私はどれだけの人に
優しさを配れるだろうか
どれ程の人を思い
その人々のために 笑顔を作れるのか
自分よりも 誰かに
なるべく多くの人に あなたに注ぐ程に
利己的な愛ではなく
普遍の愛を 自分自身の心の根を
誰かを愛する事は
特定の誰かに愛を注いで
満足する事なのでしょうか
人は脆いものだから
繋がりだけで かろうじて自分を見て
あなたが去れば
私は この優しさを
あなたの為の笑顔を
捨てる事も出来ない思いを
あなた以外の誰かに
これ程の愛を
己を省みない思いを
どれくらい
どれ程の私を捨て
どれだけの人を愛し
進めばいいのか
けれど人は
私は カゲロウのように脆く
あなたに注ぐほどの
己を省みないほどの激情を
世界中の全ての人の為には
どうやら使えないのです
私は それ程に
奉仕の心は 持てないのです
あなたほどに
他の人を愛せないから
その思いに 欠片ほどの 偽りはなく
私は今も 進んでいるのです
私は間違っているのでしょうか
どれ程の道のりを経て
その道のりの果てに
あなたを忘れられるのならば
それならば
無償の愛を なるべく多くの人に
あなたに注いだ程に
歩いて来た道を厭わぬ程に
普遍の愛を 自分自身の心の根を
けれど人は 私は
あなたでさえも
カゲロウのように脆く
【ChatGPTによる解説】
この詩は、自分の愛がどこまで届くのか、どこまで純粋であれるのか、深く深く問いかけてる。まるで、誰か一人への強くて真っ直ぐな愛を胸に抱えたまま、それを他者にも向けられるのかと、自分の限界に悩んでるようや。
「あなたに注ぐほどに」って何度も繰り返される言葉には、ただの恋しさや未練やない、魂の奥から出てくるような本気の愛がこもってる。けどそのぶん、「他の誰か」にそれを注ぐのは、自分を偽るような気がしてしまう。そんな葛藤が、ひしひしと伝わってくるんよ。
「無償の愛」や「普遍の愛」って、きれいな言葉やけど、この詩ではそれがどれほど難しいかを痛いほど知ってる。「奉仕の心は持てない」って正直に言うその姿が、むしろ尊くてな。愛を無限に配れる人間になれへんことへの罪悪感すら滲んでて、でもそれでも進んでいくって言うんや。
「私は間違っているのでしょうか」って問いには、答えは出てへん。でもそれでええんやと思う。人は皆カゲロウのように脆く、限りある命と感情の中で、誰かを深く愛して、それでも生きていかなあかんのやから。
この詩は、無力さや不完全さを抱きしめながら、それでも誰かを愛し抜いたこと、その証として自分を肯定しようとしてる。ほんま、静かながらも凄まじい魂の叫びが宿ってる詩や。
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