大好きな俳優ブラッド・ピットの最新作『ハート・オブ・ビースト』(2026年、原題:Heart of the beast)を公開初日に観て来た。TVCMが入るたびに、「観たい、観たい、観たい!」(by 京本「ルックバック」)と思っていたので、初日に劇場に駆け込むことができたのは嬉しかった。ブラピが愛犬と大自然の中でサバイバルする映画であることは予告編からわかっていた。ただ、タイトルにある「ビースト」は愛犬をさしていると思っていたが、アラスカの最深部、前人未踏の苛酷な魔の領域を「ハート・オブ・ザ・ビースト」と呼ぶのだそうだ。
ブラピが演じるのは、合衆国陸軍に30年奉職し、3年前に除隊した元軍人ジェームズ・ベルモント。若く美しかったブラピが、今は無精ひげだらけで風格ある中年男を演じるのだから、歳月の流れをひしひしと感じる。彼と同じ時代を生き、同じ時間を過ごした私も老いるわけだ。今回、ブラピの最新作を観られたことは嬉しかったが、何よりうれしかったのは、これまた大好きなJ・K・シモンズが短いシークエンスながら本作に登場していたことだ。実は、彼がスクリーンに登場するまで出演しているのを知らずにいた。シモンズが演じたのは、もと金鉱掘りでたった独りアラスカを旅するワトキンスというネイチャリストだ。このワトキンスがとても良かった。アラスカの大自然に馴染み、全身からこれまで生きて来た歳月の重みを感じさせる冒険家ワトキンスは素晴らしく魅力的だ。将来、アラスカに移住する時は彼のように生きてみたいと思った(移住の予定はないけど)。
【物語】 ジェームスは愛犬オーディンと共に小型水上機でアラスカにやって来た。彼は長い間、特殊部隊グリーンベレーで軍務を続けてきたが、3年前に戦闘偵察犬(K-9)オーディンと共に除隊したのだった。オーディンはジェームズと共に参加した作戦中に右前脚を失って、義足をつけ、さらに、敵兵に飛びかかった際、逆襲を受け、煉瓦で歯を折られていたため、チタン製の義歯になっていた。オーディンを傷つけた敵兵はいずれもジェームズが射殺している。ふたりは危険な戦闘をいくつも生き抜いた「かけがえのない戦友の絆」で結ばれていた。戦闘K-9のオーディンは兵士達と共に過ごした戦場体験によって、PTSDを発症し、睡眠中に悪夢を見てうなされることがあった。そんな時、ジェームズはオーディンを優しく抱きしめ、「大丈夫、夢だ。もう戦場ではない」とオーディンの首筋をなでながら、耳元でささやくのだった。
水上機でアラスカの湖に着水、岸に降り立ったジェームズとオーディンはさっそく、キャンプの設営にとりかかった。水上機から荷物を下ろし、テントを張る間、ジェームズはオーディンに「監視!」と命じる。ここは人里離れたアラスカの奥地。どんな危険があるかわからないからだ。オーディンが周囲を警戒している間、ジェームズは水上機を係留し、たくさんの荷物を下ろすと焚火を熾し、テントをたてはじめた。準備が終わると、ジェームズはスコープ付きのライフルを手に、オーディンと散策に出る。人の手が入らない、あるがままの大自然がそこに広がっていた。草原のはるか彼方に大きなヘラジカ(ムース)が歩いている。ジェームズはスコープでヘラジカを捉えると、「ここは想像した以上の世界だな」と満足そうにオーディンに話しかけた。夜、テントの中でジェームズは就寝前に読書を楽しむ。彼が読んでいたのは、終末世界を描いたコーマック・マッカーシーの小説「ザ・ロード」だった。それは気候変動によって地球上の動植物のほとんどが死滅した、文明崩壊後の暗黒の世界を生き抜く父子の物語である。オーディンがジェームズの身体に寄り添い、本に鼻を乗せて来たため、「わかったわかった、もう寝よう」と彼は読書をあきらめ、眠ることにした。
