなかった。 ただ一か所、千日回峰の修行僧が一晩で歩く30kmほどの工程で一か所だけ腰を下ろしていい場所があり、そこはそこから京都御所を遥拝し加持祈祷をするところであり杉の下に大きな腰かけるための石がある。 そこの杉を玉体杉、といっただろうか。 我々がそこに来ると初老の男が一人いて緑に囲まれた御所を下に見てその左のはるか地平線の当たりを指さしてあそこに見える鉛筆のようなものが阿倍野ハルカスだと言った。 比叡山から阿倍野が見えるというのが驚きだった。 実際阿倍野ではなくそこに建っているハルカスが見えただけの話だ。

建ってから日が浅いから訪れる人でハルカスは混雑するらしい。 12月の中ごろに正月にいけたら上のレストランで食事でも、と思ってホームページを見たらこちらが行ける日は皆予約で一杯だった。 今度何回か天王寺駅までくることがあり、夜田舎のホテルに戻る前に屋上にでも、と思ってその下に行くと夜の8時半であるのに展望台にはまだ45分待ちだと言われて呆れた。 これでは半年や一年ぐらいではゆったり上に上がることはできないのではないか。 そういえば新世界の通天閣に昼いけばいつも行列ができており1時間ぐらいの待ち時間は普通だ。 それと同じものか。 通天閣もいつ行っても半時間や1時間は待たねばならぬ。 通天閣は100mほどらしく、だからハルカスの3分の1だ。 ハルカスに上がってみれば通天閣ははるか下なのだろう。  通天閣に上がったのはもう半世紀以上前だ。  今回どちらも足元まで行ったのに高いところには上がれなかった。 それが少々の心残りだった。

ハルカスの展望台に上がって見たいと思う理由はただ一つ。 上から比叡山を確かめたいと思ったからだ。  

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