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2015年02月05日21:21

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辺野古でピース!

 昨夜22時半くらいから「テレキャス」で生中継されていた辺野古・キャンプシュワブ前での「ピース・コンサート」ライブを延々1時間半も聞き入ってしまった。テレキャスでは画面の隅にアクセス数が出る。はじめは50人くらいの視聴者だったのが午前零時頃には250人を超えていた。
 辺野古で抗議活動が始まって8千日になる。キャンプシュワブ前での抗議集会と座り込みも3カ月続いている。私が辺野古を訪ねたのは昨年12月2日だったが、午後2時半頃に通りかかると数十人のデモ隊がいた。まさか国道で一時停止してデモに参加するわけにも行かず、そのまま通り過ぎて辺野古港で駐車した。観光気分でデモ隊に加わるのも躊躇いがあって、20分ほど辺野古の海を眺めてから別の目的地へ移動したのだが、典型的な似非インテリ行動といったところだろう(サヨク的自己総括)。
 昨夜は大半が若者だった。11時を過ぎた頃に京都からこの日のために来たという20数歳くらいの女性ミュージシャンがギターをかきならしながら、私の中高生時代に流行った反戦フォークソングを歌っていた。なつかしくもあり、うれしくもある。感動という言葉とはちょっと違うが、あの頃から40年も経ってなお、当時とうり二つの抗議集会が辺野古で開かれていて、一種のお祭り騒ぎをみんなで楽しく演出していることに感慨を抱く。私は日本のみならず先進国の大半が全体主義へと傾くいまの時代にほとんど希望を持っていないが、ニッポン辺境の地・沖縄の、さらに辺境に位置する深夜の辺野古で、若者が集って「埋め立て反対」のスローガンの下、笑顔になって歌を唄っている姿を見て、安心出来た。与野党が全会一致でイスラム国非難の決議を採択、という動きより、深夜零時に「辺野古ダンス」を輪になって踊るというほうが遙かに健全だ。前者について言えば、イデオロギーがまったく違う輩がどういう意図と目的で当たり前の批判で一致しなければならないのか、私にはまったくわからない。昨日の参院予算委員会で自衛隊あがりの低脳議員がひたすら中国の脅威と中国への敵意を質疑というかたちでジコチュー演説をしていたが、こういう馬鹿と、民主主義な河野太郎ちゃんと、共産党の市民活動家が一緒くたになって決議案をまとめる必然があるのか? 大きな枠組みで抽象的な標語、たとえば「平和を守ろう!」とか「地球に優しく!」みたいな方向性ならともかく、もっとナイーブで深い問題だろう。テロという常軌を逸した暴力にぞっとするものの、浪人時代にロープシンの『蒼ざめた馬』を読んだ時、一種の衝撃を受けた。有り体に言えば、文学ではテロがしばしばロマンとして語られ、暴力ではないのだ。
 オレ、何を書いてるんだっけ? 花村萬月のエッセイを読み耽り過ぎて、頭の軸が弛むか歪むかしてしまい、際限なく観念の連想が続いてしまうのだ。句読点を打ちさえすれば、言葉はどんどんと紡ぐことが出来てしまうので、自意識を書き出すとキリがなくなる。
 今日は終日、雪混じりの雨。こんな日が犬との散歩ではいちばんつらい。朝、昼過ぎ、夕方とここまでに3回、行きましたとも。バスタオルで体を拭いてもらいながら、ラズリは私を振り返り「寒いし濡れちゃうのに散歩なんてしたくないよ」みたいな表情をした。だんだんと図に乗ってきて、私はますますラズリが好きになるのであった。
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