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2014年11月24日22:27

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デュマの言の葉(11月25日)

「待て、而して希望せよ」(『モンテ・クリスト伯』)

 


 この時期になると東京・巣鴨に行く。実は巣鴨というところ、今では「おばあちゃんの原宿」などと言われ、おばあちゃんたちが商店街を楽しく歩いているのが見られる。が、街がここまで大きくなり、いわゆる「とげぬき地蔵」(高岩寺)で有名になったのは、江戸時代から菊の工芸が盛んだったからだと聞いた。その菊人形をたくさん見て来た。菊とおばあちゃんがなぜ結びつくのかといえば、菊は江戸時代に既に長寿を象徴する花だった。そこに長寿で健康を願う高齢者と結びついたのではないかと商店街の人から聞いた。以前はマクドナルドのメニューも高齢者向けにやさしい言葉で書かれていたと聞いた。
 
 中には菊の花を育てるところから既にやっている職人もいた。彼がこんな興味深いことを言っていた。
 
 「自分の思い描いた通りに育つのも楽しいものです。でも、予想を裏切って育つのもまた面白いですよ。」

 「面白い」・・・このゆとりというか、余裕というか、それを今の我々はすっかり忘れている気がした。今の我々は自分の思い通りにならないと、苛々したり、怒ったりするものだ。余裕やゆとりが無くなってどうなったかと言えば、何でも決めつけてしまうようになった気がする。

物事には予測可能なものも勿論あるが、不可能なものもある。寧ろ後者の方がずっと多い。それほど人間は利口ではないからだ。子供を偏差値の高い高校に入れれば、将来良い夢が見られると思っている親。部下を非情に扱う上司は人間性などどうでもよく、仕事優先。携帯電話のメールを送れば直ぐに返事が来ると思っている人・・・。決めつけているから、そうならなかった時、苛々し、ムカつく訳だ。

 卑近な話だが、斯く言う自分は菊職人の言葉で言えば「予想を裏切られ」続きの人生だった(笑)。高校受験の時も、本命の国立高専で補欠では入ったが、抽選で漏れて、地元の都立高校に行った。大学受験もそうだった。学費の安い公立大を受験したが、補欠には入ったものの、抽選に漏れて滑り止めの学校に行くことになった。予備校に行くだけの経済的余裕はまったくなかったからだ。模擬試験の代金までアルバイトの給与から捻出していたほどだ。就職も地元の市役所に合格はしたものの、採用されなかった。市役所と一般企業の採用活動には時間的なズレがある。合格した時には、一般企業の採用活動はもう終わっていた。後は求人案内、新聞を見て目ざとく挑戦していくしかない。まさに惨めな「落ち葉拾い」。今みたいに「第二新卒」という「敗者復活戦」は無かったからだ。結局地元の中小の小売業が採用してくれた。
  
 この言の葉はデュマの名作の結びから採った。巣鴨で出会った菊職人が『モンテ・クリスト伯』を読んで居たかどうかは定かではない。しかし一流の人間とは思い通りにならなかったことを面白がり、待つゆとりを持っている人たちではないだろうか。それは世間体で言うところの勝ち組に属しているかどうかよりもずっと大切なことだと思う。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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