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2009年03月02日01:58

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二代目、三代目

アーサー・ケストラーの『ダークネス・アット・ヌーン』という小説。

レーニン等とともにロシア革命を主導した「英雄」の一人が主人公。

革命後、欧州諸国に潜入して革命勢力を指導・支援するスパイ・マスターとして働いてきた。

でも、その過程で、モスクワからの指令を受け多くの同志を裏切ってもきた。

国際政治の権謀術数の中で、ソ連の国益のために革命勢力が犠牲にされるのだ。

これが主人公に革命の成果に対する疑念を生み、彼を悩ませている。

ある日、スターリンから猜疑の目が向けられた彼は逮捕される。

彼を拷問するのは革命後に育った若い将校、革命第二世代である。

実直だけど凡庸な官吏の彼を、主人公は「ネアンデルタール人」と呼んでバカにする。

実際、主人公を最も苛んでいるのは将校による尋問ではなくて、今まで自分が人生を賭けてきた革命の意味を見失っていることであった。

理論家の彼は、自分やソ連の過去の行為を何とか新しい理論で正当化しようとする。

でも、若い将校はこうした努力の意味を全く理解しない。

革命後のロシアしか知らない彼にとっては、現状の意味を問う事などお天道様の意味を問うのと同じようなことなのだ。

しかしながら、主人公が緻密な理論で革命を正当化すればするほど、知的には明らかに劣った「二代目」に反論できなくなる。

「あなたが本物の反逆者かどうかなど問題ではありません。裏切り者として見せしめのために有罪判決を受けて処刑されることが、今のあなたにできる革命への最後の貢献なのです」

主人公がバカにしているこの将校は、彼自身が指導した革命の「申し子」なのだ。

彼の議論を反駁するには、主人公は革命、そしてそれを信じてきた自分自身を見直す必要があるのだ。

でも、主人公は最後までそれを受け入れることができない。

話変わって、米国の政治学の成り立ち。

従来、政治学というのは法的な制度の研究だったのだが、それが1930年代くらいから行動科学を基礎とした「科学的」学問として発達する。

言ってみれば、社会科の教科書に出てくるような三権分立とか憲法の説明をしていた政治学が、ネズミの行動を観察しパターンを見つけるように人間の行動を観察・解析し、そうしたデータの集積をもとに一般的な法則を導きだすようになったのだ。

この「新しい政治学」の第一世代は、旧習に固執する人たちと戦いながら、行動科学の有用性を説き、大学の政治学部に地歩を固め、政策科学としての政治学を売り込んでいく。

そうした努力の結果生まれた政治学部から、戦後をリードする政治学者が育っていく。

でも、創始者たちと違って、二代目、三代目はそれ以外の「政治学」があった時代を知らない。

彼らにとって「政治学」とは行動科学なのであり、他の政治学の可能性など想像もつかない。

彼らの手によって、政治理論はますます緻密で洗練されたものになるのだが、反面「政治」という現象がネズミの行動と同じようなレベルで扱われるようになる。

それを見た第一世代の人たちは、「俺が言いたかったのはそういう事じゃないんだ」なんて苦言を呈するのだが、弟子の方は当惑して「老先生ももうろくしたか」くらいにしか受け取らない。

実際、二代目、三代目のやっていることは創始者たちのロジックをさらに発展させた結果である以上、創始者たちも自己を見直すことなしに自分の「申し子」たちを否定することはできない。

さらに話が変わって、明治維新の頃の日本。

日本の近代国家の創始者たちの実像というのは、我々が「日本らしさ」という言葉から連想する特質(忠誠心、愛国心、潔さ、謙遜、恥の文化など)から想像するイメージとはちょっと違う。

教科書に出てくるような「命を賭けて国のために戦った愛国者たち」なんて言うイメージは必ずしも間違っていないのだけど、ちょっと型通りすぎる。

例えば、『英将秘訣』に出てくる教訓。
一、義理なんて気にすんな。やりたいことができない。
一、恥なんてもんは捨て去らないと、何もできんぞ。
一、礼儀なんてもんは人を縛るためのもの。
一、命はなるべく大事にしよう。なくしたら取り返しがつかん。

長らく坂本龍馬の語録と思われていた『英将秘訣』だが、実は誰か別の人の手になるものらしい。

でも、勘違いされたのは、幕末の龍馬の行動がまさにこの教訓を実践するものであったからだ。

もう一人の幕末の英雄、西郷隆盛。

ナポレオンとワシントンという二つの革命の指導者を尊敬していた西郷は自分も革命家だと思っていたらしい。

そして革命というのは血をいっぱい流さないと成り立たないものだとも考えていたらしい。

江戸の無血開城の際も、西郷さんは戦意を失った幕府を相手に最後まで江戸に総攻撃を加えるつもりだったらしい。

後に征韓論を唱えたのも、ひとつには血を流したりないために維新が革命として中途半端に終わったと考えていた節がある。

その西郷さんは大義名分を大事にする人なのだが、映画『ラスト・サムライ』に出てくるような潔いものとは違う。

征韓論論争における西郷の主張はこんなものだったらしい。

なんの大義名分もなく朝鮮を攻める事は天道から外れる。

でも、自分が特使として京城に赴き危害を加えられれば(西郷は自分が殺されることを望んでいたらしい)、出兵の大義名分が立つ。

別の例では、朝廷と幕府の和解を進める公武合体派に対向するため、西郷は江戸の薩摩藩邸を基地にして今日でいう所のテロリズムを繰り返させる。

幕府がテロリストを薩摩藩邸に追いつめ邸を焼き払った時、西郷は叫んだらしい。

「これで(江戸進軍の)名分は立った!」

西郷にとって大義名分とは「タテマエ」でねつ造してもよいものだったのだ。

この強烈なマキャベリズムは、多分新しい国家建設を行う者にとっては必須の素質である。

新国家の建設とは、今まで「当たり前」であったことを「当たり前」じゃなくしながら、「当たり前」じゃなかったことを「当たり前」にすることなのだ。

別の言い方をすると、革命第一世代というのは国家が必然的なものではないし、特定の原則に則ったものでもないということをいやというほど知っている。

国家というのは自然にできるものではなくて、偶然に翻弄されながらも力や知略を駆使して何とか建設し、いろいろな矛盾をだましだまし維持するものなのである。

これが世代が移り変わると、この国家の怪しい起源が忘れられてしまう。というより、国民が昔は「当たり前」じゃなかったことを「当たり前」だと思わされるようになる。

二代目、三代目にとっては、自分が生まれたときに既に「日本」という国家が存在していて、それ以外の可能性など想像もできない。

それで、怪しい国家の起源を隠すためや、国家が国民に期待する役割を果たしてもらうために作られた歴史観、道徳、倫理なんかを相対的に見ることができなくなる。

それで、頼まれもしないのに「国家」や「社会」の利益を勝手に代弁してくれる人たちが増える。

「愛国心」とか「国家(=社会)への貢献」なんて言いながら、型通りの歴史とか倫理観をさもエラそうなことのように繰り返す小粒な人たちだ。

『英将秘訣』の教えとは全く逆の「非英雄的」な日本人(ケストラーの小説の若い将校みたいな人たち)が作り出されていくのである。

創始者たちは、きっと草葉の陰から自分たちの国家建設がうまく行った事を喜びながらも、二代目、三代目の知的な凡庸さに苦笑せざるをえないのである。
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