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2015年03月04日08:34

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【バレエ】スターダンサーズ・バレエ「ジゼル」(28日)

昨年秋から続いていたバレエ祭りも、
とりあえずこの日で一段落。
チケット入れがすっかり痩せ細ってしまった。
(我が師は引き続き観覧行脚の日々のようです。(笑))

今年はほかにもやりたいことがあるので、
バレエ観覧は減らそうと思っているのだが、
すでに発表されている分だけでも、
気になる公演がいろいろある...。


スタダンは新百合のホール、
テアトロ・ジーリオ・ショウワでの
上演がすっかり定着してしまい、
都内から足を運びにくくなってしまったが、
この日は独特の座面形状と、
ロボットに変形するんじゃなかろうか、
という外観で知られる文京シビック・ホール。
(展望台からの眺めもいい)

そういえば、
地下鉄4本が利用できるこのホール、
牧バレエ団が本拠地契約を結んだとかで、
少し前に話題になっていたっけ。
振付の才はないけれど、
ダンサーの先物買いといい、
牧さんの先を見る目はさすがだ。(笑)

スタダンの「ジゼル」はピーター・ライト版で、
特徴がふたつある。

ひとつは英国の作曲家、
ジョセフ・ホロヴィッツさんによる編曲。

コジョカルさんが主演する、
ロイヤルの映像(2006年収録)を
観て(聴いて)もらえば、
一目ならぬ一聴瞭然なのだが、とにかく「軽い」。

編成が小さい? と、
冒頭のオケピ映像を見直してしまうほど軽々しく、
(オケピはしっかり詰まっている。(笑))
在版の演奏に馴染んでしまっている耳には、
軽快というよりも、軽薄で貧相に感じてしまう。

なぜかと言うと、木管、金管、弦と、多数の楽器を、
重層的に奏でるのが一般的な演奏だが、
ホロヴィッツ編曲は使用楽器を間引くというか、
たとえば木管に弦を重ねる時も弦の数を減らし、
場合によっては木管のみとする。
また複数の木管が奏でるパートでは、首席1人に任せる。
つまり、「音の総量」が少ないため、軽く感じてしまうのだ。

これがどういう効果をもたらすかと言うと、
繊細で上品に聴こえるシーンもある反面、
迫力が不足してしまう場面が多く、
さらに奏者個々の力量が
明確にわかってしまうにもかかわらず、
技量が不足しても数で誤魔化せない。

ディスクの演奏は王立歌劇場管弦楽団だから、
ソロパートは楽しめるが、
昭和音大の学生やOB/OGが主体の
テアトロ・オケ程度の力量では、
残念ながら悪い部分ばかり目立ってしまう。

在版の演奏とホロヴィッツ編曲を聴き比べてみると、
耳に馴染んでいるということもあって、
やはり在版演奏の方が好みだが、
ホロヴィッツ編曲を聴いたあとでは、
音が重なり過ぎて暑苦しく思うところもある。
在版のスコアをベースに、一部ホロヴィッツのフレーズを挿入、
がベストのように思える。

ライト版のもうひとつの特徴は、ジゼルの死因の解釈。
ジゼルは気がふれたあげく心臓発作で死亡、
というのが相場だが、ライト卿はこれに異を唱える。

バレエ団ごとに違う版が演じられる現在、
どこのお金持ちの墓? と問いたくなるほど立派なものや、
背景画に十字架をたくさん描いているところもあるが、
薄暗い森の中に質素な十字架が1基だけたたずむ、
というのがジゼルのお墓の本来の姿。

これはジゼルが自殺したからで、
キリスト教は自殺を肯定していないから、
墓地に埋葬してもらえなかった、と解く。

そうだったかな? と初演台本を読み返してみると、
ジゼルは自分を刺そうとするものの、
寸前に止められている。

しかしライトさんが根拠もなく
そのような事を言うとは思えないから、
もう少し調べてみたところ、
詳細な出自は不明ながら「振付台本」というのもあって、
そこにはアルブレヒトの剣で胸を刺す、とある。

そもそも初演時の「ジゼル」では、
登場人物のキャラクターからして、
我々の知る姿とかなり違う者もいるから、
どの解釈が正しいということではなく、
さまざまな演出を楽しめば良いということだろう。

ちなみにスタダンのライト版では、
冒頭の村人の登場シーンや、
ベルタのマイムなどが一部が省かれていて、
フィギュラシオンも若い村人ばかりで年寄りがいないから、
ロイヤルの映像と比べると、物語性の厚みにやや欠ける。

どれも積極的に省く理由はなく、
初演年は不明だが、
スタダンは少なくとも2006年以前から、
ライト版を丁寧に上演し続けているから、
元からあるものを省いたのではなく、
上記演出は、後年ライトさんが付け足したのかもしれない。

この日の主役、ジゼルは林ゆりえさん。
スタダンのスクール出身で、
今風のスレンダーな踊り手ではないが、
体形のバランスはとれており、
なによりきっちり制御された動きと、
のびのびとした踊りは、観ていて気持ちがいい。

ただ、彼女はキトリやスワニルダが似合いそうなタイプで、
演技ではかなげな村娘の雰囲気を出すには、
まだ経験が足りないようだ。

狂乱の場も、在版のように元気よく踊っていたが、
上述のようにライト版は、
ティボルトの不意打ちをくらったマキューシオのごとく、
徐々に弱っていくのが正しい踊り方で、
コジョカルさんはそのように演じていた。

同じく狂乱の場で、ジゼルは村人を押しのけながら、
ぐるぐる舞台を回るが、
「あれは(村人には見えない)ウィリから逃げているのよ」
と語るコジョカルさんらしい、奥の深い演技だ。

アルブレヒトは吉瀬智弘さん。
同じくスタダン・スクール出身のイケメンで、
身長や筋肉の付き方も日本人としては均整が取れており、
力量もKバレエで中堅を張れるレベル。

一ダンサーとしては、牛後となるよりも、
鶏口の方が良いのだろうが、
公演数の少ないバレエ団に置いておくには、
もったいない気もする。

彼の描いたアルブレヒトは、
ジゼルはあくまでも愛人だが、
2号さんとしてそれなりに好意を抱いており、
彼女の死を心から悲しんでいた。(ように見えた)

冒頭のウィルフリードも、
他の版のように心配顔で何度も引き止めるのではなく、
立場上、とりあえずご注進いたしますけどね、
ほどほどになさいませ、とばかりに、
薄笑いを浮かべながら、あっさり引き下がる。
これはこれで斬新かも。(笑)

他のダンサーたちも、
演技面ではもう少しいろいろやって欲しいが、
足音も控えめ、新国よりちまちま感が少ない。
その分、群舞の統制感は新国ほどではないが、
前記ロイヤル/ライト版映像の群舞よりも上手い。

上手いと言えば、
ミルタを演じた伊藤万里絵さんがいい。
ロイヤル映像ではヌニェスさんが演じているが、
彼女より伊藤さんの方が良かった。
少なくともミルタに関しては、
雰囲気や踊り方が似合っている。

と記すと、ぶちぶち言い出す人もいそうだが、
ロイヤルの映像は9年も前のものだから、
いまのヌニェスさんと比べたらどうなるかはわからない、
と付け加えておく。(ああ、めんどくさい!(笑))

ここの鈴木稔版「シンデレラ」も、
また観てみたい。
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