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2010年04月15日17:10

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【講演】ユカリューシャが語るロシアバレエとオネーギンの魅力(その2)

モスクワ祭り、開幕ですね。(^^)
会場にはユカリューシャさんの姿も。

       *     *     *

(その1)で紹介した部分に、
一部記憶のあいまいなところがあったのですが、
そこに触れていたブロガーさんを発見。

...こっそり加筆しときました。f(^^;)

       *     *     *

★プーシキンと「オネーギン」

1989年にユカリューシャさんと「オネーギン」を結びつけたのはベジャールさんですが、
当時話を向けられた当人は「タチヤーナって、だれ?」状態だったのだとか。

翌1990年、彼女はニコライ・フョードルさんと結婚しますが、
ニコライさん、ユカリのロシア語は文法がめちゃくちゃだから、
このままだと後で苦労するよ、と家庭教師をつけてくれました。

...でも、なぜか授業が始まると、
すぐにあくびを連発してしまうユカリューシャさん。(^^;)

みかねた先生、「何にだったら、ユカリは興味があるの?」
そこで閃き、「プーシキンの『オネーギン』を知りたい」と言うと、
急に先生の目が輝き、「オネーギン」を朗読し始めました。
先生が暗記していたことにも驚いたそうですが、
さらにびっくりしたのはその量で、なんと全部そらんじていたのです!

こうして「オネーギン」の原文が教材になったわけですが、
今から200年近く前に書かれた「古典」が役に立つのかな?
と思って拝聴していると、彼女も当時同じことを思ったのでしょう、
単語や文法は今でも通用するんですよ、と付け加えてくれました。

さて、6月6日はプーシキンの誕生日です。
クレムリンの近くにはプーシキンの銅像があり、
スズランを手にした市民が集います。
手を繋いで銅像を囲み、ひとりが詩を読み始めると、皆が唱和します。
ユカリューシャさん、それを見ているうちに、涙が出たそうです。
200年たっても国民に愛され続けていることに感動したのだとか。

偶然にも、15歳になる息子のセルゲイ君が、
学校でプーシキンについて習い始めたので、今回の講演の参考にと、
「今日は何を習ったの? 話して、ノートみせて」 

プーシキンは「オネーギン」の中で、何を語りたかったのでしょう。
傲慢でエゴイストのオネーギンは西欧のシンボル、
自然を愛し大切にするタチヤーナはロシア人のシンボル、
として描かれているのでは? とユカリューシャさん。
こうしてみると、「オネーギン」はまさにロシアの歴史のすべて、
「裏切った」「裏切られた」という単純な話ではないようです。

また日本では、オネーギンはリアリスト、タチヤーナはロマンチスト、
と解釈されることが多いようですが、実は逆なんですよ、とも。
タチヤーナはどんな運命も受け入れる強い女性で、
辛い状況におかれても、その中で自分の道を見つけだし、
歩いていこうとするリアリスト。

一方オネーギンは地に足が着いておらず、とてもリアリストとは言えません。
レンスキーの射殺を契機に、現実から目を背けての放浪人生ですから、
たしかにそうですねぇ。(^^;)

ユカリューシャさんは、韻文小説である「オネーギン」が、
日本ではどのように訳されているのだろうと手にとってみたところ、

「苦しかった」

翻訳の良し悪しではなく、今使われていない言葉がたくさんあって、
とにかく読んでいて「苦しい」というイメージしか残らなかったそうです。
友人に相談して別の訳も紹介してもらいましたが、それでもダメ。
原文から感じるロシア語の優しさが伝わってこないのだとか。

そこでニコライさんに相談すると、
「プーシキンは自分の癒しとして書いている。
英雄について語るような、力んだ文章ではない。
だから、彼のように偉大な人が、
力まずに訳さないと、無理なのではないだろうか」

俳句の翻訳が難しいのと同様、
韻文、ロシア語で「ストラファ」と呼ばれる形式を、
ネイティブでない者が翻訳するのは、
やはり無理があるのかもしれません。

当時の新しい文体である「ストラファ」を
生み出したのがプーシキンであり、
(「オネーギン」はその最初の小説)
続くロシアの文学者たちがこれに倣うようになったので、
彼は「ロシア文学の父」と言われるそうです。

★「名付け」について

日本人の名前の多様さは、世界に例をみないそうですが、
これは命名の際に制約がないからで、
ロシアなどのように宗教が絡んでくると、
ご先祖様やじいさまの名前に因むとかで話がややこしくなり、
種類も少なくなります。

例えば、バレエ団で「オーリャ!」と呼ぶと5人くらい振り向き、
「ターリャ!」と呼ぶと「どの髪の色の?」と聞き返されるとか。

またご存知のように、キリスト教には洗礼名というのがあります。
正教会系の宗派では守護聖人に因んだ名前が授けられますが、
守護聖人にはそれぞれ命日などに因んだ日が定められていて、
その日に洗礼を受け、以後「名付けの日」として皆で祝います。

