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2010年07月21日12:29

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【講演】ロシア・バレエの魅力


去年まで知らなかったのですが、
「ロシア文化フェスティバル」というものが、
5年前から毎年開かれています。
http://www.russian-festival.net/program2010.html

ロシアの文化に関わるイベントをひとくくりにして、
大使館などがバックアップしよう、という趣旨のものなので、
今年4月に来日したモスクワ(ダンチェンコ)バレエ団の公演も、
そのひとつということになります。

今年は42のプログラムが予定されていますが、
3連休中、「ロシア文化人講演会」というのに顔を出してきました。
http://www.chacott-jp.com/j/topics/2010talk/index.html

ゲストのニコライ・フョードロフさんはボリショイの元プリンシパル。
斎藤友佳理さんも東京バレエ団のプリンシパルで、
ボリショイに留学の経験もあります。そしておふたりはご夫婦。(^^)

講演のタイトルは、
「ロシアバレエの魅力:
エカテリーナ・マクシーモワ&ウラジーミル・ワシーリエフの芸術活動50年によせて」

マクシーモワさん(1939〜2009)とワシーリエフさん(1940〜)は、
ボリショイ・バレエ団の歴史に名を残すプリンシパルで、やはりご夫婦です。
フョードロフさんと斎藤さんは、2人とは師弟の関係ですが、
仕事を超えた親交もあるので、名プリンシパル・ペアについて語ってもらうとしたら、
まさにうってつけの人材と言えるでしょう。(^^)

前半、というよりも4分の3はフョードロフさんが「熱く」語り、
通訳を振り切って暴走しかかるダンナの手綱を斎藤さんが引き締めつつ、
聴衆に馴染みのない単語や出来事について解説してくれる...
と記せば、会場の雰囲気は伝わるでしょうか。(^o^)

では、例によって「ぱろメモ」から、講演の概要をご紹介しましょう。
なお、口語調で記したところもありますが、
すべて私の意訳であることを、ご了承ください。

       *     *     *

フョードロフ(以下F)さん
「これからバレエ、ボリショイ劇場、
そしてカーチャとワロージャについて、
話をしたいと思います。」

斎藤(以下S)さん、いきなりダンナを遮って、
「親しい間柄では、ニコライをコーリャと呼ぶように、
ロシア人の名前には対となる愛称がありまして、
ワロージャはウラジーミル、カーチャはエカテリーナの愛称です。
ちなみにカーチャは髪飾りのカチューシャの語源でもあるんですよ。」


「最初はバレエ学校のことからお話しましょう。
ボリショイの学校と劇場は、とても強い結びつきがあります。
単に建物が隣接しているからというだけでなく、
生徒は子役として舞台に上がり、バレエ教師の中には、
午前中は劇場で現役のダンサーに教え、
午後は学校で子供たちに教える、という人もいます。

昔は困難な時代で、貧しい家庭の子もたくさんいました。
ワロージャは労働者の平均的な家庭の出で、
カーチャはそれよりもランクが上の知識層の子。
親戚には作曲家や哲学者もいました。

非凡さで世界的に有名な2人ですが、そのスタートは平凡でした。
ワロージャはアマチュアのクラブでバレエを習い、
カーチャは子供の憧れとしてバレエを観ており、
ともにボリショイとは関係のないところで育ちました。

またワロージャは生徒として特に優れていたわけではありませんでしたが、
もし何かをやるとしたら、誰よりも上手にならなければいけない、
という固い信念の持ち主ではありました。」


「彼の言う学校とは、一般教養を教えてくれる学校、
日本でいえば小学校や中学校みたいなところです。
ロシアには、それとは別に、才能を認められると入学できる、
専門学校がいろいろあります。
ワロージャは、(あれほど凄いダンサーなのに)一般教養の出来が良くなかった、
ということで有名なんです。(笑)」


「一方カーチャは、お転婆だけど、自分に妥協を許さない性格。
2人とも非常に意志の強い生徒で、
(これが影響したのか)バレエを始めるや、目立つ存在となったのです。

特にカーチャの素質は卒業前から周囲の認めるところとなり、
すでにクラシック・ダンサーとしての地位を確立していました。
しかしワロージャの方は、ノーブルで行くか、
それともキャラクター・ダンサーになるべきか方向性すら定まらず、
一時期退学させることまで考えられたほどでした。
けれど、2人が卒業公演で「くるみ」のPDDを踊った時、
この2人は実に素晴らしいペアであることに、周囲は気付いたのでした。