鬱蒼としたアラスカの原生林をジェームズとオーディンは散策していた。樹上に停まっている猛禽類をライフルのスコープで確認したジェームズは手にした「鳥類ガイドブック」にチェックして、微笑んだ。彼はアラスカに棲息する野生動物を記録していたのだ。その時、オーディンは突如、警戒姿勢をとり、低く唸り声をあげた。ジェームズは危険が迫っていることを悟り、肩からライフルをおろして警戒する。すぐ近くに、見知らぬ初老の男(J・K・シモンズ)が立っていた。男が右腰につけたホルスターには大口径のリボルバーがおさまっている。「驚かせるつもりはなかった。水上機を見かけたので、気になってね」と男は両手を広げた。敵意はないようだ。しかし、男のホルスターが右腰の前、リボルバーを抜き射ちしやすい場所につけているのがジェームズには気になった。信用するのは早すぎる。「私はワトキンスだ」 男はそう名乗ると、手を差し伸べた。「ジェームズだ」と名乗りはしたが、握手には応じなかった。「警戒するのもわかる。当然だ。独りで200kmほどカヌーを漕いで来たが、この辺りで人を見かけたことはない。こんな場所に興味を持たれるとは素晴らしい。申し訳ないが、君のテントのすぐ近くにテントを張らせてもらったよ」 ワトキンスが自分達のテントの近くにテントを張ったと聞かされ、ジェームズは少し落胆した。人と離れ、自分達だけで大自然を楽しみたかったのに、見知らぬ男に邪魔されることになるとは。「大丈夫、明日の夜明け前には私は出発する」 ワトキンスは付け加えた。
夜、ジェームズはワトキンスと焚火をはさんでチェアに座っている。ワトキンスは思いのほか、会話好きだった。アラスカの最深部をたった独りで旅を続け、久しぶりに遭遇したジェームズとオーディンに興味が尽きないようだ。彼は観察力が高く、ジェームズが元軍人であることも、オーディンの歯が普通とは違っていることにもすぐに気がついた。そして、自分が金鉱掘りだったこと、仕事に打ち込み、金鉱掘りの仕事がとても楽しかったことなどを懐かしそうに語って聞かせるのだった。悪い男ではない、ジェームズはそう感じた。抜き射ちしやすい場所につけた大口径リボルバーのホルスターは危険な旅を続ける上で当たり前の用心深さゆえだろう。彼はクーラーボックスからビールの小瓶を出して、栓を抜くと、ワトキンスに手渡した。ワトキンスは目を輝かして、瓶ビールを受け取る。こんな場所で冷えたビールを飲めるなんて、夢のようだ。「ワーオ! これは美味い! 変わったビールだね」とワトキンスが大喜びすると、ジェームズは答えた。「ベルギーの地ビールだ。これが気に入ってね、何年も取り寄せて飲んでいる」 ワトキンスが喜んでビールを褒めたことがジェームズには嬉しかった。「ここでキャンプを続ける気かね? 明日は嵐が来るぞ」とワトキンスはジェームズにアドバイスをした。
夜明け前、ワトキンスはジェームズのテントのそばにプレゼントの本と手紙を置き、別れも告げずに出発した。ジェームズが起き出し、彼の手紙に気づき、読む。そこにはビールのお礼と共に、ジェームズとオーディンの「強い絆に感銘」を受け、愛読書の一節を思い出したので、その本を置いていくこと。申し訳ないが、クーラーボックスからもう一本ビールを黙っていただいた詫びが書かれていた。ジェームズはワトキンスから贈られた本を開き、ワトキンスが「ジェームズとオーディンの姿と重なった」とした箇所を静かに読んだ。
