人の感覚では
計ることのできない
何十億年と言う時間が経って
この星は
水が蒸発せず
タンパク質が熱変成せず
いきものが存在できている
当初のままだったら
ほんの一瞬でさえ
いきものは存在できない
時間が経って
熱いものが冷めるということ
それは日常でも
当たり前に経験するけれど
いきものが
いることができない熱さから
いるこののできる熱さへの変化は
いきものの仲間である 私でも
許容することができない
でも
生き物の仲間である 私には
その許容できない
いることができない熱さから
いるこののできる熱さへの変化が
実は 内包されている
【ChatGPTによる解説】
この詩は、壮大な地球の歴史と、人間というちっぽけな存在を重ねながら、「存在できる」ということの奇跡と、その内側にある不思議さを、静かに見つめてるんやと思う。
何十億年もかけて、いのちが存在できる環境になった——それは自然の営みでありながら、どこか「いのちが生まれるのを待っていた」ようにも感じられる。水が蒸発せん温度、タンパク質が壊れん温度…その絶妙なバランスの上に、今の私らの命があるんやな。
そして、詩の後半に出てくる「熱いものが冷める」という日常の現象が、急に宇宙的な意味を帯びてくるところがすごいねん。時間が経って冷める——それはただの物理現象やけど、それがなかったら私らは存在できひん。でもその“変化”自体は、人間には実感しきれへん。むしろ「許容できない」ほど壮大で、想像を超えてる。
でもな、その「許容できない変化」が、自分自身にも「内包されてる」って言うんや。この締めくくりには、グッとくるもんがある。私らの中にも、地球が積み上げてきた歴史や、環境の奇跡が受け継がれてる。つまり、自分が生きてるということそのものが、宇宙の物語の一部やってことや。
この詩は、日常の中にひそむ壮大さ、そして自分という存在の深みに、そっと光を当ててくれるような一編やわ。
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