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2014年12月03日22:58

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茂木健一郎の言の葉(12月4日)

「人生の岐路で何度も迷いながらも、その都度何かを決断して自分の人生を賭ける。その体験を日々積み重ねることで、『偶有性』のレッスンを受けることが出来る。」(茂木 健一郎、脳神経学者) 


 茂木氏の作品『ピンチに勝てる脳』から。

 氏の言うピンチとは偶有性のことである。ただ氏の言うピンチは我々が思っているピンチとは異なる。我々が言うピンチとは、「何をやっても結果は同じ、無駄」という局面のことを指すことが多い。例えば「明日小惑星が地球に激突し、人類は滅亡します」という局面では、どうせ皆いなくなるのだから、こういう状況は氏に言わせるとピンチではないという。限られた状況下だが、かなり多くの選択肢があること、これがピンチなのだと指摘している。そしてそのピンチの教訓をたくさん受けた人が人間として成長の機会に恵まれるのだという。

 今の世の中、選択肢がありすぎて迷ってしまう・・・。

という方は多いと思う。それはそれで正常な感覚ということになる。何しろ数年前のギリシャの財政金融危機で、日本にまで波及したほどだ。まるでビリヤードの玉突きのように、コーナーの一番端っこから放たれた玉がこちらにまで飛んでくる時代である。あの国のクライシスで職を失った日本人が何人も居たほどだ。世界は余りにも相互依存度が強くなってしまったのである。

では偶有性のレッスンを受けるには、どうすればいいか。間違っても「こんなに選択があるのだからいいや。」と惰性で生きてはならない。時間ばかりが刻々と過ぎて行ってしまうことである。

 リクルートの元フェロー(専任職)、杉並区和田中学の校長を歴任した藤原和博さんは

「正解主義ではなく、修正主義で行けば良い」

と言っている。その場では「これだ」と思っても、後で考えると実に下らない選択肢だったことは人生を真面目に生きて来た人ほどたくさんあるはずだ。しかしだから今後何も選択しないという考え方は間違いである。勿論、選択が違っていたことで傷つくことはたくさんある。寧ろ傷つかないことの方が少ないかもしれない。が、それで落胆し、他人と比べてションボリする必要はないのである。今は勝ち組と言われる人達も、その場では好い気になっているかもしれない。しかし人生全体で考えたら、それはとんでもない大きなリスクを背負ってしまった可能性だってあり得るのである。ならば次の選択をしていけば良い。

 日本人はバブルまでの「成功体験」をなかなか忘れられない。

▼偏差値の高い大学に入って、

▼難なく一部上場企業の正社員になり、

▼女性は「条件の良い」男と結婚し、

▼「条件の良い男」は35歳くらいで新築一戸建てを買い、

▼30年も35年も住宅ローンを組み、その大企業で一生過ごし、老後はラクに暮らす・・・。

 しかしこれ以後は偶有性の時代である。

 人生に正解など無い。あるのは納得解。そしてこちらも自分は重要だと思うのだが、他人が納得解と思って選択した意思はひとまず尊重してあげることである。人はそれぞれ、生まれも育ちも違う。結果も不平等ならば、スタート地点も不平等なのだ。世に言う成功者達で徒手空拳からスタートした人なんて、ごくごくわずかだ。大抵親から受け継ぐものがあり、元手も先立つものもあり、社会に出る際に景気が良かったとか、そのような幾つもの条件に恵まれていることが多い。そのような人達を見て「勝ち組」と称賛し、人生の正解と見做すのはおかしなことである。社会、広告代理店、週刊誌の言う「正解」を他の人に押しつけてはならない。その場は正しくても、後になってみると必ずしも正しいとは限らない(寧ろ彼らはカネ儲けの為に言っていることが殆どだから、間違っていることの方が多い、笑い話だがあっかんべー)のだから。

社会、広告代理店、週刊誌などが規定した「正解」に疑問を持つところから始めれば、別次元の社会に変わり始めるのではないだろうか。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 電球関連の言の葉電球

 「正解がないから、『こうじゃないか』と人生を賭けるしかない。」(茂木健一郎)
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