今日は、ブーレーズがマーラー交響曲チクルスをVPOと開始した記念すべき一枚、6番「悲劇的」である。
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Gustav Mahler: Symphony No. 6 in A minor "Tragic"
Pierre Boulez / Vienna Philharmonic Orchestra
ウィキペディアからこの悲愴な曲のエピソードを紹介:
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第6交響曲は、「意志を持った人間が世界、運命という動かしがたい障害と闘い、最終的に打ち倒される悲劇を描いた作品」(パウル・ベッカー)といった標題性が指摘されている。また、第6交響曲が作曲された時期は、マーラーにとって指揮・作曲の仕事面でも、健康・家庭の生活面でももっとも充実した、人生最大の幸福な時期にあったにもかかわらず、悲劇的な内容を持つ第6交響曲や「亡き子をしのぶ歌」を作曲し、その後1907年にマーラーは長女の死に遭い、それとともに自身の心臓病が発覚、さらに宮廷歌劇場を辞してウィーンを去ることにもなった。これらの事実関係から、この曲は将来のマーラーの運命を示唆する、「予言的作品」ととらえられる場合がある。
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この同じ時期に歌曲の『亡き子をしのぶ歌』というのを書いているが、三楽章の冒頭、Vnで奏でられるたおやかで瞑想的な第一主題がその歌曲の旋律そのものである。この主題は幾つかの変奏を伴って悲哀が一気に昂じてピークとなり、そして徐々に沈静化して静かに終わる。
上述の引用にある通り、その数年後にマーラーは現実に自身の長女を失っており、また自身の心臓病が発症し、そしてウィーンから故郷へ戻るという悲観的な転機を迎える。何やら自分の暗い将来を暗示するかの如くの重たい曲であるのは事実。古典的な4楽章形式だが、息が抜けるのは緩徐楽章である3楽章だけであり、あとは緊迫した曲進行である。
ブーレーズは例によってクールでドライな解釈を展開している。アバドやテンシュタットのような猛烈な感情移入は微塵も感じられない淡々とした演奏であり、決して「悲劇的」ではない、との誹りを受ける向きもあろうかと思う。この曲は音響的にはティンパニが大活躍し、カウベル、ベル、そしてハンマーが象徴的に使われる興味深い作品で、何か動機を補完する暗示が込められている風だ。スコアを読めばなにか手掛かりが得られるかも知れない。
(録音評)
1994年5月、ウィーンの楽友協会・大ホールでの収録。DGの4D録音。尚、これは正真4D録音であり、Rainer Maillardの真骨頂が発露した傑作中の傑作といって良い。
マイラートによる最新ムジークフェライン収録は4Dではなくマイクを少なめに配置したワンポイント調のものだが、このCDは典型的なマルチマイク録音である。昨日の5番はこのCDの数年後に同じホールで録られたものだが、その傾向はこれとは大きく違い、ワンポイント風に挑戦するもピントが甘くなったもう一息の出来と言えよう。
ステージの奥行きは恐ろしく深い。楽器の定位は精密なピンポイントであり、この曲の特徴であるパーカッションの鋭角的な捉え方は写実的でリアルだ。ブラスもこれらと同様、先鋭的な響きを伴ったビームを散乱させる素晴らしいもの。
三次元のキャンバスにデジタル・ディレイを駆使して描いた「騙し絵」だと分かっていながらもドップリとした音世界に浸ることが出来る収録。敢えて騙される事を潔しとするならばオーディオ的快感がとても堪らない一枚といえる。音場派オーディオマニアは必携だろう。
ただ思うに、ステージ音場をここまで完璧に描き上げるだけのマイラートの技巧を持ってするなら収録場所がムジークフェラインである必要は必ずしもない。
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