今日はマラ9で、マーラーが完成させている番号付き交響曲としては最後の曲である。昨日がマラ7で、今回なぜ8番ではないのか? という話しなのだが、このところのブーレーズのマーラーチクルスでは8番だけがまだ録音未了なのである。以前に録音がないわけではない(1975年BBC交響楽団)が、如何せん時代背景的にも解釈的にも、また音質的にも現在の最新チクルスとは連続しないのである。出来るだけ早く録音して欲しいところ。それほどブーレーズも危ない齢になってきているということ。
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Gustav Mahler Symphonie No.9 in D-Maj.
Pierre Boulez / Cicago Symphony Orchestra
1. Andante comodo
2. Im Tempo eines gemachlichen Landlers. Etwas tappisch und sehr derb
3. Rondo - Burleske. Allegro assai. Sehr trotzig
4. Adagio. Sehr langsam und noch zuruckhaltend
ベートーヴェン、ブルックナーなど、交響曲の大家とされる作曲家たちは、みな交響曲第9番を完成させたすぐ後に死んでいる。このため、特にブルックナーやベートーヴェンの死を目の当たりにしたマーラーは晩年、交響曲第9番を書くことを非常に恐れていたと伝えられている(第九の呪い)。
そのためなのかどうかは知らないが、マーラーは彼の第9番目の交響曲に番号を与えなかった。つまりそれは交響曲「大地の歌」だったわけだ。それでその完成を見たマーラーは第十番目の曲としてこの9番を書いた。後に奇しくもこの曲は「マーラーの告別の歌」との副題を付けて呼ばれるようになったが、マーラー自身、死への手向けという意味を込めて書いたとされる。そして10番を執筆途中に逝去するのである。
この9番シンフォニーのジンクスは20世紀の巨匠ショスタコーヴィチが交響曲を15曲書いたことによって破られたとされている。
圧巻は三楽章のブルレスケ形式のロンドである。中央部に現れる第三主題の旋律が儚く切なく、またこの上なく美しい。例外と言えるのは四楽章である。通常のフィナーレはアンダンテもしくはアレグロ以上の勇壮な結末を迎えるのだが、この曲の場合はなぜかアダージオであり、緩やかな「亡き子をしのぶ歌」のモチーフで始まり、そして最後は鼓動が停まってしまう様な、敢えて言うなら「こときれる瞬間」を模した様な静寂に満ちた終わり方だ。
この曲は大地の歌の一節、6番で引用された「亡き子をしのぶ歌」、3番全編や5番2楽章などの旋律が走馬燈のようにフラッシュバックして出現し、随所で軽いデジャヴ感覚に襲われる。死が迫り来るときに襲うだろう怖さと理性の葛藤、若き時代から現在に至るまでの生の軌跡とその追憶、自身の病気、夢とその破綻、娘との告別、そして再び訪れた妻との静寂な時間、そして近い未来に訪れるであろう辞世の瞬間に見る空間と光、宇宙、音の響き、去来する血気盛んな頃の記憶と回顧、諦観の霧中に見え隠れしながら天に昇っていく魂は、果たして何を感じ何を思うのだろうか・・。
(録音評)
1995年12月、シカゴ・シンフォニーセンター/オーケストラホールでの4D録音。トーンマイスターはUlrich Vette。普段のVetteの調音とはまるで別物。超高解像度でピンポイント・フォーカスであり、超リアルなサウンドステージが現出する。残響は強めで長め、そして純度は高く無駄はないが、マイラートに比べて重厚な響きである。シカゴの特徴である透徹された空気感、アーバンな質感を余すところなく収録している。
音質はとても良いと言い切れる一枚。
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