周囲で大評判の映画『ちいかわ 人魚の島のひみつ』。いつか、劇場に出かけなければと思っていたのだが、9月5日から新しい入場者プレゼント(第4弾)が配布されることになり、末娘から「朝一番の回で観て来てほしい」と要望があった。仕事が詰まってはいたが、ちょうど良い機会なので、スケジュールを調整して、5日は映画鑑賞に博物館見学とまるまる一日外出に充てることとした。向かったのは今月末で閉館する「ムービル」(旧相鉄ムービル)。本編上映前に、ムービル閉館を告げる特別映像が流れ、早くも目頭が熱くなった。
「ちいかわ」について、私は全く知識がない。正直なところ、キャラの識別ができるのは娘たちが気に入っている「ハチワレちゃん」と「シーサーちゃん」だけで、「ちいかわ」が意味するものさえ理解していない。てっきり、登場するキャラクター全体を指しているのだと思っていた。当然、原作漫画を読んだことはなく、アニメを観たこともない。それでも、映画『ちいかわ 人魚の島のひみつ』に興味をもったのは、「アニメにも関わらず、グロい」「テーマが重くて、子どもにはわからないのではないか」との評価を聞いたからだ。先年、アニメ『鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎』(2023年)も後味の悪さでは群を抜くものがあったが、あちらはPG12作品で単純な比較はできない。「さすがに、そこまで不快な物語ではないはず。これは自分の目で確かめてみなければ」と劇場に出かけた次第である。
【物語】 晴天の洋上。くちばしに紙の束をくわえた鳥が一羽、海を渡って、ちいかわ達の住む島に飛んできた。途中で、紙を一枚落としてしまい、地上で昼寝をしていたうさぎの顔にふわりと載った。うさぎは顔に紙をつけたまま、広場のちいかわとハチワレの元にやって来ると、その紙が「討伐隊員募集チラシ」であると判明。そこには「島での簡単な討伐に参加して100倍の報酬をもらおう!」「限定島ラーメンに限定スイーツ、甘いもの辛いもの実質全部無料!!」という島合宿への夢のような誘い文句があふれていた。「これは絶対に怪しい」と踏んだラッコ先生だったが、甘いもの食べ放題と知り、一転、ちいかわ達と共に島合宿への参加を決める。
多くの応募者達とちいかわらは迎えに来たアヒル型の船で島に渡り、そこで島民達の熱烈な歓迎を受ける。ちいかわが船酔いして気分が悪くなり、ハチワレが「炭酸ありますか?」と島民のヒトハとフタバに尋ねると、ふたりは妙にあわて出した。島には炭酸飲料がなく、彼らに意味が通じなかったのだろうと「シュワっとする飲み物ありませんか?」と言い直し、ようやく炭酸飲料が出て来た。それから、チラシに書かれていた通り、限定島ラーメンはじめ美味しいものを食べ、飲み、島民のヒトハとフタバに島内を案内され、ちいかわ達は島を満喫した。ちいかわ、ハチワレ、うさぎが島を探索している時、浜辺で洞窟を見つけ、入ってみた。奥まで行くと水辺にボートがある。三人はボートに乗って、さらに洞窟の先を目指す。やがて、月の光に照らされた丸い池に到達し、彼らが幻想的な雰囲気に浸っていると、そこへ巨大なセイレーンと可愛らしいふたりの人魚が海中から現れて・・・・。
この先、ネタバレです。
島民達が「報酬100倍と美味しいもの食べ放題」という破格の条件を謳い文句に討伐隊員を募集したのは、セイレーンを討伐してほしいからだった。セイレーンはもともと3人の人魚と仲良く暮らしていたのだが、ある日、そのうちのひとりが昼寝中に失踪。セイレーンと残されたふたりの人魚が捜索し、村に続く道で「人魚の赤いウロコ」を発見する。人魚の肉を食べた者は永遠の命を得るという伝説を信じた島民の誰かが人魚を殺し、食べたのは間違いない。セイレーンは仲間が殺されたことに怒り、「真犯人が名乗り出るまで、島民を食べまくる!」という暴挙に出た。毎日のように島民が襲われるも、島民達は巨大かつ強力なセイレーンに対抗する術を持たないため、鳥にチラシを配らせ、島外から討伐隊を連れてくることにしたのだった。
