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2015年02月04日22:03

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心が雨漏りする日には

 那須の漫画家が短編4本を携えて上京、某出版社に売り込みへ行く。その前後でメシでも食べようかという案もあったが、私の体調が思わしくないため断った。が、馬鹿な子どもを持った親の心境とはこういうものか。彼は私より年上なのだが、オツムが弱いため私がアニキのように叱咤激励する側になってしまった。売り込みの1時間ほど前に彼のケータイに電話を入れ、「今日は人生、最大の勝負の日だ、と思おう!」という檄を飛ばした。
 電話を切って30秒も経たないうちにスマホが鳴ったので、てっきり漫画家だと想って「もうオレがアドバイスすることなんてないぞ」と言おうとしたら、会社の同期の氏名がディスプレイにあった。
「久しぶり。オレ……、退職願を出したよ」
 私は第1回目の早期退職募集でとっとと辞めたのだが、それから4回も5回も募集があったことは漏れ伝わっていた。そいつは定年まで勤め上げるというはっきりとした目標がある男だったので意外だったが、肩を叩かれていたらしい。
 会社を辞めてよかったこと、悪かったことを彼に話し、辞めたからってつらいことばかりじゃない、ハローワークで失業保険の手続きが終わった頃にランチしようぜ、オレはおまえの「先輩」だからいろいろと教えてやるよ、なんて笑わせながら励ました。彼の気分が明るくなることを祈る。
 今日は、中島らもの『心が雨漏りする日には』を一気読み。ブックオフの108円コーナーにあって(らもさんに、こんなエッセイ集あったっけ?)と訝しく思いながら中身も確かめずに買った本だ。帯もないため、おちゃらけな内容だろうと予想していたら、案に反して、らもさんの心と体と生活が壞れていくプロセスを綴ったものだった。2002年10月に刊行された単行本で、本の最後は、もう大丈夫だ、くたばれうつ病、などと希望を口にして締めているのだが、それだけに痛々しい。2年後の2004年7月、らもさんは飲み屋の階段で足を踏み外して亡くなった。結果を知っているだけに、らもさんが文中でいかにギャグを飛ばしても笑えない。彼の死を知っている読者としてはただただ哀しい気持ちになってしまう。これは加藤和彦の本でも感じた。スタイリッシュであらねばならない、というかっこよさが結果として自殺という幕で閉じた。『優雅の条件』という本のタイトルだったが、優雅じゃなくても生きていけるんだよ、と何度もつぶやきたくなって、めったやたらに寂しかった。
 
 ヨルダン軍パイロットが殺害されたことを受けて国連安保理が声明を出した。なかで「彼らの不寛容、暴力、憎悪は根絶されなければならない」と訴えた、と新聞に小さく載っていた。
 不寛容、暴力、憎悪。
 これはイスラム国の凶人に限ったことではない。たぶん人類全部に言えることだ。他人と自分を貶めるのが不寛容であり、暴力であり、憎悪だ。この声明は広く共通の戒めになるのではないか。
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