ユカリューシャさんの洗礼名は「ユリア」。
(「ユカリ」と似ているからだとか)
名付けの日は、偶然にも誕生日と同じ7月29日。
ロシア人にはお祝いの日は2回あるのに、私は1回だけ、
と、ちょっと不満そうなユカリューシャさんでした。(^o^)

なぜ洗礼名の話が出たかと言うと、
「オネーギン」1幕のパーティ、
日本では「タチヤーナの誕生日」と言われていますが、
正しくは「名付けの日」で、誕生日ではないそうです。

ユカリューシャさんの「名付けの母」(洗礼の母)は、
(その1)に登場したボリショイの名プリンシパル、マクシーモアさんで、
息子セルゲイ君の「洗礼の父」は彼女の旦那さんワシリーモフさん。
いやいや、豪華豪華。

★東バの「オネーギン」公演

東京バレエ団に、上演の許可は出たものの、
配役は勝手に決められないそうです。
シュツットガルトの芸監自らがやってきて、
配役のオーディションをするのだとか。

つまり、舞台には立てても、タチヤーナは踊れないかもしれない。
それでも受けますか? とのバレエ団担当者からの問いに、
彼女はふたつ返事で「受ける」と答えたそうです。

望んで望んで望んでいたものが、やっと手の届くところにまで来たのに、
「選ばれないかも」と諦めたら、一生悔いが残るから。
それが理由でした。そしてトライアウトのやり方を目にするうちに、
もしこれで受からなくても諦められる、と思ったそうです。

というのも、たった2日間で100人からを見る。
じっくり時間をかけて調べるのならともかく、
そのような短時間で適性を見抜くなど、無理。
くじ引きみたいなものだから、外れても仕方がない、
と、達観されたのだとか。

★「オネーギン」に向けて

ペテルブルグには、ワガノワさんのアパートが今も残っていて、
ニコライさんがその管理を受け継いでいるそうです。
ロシアに戻ると、そのアパートの掃除が彼女の仕事。
「オネーギン」を聴きながらアパートの隅々まで綺麗にしていると、
気持ちが楽になるのだとか。

そのため「オネーギン」を聴くと、掃除したくなるとも。
ユカリューシャさん、それって「パブロフの犬」です...。

またアパートの隣には、
チャイコフスキーが亡くなった時の家も残っており、そちらを見ては、
「チャイコフスキーさん、いつかタチヤーナを踊りたいです」
と思っていたとも...。

19年前に踊っていたら、タチヤーナの心は表現できなかっただろう、
とユカリューシャさんは語ります。
今だからこそ、タチヤーナの心をバレエで表現し、観客に伝えられると思う、と。
あのとき踊れなかったのには、意味があったのだ、と今は思うそうです。

彼女の恩師にして洗礼の母、マクシーモアさんが、昨年亡くなりました。
彼女に「ユカリにも踊ってほしい」と言われた時、
「心にバターが塗られたようでした」
ロシアでは、気持ちが楽になることを、このように表現するそうです。

泣きながら話すユカリューシャさん。

そして今回踊ることで、
「彼女との約束は、これですべて果たすことができます」
(この講演会が4月で、5月には舞台がある) 

19年前、借りた衣裳とともに髪飾りをハイデさんに返しに行くと、
彼女はそれを受け取らなかったそうです。
いつかきっと、踊る日がくるから、と。

5月15日の舞台で、彼女が頭に着けるのは、
19年の時を経て、ようやくスポットライトを再び浴びる、
その髪飾りなのでしょう。

       *     *     *

長野さんは、
ベジャールさんがユカリューシャさんにタチヤーナを勧めたのは、
俳句と韻文という、定められた条件がある中での表現、という共通点から、
彼女が「月に寄せる〜」を踊る姿に、「オネーギン」を連想したのではないか、
と分析します。

なるほど。

帰りの電車の中で講演の内容を反芻しながら、
ふと思いついたことがありました。

ロシア人にとって「タチヤーナ」という名前には、
芯の強い、どんな逆境、運命にも立ち向かう人、というイメージがあり、
そんな人間になって欲しいと願って付けられるそうです。

長野さんとユカリューシャさんは、講演前に、
プーシキンはそれを意図したのか、
それともタチヤーナの姿に後世の人たちが、
そういう思いをこめたのか、どちらだろう?
という話もしていたそうです。

ユカリューシャさんは、
何かをやり始めたら最後までやる、と決めているそうです。
ですから、タチヤーナは、自分の人生の中では中途半端な存在で、
このままでは終われない、と常々思っていたとか。
そんな思いがあったからこそ、あの大怪我も乗り越えられた、と。

もしかしたらベジャールさん、
ユカリューシャさんにタチヤーナの幻が、
本当に重なって見えていたのかもしれませんね。

       *     *     *

白状すると、私は最初、お師匠さまのお誘いを断っていました。
ユカリューシャさんの「バヤ」の出来に満足できず、
アイシュヴァルトさんのタチヤーナに比肩するのは無理だろう、
と思ったからでした。

お師匠さまの冷たい視線に誤魔化し笑いを浮かべつつ、
講演帰りにチケを購入した鴨ネギぱろでした。f(^o^;)
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