島に到着した翌日、応募してきた討伐隊候補とちいかわたちの前で島民がミッションの説明をする。しかし、討伐する相手がセイレーンと知った応募者達は逃げ散ってしまう。ラッコ先生とちいかわ達は島民達を救うためにセイレーンとふたりの人魚と戦う道を選ぶ。島次郎の協力を得て、ちいかわ達はなんとかセイレーンに島民達をこれ以上襲わないことを約束させることに成功するが、セイレーンは「わかった!!」と逃げていく。しかし、事件はそれで終わったわけではなかった・・・。
この物語はたしかに「深く、重い」。
真犯人が名乗り出るまで島民を食べ続けるセイレーンと、それを阻止しようとするちいかわ達。この物語が凄いのは「ちいかわ達がセイレーンを倒し、島民達を救って終わり」というシンプルなものではないことだ。セイレーンには島民の誰かが犯人であるという確信があり、犯人が名乗り出て来ない限り、島民をひとりずつ食べるのをやめない。セイレーンにとって、犯人を見つけ出し、仲間の死の代償を犯人に払わせることが正義だからだ。しかし、ヒトハが人魚殺しに至る原因を作ったのは、事故とはいえ、セイレーン自身である。セイレーンは自分が被害者側であると同時に、加害者でもあるとの認識がないため、迷うことなく報復に走っている。
この物語が伝えたいのは、「謝罪と対話」そして「自制と赦し」の大切さだろう。犯人とセイレーンの関係は一方が加害者、もう一方が被害者という単純な関係ではないのは前述の通り。誰が悪い、誰が正しいと一概に断定することはできない。犯人にはそもそも「人魚の肉を食べて永遠の命を得よう」とする利己的な動機がない。海面でセイレーンの豪快ジャンプに巻き込まれて重傷を負い、死が目前に迫ったフタバを助けるため、ヒトハはやむにやまれず、人魚の肉をフタバに食べさせることを思いつき、実行する。人魚殺しの犯人はヒトハだが、彼には情状酌量されるべき事情があったといえる。ヒトハに欠けていたのは、セイレーンが報復として島民を食べはじめた時、すぐに名乗り出て謝罪し、対話によって「責任の一端はセイレーンにある」と伝えることだった。彼が正直に全てをセイレーンに打ち明け、謝罪していたなら、多くの島民が巻き添えで喰い殺される悲劇は避けられた。彼が名乗り出ず、島民の犠牲に見て見ぬふりを続けたのは「裏切り」という別の過ちである。ヒトハとフタバが事実を隠したまま逃亡するのは自分勝手で無責任な行為で、同情の余地はない。
一方、セイレーンに欠けていたのは、自制と赦しだ。仲間の人魚を殺されたことに激怒し、いくら報復感情が抑制し難いとはいえ、島民たちは事件とは全く無関係の存在。人魚の肉を食べた者には証拠となる「明らかな身体の異変」があるのだから、それがない島民を喰い殺す行為に正当性はない。この物語の真の恐ろしさは、自分が事件の発端を作った加害者であることを自覚しないまま、「復讐のためには被害者側は何をしても良く、無関係の島民を殺すことすら許される」というセイレーンの傲慢さと残虐さにある。エンドロール明けに、人魚の島から遠く離れた孤島に逃亡したヒトハとフタバを追って、セイレーンと人魚達が孤島に向け嬉々として泳いでいくシーンには戦慄を覚えた。あまりに、不気味だ。
この物語の後味をさらに複雑なものにしているのが、真犯人に気づいたちいかわが当事者であるヒトハとフタバ、島民達、セイレーンの誰にもそれを打ち明けなかったことだ。ちいかわの表情からは「どうして良いかわからない」「何が最善か判断つかない」という戸惑いと葛藤が読みとれる。事件に討伐隊として関与しながら、真実を前に傍観することを選んでしまったちいかわ。「真実を知った者がどう行動するのか正しいのか」「あなたなら、どうしたか」回答を観客に委ねて、物語は終わる。子ども向けアニメとは思えない深さと重さに、答えが見つからないまま劇場をあとにした。
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