正月はまぁ寝正月だったわけですが、図書館で予約しておいた本の順番が丁度この年末年始の休み中に廻ってきたので、じっくりと読むことが出来ました。
マイミクさんの中にも紹介されていた人がいた『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(ブレイディみかこ著)です。
アイルランド系の白人男性と結婚し、その一人息子を英国南部のブライトンという街で育てる著者の目から見た階級社会としての英国、その社会制度、教育制度等の話が展開されているのですが、個人的に非常に興味深かったのは、英国の公立学校教育ではキーステージ3(7年生(11歳)から9年生)から、シティズンシップ・エデュケーションが義務付けられているということでした。
シティズンシップ・エデュケーションの目的として「質の高いシティズンシップ・エデュケーションは、社会において充実した積極的な役割を果たす準備をするための知識とスキル、理解を生徒たちに提供することを助ける。シティズンシップ・エデュケーションは、とりわけデモクラシーと政府、法の制定と順守に対する生徒たちの強い認識と理解を育むものでなくてはならない」と書かれてあり、「政治や社会の問題を批評的に探究し、エビデンスを見きわめ、ディベートし、根拠ある主張を行うためのスキルと知識を生徒たちに授ける授業でなくてはならない」とされている。
キーステージ3では、議会制民主主義や自由の概念、政党の役割、法の本質や司法制度、市民活動、予算の重要性などを学ぶらしいのだが、こういったポリティカルな事柄をどうやって11歳の子どもたちに導入していくのだろう。(本書P72)
著者の息子が初めて受けたシティズンシップ・エデュケーション(その学校では「ライフ・スキル教育」という教科名)の試験の第1問はなんと「エンパシーとは何か」というものでした。しかも、それに対して著者の息子は「自分で誰かの靴を履いてみること」と事もなげに答えているのです。
自分で誰かの靴を履いてみること、というのは英語の定型表現であり、他人の立場に立ってみるという意味だ。日本語にすればempathyは「共感」、「感情移入」または「自己移入」と訳されている言葉だが、確かに、誰かの靴を履いてみるというのはすこぶる的確な表現だ。(本書P73)
「エンパシーって、すごくタイムリーで、いい質問だね。いま、英国に住んでいる人たちにとって、いや、世界中の人たちにとってそれは切実に大切な問題になってきていると思うから」
「うん。シティズンシップ・エデュケーションの先生もそう言ってた」
と、ちょっと誇らしげに顎をあげてから息子は続けた。
「EU離脱や、テロリズムの問題や、世界中で起きているいろんな混乱を僕らが乗り越えていくには、自分とは違う立場の人々や、自分と違う意見を持つ人々の気持ちを想像してみることが大事なんだって。つまり、他人の靴を履いてみること。これからは『エンパシーの時代』、って先生がホワイトボードにでっかく書いたから、これは試験に出るなってピンと来た」
エンパシーと混同されがちな言葉にシンパシーがある。
両者の違いは子どもや英語学習中の外国人が重点的に教わるポイントだが、オックスフォード英英辞典のサイト(oxfordlearnersdidtionaries.com)によれば、シンパシー(sympathy)は「1.誰かをかわいそうだと思う感情、誰かの問題を理解して気にかけていることを示すこと」「2.ある考え、理念、組織などへの支持や同意を示す行為」「3.同じような意見や関心を持っている人々の間の友情や理解」と書かれている。一方、エンパシー(empathy)は、「他人の感情や経験などを理解する能力」とシンプルに書かれている。つまり、シンパシーのほうは「感情や行為や理解」なのだが、エンパシーのほうは「能力」なのである。前者はふつうに同情したり、共感したりすることのようだが、後者はどうもそうではなさそうである。
ケンブリッジ英英辞典のサイト(dictionary.cambridge.org)に行くと、エンパシーの意味は「自分がその人の立場だったらどうだろうと想像することによって誰かの感情や経験を分かち合う能力」と書かれている。
つまり、シンパシーのほうはかわいそうな立場の人や問題を抱えた人、自分と似たような意見を持っている人々に対して人間が抱く感情のことだから、自分で努力をしなくとも自然に出て来る。だがエンパシーは違う。自分と違う理念や信念を持つ人や、別にかわいそうだとは思えない立場の人々が何を考えているのだろうと想像する力のことだ。シンパシーは感情的状態、エンパシーは知的作業とも言えるかもしれない。
EU離脱派と残留派、移民と英国人、様々なレイヤーの移民どうし、階級の上下、貧富の差、高齢者と若年層などのありとあらゆる分断と対立が深刻化している英国で、11歳の子どもたちがエンパシーについて学んでいるというのは特筆に値する。(本書P74〜76)
英国がここまでのことを公立学校教育に取り入れざるを得なかった背景には、指摘されている分断と対立の問題がより深刻で、解決の必要に強く迫られているからという事情があったのでしょうが、日本だって、子どもの貧困の問題等、格差の拡大、固定化による分断と対立の問題は年々深刻化していると言ってよいでしょう。そうした問題の解決のためにエンパシーが必要だとする英国の考え方は一つの有力な指針になるものと考えられます。
シティズンシップ・エデュケーションに近いのは、日本では「社会科」の中の「公民的分野」ということになるのでしょうが、はたしてここまでのことが教えられているのか疑問です。「中立性」にこだわるあまり、当たり障りのないことばかりを問題にして、何をしたいのかよく分からない教育になっていないでしょうか。
分断、対立の最前線の現場に立たされても若い世代がうろたえずに済むだけの準備はしておいてほしいところです。
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