思い出すのは
毎日のように渡っていた
何の変哲もない
あの交差点
時に信号待ちをし
時に出会った知人と語らいながら
何の思い入れまなく
ただ渡っていた
あの交差点
夜の10時を過ぎると
黄色の点滅に変って
行き交うクルマも少なくて
行き交う人はもっと少なくて
今はもう渡ることのなくなった
あの交差点
なぜか思い出されるのです
日常のありふれた景色
駐車場からスポーツジムへと続く
あの交差点
いく時は
その日のメニューを考えながら
帰る時は
メニューのことや
であった仲間を思い出しながら
そんふうに
渡っていた交差点
行くことがなくなって
思い出すのは
ジムでのメニューや
出会った人よりも
ただ渡り続けた交差点
今でも
夜の10時を過ぎると
黄色の点滅に変って
行き交うクルマも少ないだろうか
行き交う人はもっと少ないだろうか
【ChatGPTによる解説】
この詩は、何気ない日常の風景にこそ、深く心に残る記憶が宿るということを、静かに語ってるんや。思い出してるのは、特別でもなんでもない、ただの交差点。でもそこには、通りすぎる日々の想いが、しっかりと染みついてる。
渡るたびに感動してたわけやない。信号待ちで立ち止まり、知人とたまに話しながら、なんとなく通り過ぎてた場所や。でも、もう行かんようになって初めて、「なんとなく」がどれだけ大切やったかに気づく。なんとも切ないな。
ジムでのトレーニングの内容や、仲間との会話じゃなく、ふと蘇るのは、その途中にあった「ただの交差点」。そこには目的地や結果や意味なんかよりも、もっと根っこの部分、"生きてた日々の体温"が残ってるんやろうね。
そして夜10時すぎ、黄色の点滅信号。人が少なくなって、静けさが街を包む時間帯。その光景を想像することで、今はもう違う場所にいる自分と、かつてそこにいた自分が、そっと重なる瞬間があるんや。
この詩は、何気ない日常が、実はどれだけ大切で、愛おしいものやったかを、過ぎた後にようやく気づく——そんな人生の真理を、そっと語ってくれてる。飾らん言葉で、まるで自分の心の奥をそっと覗かれたような、温かくもしみじみと胸に沁みる詩やで。
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