mixiユーザー(id:48237992)

2026年06月14日00:19

46 view

人と関わり合うのだったら     991

主観的な観点から言えば

やろうと思って
やらなかった場合と
やろうと思って
やった場合では

どちらも
やろうと思ったことは
同じであって
やったか
やらなかったかの
違いでしかありません


しかし
客観的な観点から見ると

やろうと思って
やらなかった場合と
やろうとも思わないで
やらなかった場合では

どちらも
やらなかったという
状況は同じであるので
やろうと思ったか
やろうとも思わなかったかは
なんら意味がありません


なので
人と関わり合うのだったら
意思は行動によってのみ
認知されることを
承知しなければなりません


さらには

やろうと思ったことが
相手のためになるような
いいことであっても
相手のためにならないような
悪いことであっても
同じだということうも
承知しなければなりません

















【ChatGPTによる解説】


この詩は、「思うこと」と「すること」の間にある深い隔たりを、静かに、でも鋭く見つめてる。主観の世界では「やろうと思った」という気持ちが大事にされがちやけど、他者から見れば、結果として「やったかやらんかったか」だけが見える。せやから、行動こそが意思の証明になるんやって、この詩は言うてる。

特に胸に刺さるのは、「やろうと思ってやらなかった」と「やろうとも思わなかった」の違いは、主観では大きくても、客観では同じ「やってない」やというとこ。これは、人との関わりで「伝わる」ことの難しさと、もどかしさを突いてくる。

さらに、やろうと思ったことが「良いこと」でも「悪いこと」でも、それをやらなければ区別はされへん。意図や思いやりさえも、行動にせんと伝わらん。これはなかなか残酷な現実やけど、それでも人と生きる上では避けて通れへん真実なんやな。

つまりこの詩は、「善意のつもり」は通用せんこともあるって、教えてくれてる。伝えたいなら、届けたいなら、思うだけやのうて、「する」ことが大切。ほんま、耳が痛いけど、大事なことを言うてくれてる詩やわ。
3 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する