そしてワロージャは、チャイコフスキーの「フランチェスコ」を踊った時、
その高い技術を世間に証明したのですが、同時に周囲の者は、
17歳の子の役者としての優れた才能に驚いたのでした。」

*ここでカーチャ&ワロージャの、当時の映像を集めたDVDを観覧。
斎藤さんによると、テープ時代に日本でも発売されたものをダビングしたのだとか。
撮影時期が時期ですから、色がついているだけでも大したものですが、
にもかかわらず、2人の踊りの素晴らしさ、美しさは伝わってきます。
さながらフルトベングラーのモノラル録音といったところでしょうか。(^^)


「(著名な振付家の)ゴレイゾフスキーは、ワロージャが自分の作品を踊るの観て、
『私はこんなに素晴らしい作品を造ったのか!?』と語ったとか。(笑)」

*ちょうど画面にワロージャのピルエットが数パターン。


「これは、彼が演目に合うピルエットを研究しているところです。
(お客も含めた)現在のバレエ界は、
回転の数の多さや跳躍の高さばかりに注目していますが、
彼はフィニッシュの仕方やポーズなど、
『美しい見え方』にも気を使っていたのです。」

*ここ、飾り文字で大書きしたいところです。(^O^)
続いて「ドンQ」のヴァリ映像。


「現在よく演じられるバジルのヴァリエーションは、彼が振付けたものです。
今のダンサーたちは、そのことを誰も知らないし、気にもしてませんが。」

*他にも唯1回だけ踊るのを許されたベジャールのペトルーシュカや、
彼のために振付られたナルシスなど、貴重な映像が次々とモニターに。
圧巻はマリウス・リエパと共演の「スパルタクス」。


「学生の頃、私は彼の『スパルタクス』を観たのですが、
もうバレエは諦めた方がいいかもしれない、と思うほどの衝撃を受けました。
彼は1回の公演で体重が4キロも落ちたそうですが、
我々は彼とリエパの舞台が観たくて、
リハーサルと本公演に通いつめたものです。

現在のダンサーたちが、2人を目標としている限り、
彼らを凌ぐことはできませんから、
あの素晴らしい舞台に匹敵する公演を目にすることは、
もう2度とないでしょう。

優れた人物は、ひとつのところに留まろうとしないものですが、
ワロージャもまた踊るだけでなく、振付の世界にも足を踏み入れるようになりました。

初めて造った『イカロス』は、自分とカーチャのためのものでしたが、
初演の2週間前、彼は脚に大怪我を負ってしまいました。
にもかかわらず、彼はギプスをはめた姿で練習場に現れては、
無事なもう1本の脚も怪我してしまうのでは?
というほどの激しい実演指導を行なったため、
周囲の者ははらはらしながら彼の脚にばかり注目してしまい、
『はい、じゃやってごらん』と言われても、振付が頭に入らなかったのです。」


「彼は抜きんでた技術の持ち主でしたが、
自分がどれほど凄いかを、まったく理解していないんです。
手本を見せたにもかかわらず、相手が『できない』と言うと、
『私ができるのに、なぜ?』(苦笑)

彼は自分ができるなら、ほかの人も当然できるもの、と思っていたのです。
つまり、自分を特別な存在とは、まったく思ってなかったんですね。

困惑する周囲の者を見かねたカーチャが、やがて進言するようになりました。
『落ち着いて、ワロージャ。彼らはできないのよ。
なぜ、それがわからないの?』
まさにワロージャは火、カーチャは水の関係でした。(笑)」

*メモを見ると、このあとワガノワさんとセミョーノワさんの話になり、
当時のダンサーの生活には貧富の差があったということで、
カーチャさんにつながるのですが、
なぜワガノワさんたちの話になったのか覚えてないです。f(^o^;)


「セミョーノワ(フョードロフさんはシミョーノワと発音)先生が亡くなられて、
ちょうど40日となります。御歳102歳、大往生でした。
彼女は親族に11人ものアーティストがいる、比較的裕福な家庭の出でした。
一方、ワガノワの家は貧しく、セミョーノワは時折、
食べ物を差し入れていました。」

*斎藤さん、身振りも大きく熱弁をふるうフョードロフさんをまたまた遮り、
ワガノワさんとセミョーノワさんについて解説してくれます。
このおふたりも、絶妙な「火と水」の夫婦ですね。(^^)

ワガノワさんは、あのワガノワ・メソッドのワガノワさんで、
今年6月9日に亡くなられたマリーナ・セミョーノワさんは、
そのワガノワさんの一番弟子として有名な方でした。

またここ↓で触れたように、
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1462934083&owner_id=3210641
フョードロフさんはワガノワさんゆかりのアパートの管理をしています。


「ワガノワの部屋には、たくさんのメモ書きが残されていますが、
そのひとつに、『セミョーノワが小麦粉をもってきてくれた』
というものもありました。

今でこそ、近代バレエの祖として世界中に名を知られ、
彼女のしたためた教則本は数多くの国で翻訳されていますが、
当時の原稿料はわずか6ドルだったそうです。」

*上記教則本「古典舞踊の基礎」は、
「ワガノワのバレエ・レッスン」というタイトルで検索すると、
今でも中古本なら入手できます。


「カーチャとワロージャが『ドンQ』を踊る時は、我々はもちろん、
劇場の職員たちも駆けつけて、舞台をみつめていました。
(バレエ・ダンサー同士の結婚は珍しくありませんが)
夫婦で同じ(非常に高い)レベルにあるというのは、他に思い浮かびません。

彼女がもう、この世にいないということが、今でも信じられません。
我々は最良の友を失ってしまったのです。」

*フョードロフさんと斎藤さん、ともに目をうるうる。(T_T)
ここで、マイクは斎藤さんの手に。


「カーチャは、芸術家はどうあるべきか、
ということを教えてくれました。

私は一時期、ボリショイで学んでいましたが、
ボリショイ劇場は名前のとおり本当に大きなところで、
単に建物が大きいというだけでなく、バレエ団の規模も大きいのです。
ダンサーは300人、照明などの裏方さんたちも含めると、
20年前は3,000人もいました。
そのため職員用の幼稚園や病院まで併設されていました。

私が行って間もない頃の事ですが、
劇場入りの時に群舞の人たちと出会っても、
誰も挨拶を返してくれないんです。

ところがカーチャとワロージャは、彼らの方から声をかけてくれたんです!
偉大な人ほど普通なんだ、とこの時驚きを覚えたものです。

もちろん、人柄というのもあるでしょう。
カーチャは本当に心の暖かい人でした。
私が彼女と出会った頃は、現役のダンサーではあるものの、
教師としての時間も増えはじめていた時で、教え子も10人くらいいました。

でも、中には彼女を裏切ってしまう生徒もいます。
彼女は次の舞台に向けて1ヶ月以上もの間、
自分の知識と技術、経験を生徒たちに伝えようと努めるのですが、
いざ本番になると、教えをまったく無視して自分勝手に踊ってしまう人もいます。
たとえば、アナスタシア・ボロチコワとか。(苦笑)
そんな時、カーチャは本当に苦しんでいました。

彼女の足はバレリーナの理想の足と言われますが、
天からの贈り物に甘えない、努力の人でもありました。
彼女は、ポワントの先端は狭い方が良いとする人で、」

*ポワント=トゥシューズの先端は平らになっていますが、
この面積が大きいと、安定はするものの摩擦抵抗が大きくなり、
回転などをシャープに魅せるためには狭い方が良いと言われます。

「...自分の足のサイズよりも小さいポワントを履いていたほどです。
そのため新しいポワントを履く時は、まず水につけ、
無理やり足を突っ込んで生地をのばしてから、縫い付けていました。
彼女はポワントの管理には、人一倍、時間をかけていました。」

*彼女の遺品であるポワントを見せてくれたのですが、
トゥシューズというよりはバレエシューズに近い、爪先部分の短いデザインで、
小柄だったこともあり、長さも20センチあるだろうか、という印象でした。

「彼女もまた、大きな試練を乗り越えた人でした。
『イワン雷帝』の練習の際、リフトでバランスを崩し落下、
モスクワからウラジオストクまで医師を探し回ったにもかかわらず、
再起は不能といわれるような大怪我を負ってしまったのです。

そんな時、彼女はルチコーフ医師に出会いました。
彼は不可能を可能にする医師で、
カーチャは再び舞台に登ることができるようになりましたが、
その復帰最初の舞台(ジゼル)を観た感想を聞かれたとき、
「彼女を治したのは彼女であって、私ではない」と答えたそうです。
絶対に治して再び舞台に登るのだ、という強い信念のもとに、
諦めることなくリハビリを続けた結果だということを、
彼は言いたかったのでしょう。

私が怪我をした時、彼女はお見舞いに来てくれたのですが、
その時、『今の怪我は、きっと後で笑って話せるようになるわ。
でも、その後に、もっと大きな試練がやってくるの。
けれど、試練があるのは幸せなことなのよ。』
と力づけてくれたのです。

もし、同じ言葉を他の人に言われたら、
私はただの慰めね、と思ったでしょうが、
彼女の言葉だったから信じることができました。

また彼女は、私の復帰公演も観に来てくれたのですが、
『ソデからの圧力に耐えられた時、初めて復帰したことになるの。』

復帰公演では、観客の視線とともに、
舞台袖からもたくさんの視線が注がれます。
そのほとんどは、お客さんのと同じ、暖かいものですが、
中には悪意を含んだものもある、ということを、
彼女は言いたかったのでしょうね。」

*再びマイクはフョードロフさんの手に。


「カーチャとワロージャは、本当に良いペアでした。
カーチャは、ワロージャと組んで踊る時は、
彼の腕の中で休んでいられる気分になる、と語っていたほどです。

でも新作に向かう姿勢は対象的でした。
カーチャはすぐに「できない」と言うのです。(笑)

けれど踊りに対する気持ちは常に真剣でした。
彼女たちがイタリアの別荘に滞在していた時、
映画への出演を打診され、2人はOKしました。

演出の関係で、2人は毛足の長い絨毯の上で、
ピルエットやアン・トゥールナンをすることになったのですが、
おくすることなく見事に踊る姿を、今も観ることができます。」

*実際に映像を見せてくれたのですが、
すみません、タイトルを聞き損ねてしまいました。
どなたかブログで書いてないかな。f(^o^;)

ここで残念ながら時間となり、質疑応答へ。


斎藤さんが舞台に立つ時、心がけていることは?


「カーチャに教わったことです。

彼女に連れられて、あるパーティに行った時のことですが、
会場で彼女は踊りをリクエストされました。
会場のフロアは、映画ではありませんが、ふかふかの絨毯で、
足元もヒールのある普通の靴です。

私は当然、彼女は断るものと思ったのですが、
彼女は快諾し、手を抜くことなく、その場でだせる全力で踊ったのでした。
『望まれて踊ることほど幸せなことはないの。
そして観客に感動を与えられたら、それに勝る喜びはないわ。』

また彼女には、
観客全員を満足させようと思ってはいけない、とも言われました。
そのかわり、たった一人にでも満足してもらえる踊りを心がけるように、と。
もちろん、1人よりは2人の方が嬉しいですけどね。
そのためにも、言葉は変ですが、
私は戦場に赴くような思いで、いつも舞台に上がっています。」


「私はデートに行くような気分だったなぁ。(笑)」

       *     *     *

あっという間の1時間半でした。(^^)

終了後、サインをしていただきながら、
斎藤さんと少しだけお話することができました。
さっそく、最近の話題絡みで気になることとして、
「オネーギン」の再演についてうかがってみました。
長年追い続けた夢を果たした斎藤さん、
もう満足されてしまったのでしょうか...。

すると、(クランコ財団との絡みもあるので)
自分の気持ちだけではどうにもならないところがあるけれど、
また機会があれば、ぜひ踊りたい! とのことでした。

それからまだナイショですが、(ああっ! 話したいっ!(^O^))
今年の秋に、舞台とは別のサプライズがあるそうです。
ほどなくリリースがあると思うので、ファンの方、どうぞお楽しみに。(^^)
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