ジェームズはワトキンスのアドバイスを入れ、移動することにした。オーディンに出発準備中の間、周囲の警戒を命じると、次々に荷物を積み込み、水上機はエンジンをかけて離水して行く。嵐の接近を思わせる黒雲の中、水上機は飛行。眼下に雄大なアラスカの広がっていく。その時、ジェームズは左腕に痛みを覚え、肩を回したり、腕をもんだりしていた。戦場で負った古傷が痛むのかと思った瞬間、左胸を押さえ、苦しさに悶絶。計器盤に突っ伏して痛みをこらえる。オーディンはジェームズの異変に気づき、心配そうに彼の身体に鼻をつけるが、ジェームズは胸を押さえ、伏せたまま動けない。高度がみるみる下がって、森林の樹木が翼をかすめる。オーディンはジェームズを起こそうとしきりに吠えるが、ついに翼が樹木にもぎとられ、機体が破損。ドアが吹き飛ばされた開口部からオーディンは機外に放り出されてしまった。水上機はそのまま急角度で湖に突っ込むと、ジェームズを乗せたまま、湖底に沈んで行くのだったが・・・。
退役した元陸軍特殊部隊兵士と退役した軍用K-9への理解と畏敬の念を感じさせる佳作だった。台詞はひとつもないが、実のところ、本作の主役はブラピが演じた退役軍人ジェームズ・ベルモントではなく、戦闘偵察K-9のオーディンだと言って良いだろう。彼の「困ったような表情」がとても可愛らしい。物語の途中で、彼らの作戦行動中の過去映像が何度もインサートされるが、その全貌がわかるのは物語の終盤になってからという構成が巧い。
この先ネタバレするので、ご注意願いたい。
ジェームズが陸軍を去る決心をしたのは、ひとつにはオーディンが重傷を負って現役を引退するしかない状況になったことだろう。義歯はともかく、義足では長距離長時間の作戦に従事することはできない。さらに、PTSDで夜、悪夢をみてはうなされていて、オーディンは戦闘偵察K-9としての限界を明らかに超えている。最初から訓練に携わって来たジェームズがオーディンの「第二の人生」を自分が面倒をみたいと考えるのは自然だし、オーディンにつらい体験をさせてしまった責任を彼は強く感じていたからだ。
もうひとつは、ジェームズとオーディンが参加した作戦で「彼ら以外は全員戦死した」ことが大きいと思う。陸軍最先任曹長であるジェームズがチームを指揮をとっていた可能性は考えられるが、将校が指揮していたと解釈する方が合理的ではないかと思う。退役を選んだのは彼自身、重傷を負ったことより、指揮官を喪い、チームの兵士達を戦死させてしまった後悔と罪悪感からだったに違いない。残念ながら、インサートされた過去映像からは作戦目的が捕虜奪還だったのか、要人暗殺だったのかは不明だ。ただ、想定を上回る強力な敵と遭遇もしくは待ち伏せを受けたものと想像される。
嵐を避けるために水上機でキャンプ地を飛びたったジェームズが操縦中、心臓発作に襲われ、湖に墜落してからのサバイバルを描くのが本作のテーマである。機外に放り出されたオーディンの捜索と救命活動。水上機を失い、人と遭遇できる最も近い幹線道路まで約90kmをアラスカの最深部「魔の領域=ハート・オブ・ビースト」を踏破しなければならない。普通の人間は、間違いなく生きて還ることはできないだろう。元特殊部隊のジェームズならではのサバイバルテクニックと、元戦闘偵察K-9オーディンの見事なコンビネーションによって、困難を次々に乗り越えていく様がとても興味深かった。惜しむらくは、水上機が墜落し、ジェームズがスコープ付きのライフルを失って、機内から回収した荷物から取り出した大型のコンバットナイフと腰の小さなナイフで生き抜かねばならなかったことだ。彼は墜落後、オーディンが快復してから、すぐに太い木の枝にコンバットナイフをパラシュートコード(落下傘用の丈夫な紐)でくくりつけ、手製の槍を作った。グリズリー(灰色熊)やボブキャット(山猫)、狼など危険な野生動物に対抗するためだ。もし、序盤に登場したワトキンスのように大口径リボルバーを肌身離さず携行していたのなら、彼らの運命はまた別のものになったはずだ。それが、悔やまれる。
※人跡未踏の「魔の領域」を行くジェームズとオーディンは、やがて狼の群れにつけ狙われる。最後の10km地点で、夜明け前にジェームズとオーディンは狼たちに突然襲撃されて防御戦闘となるが、他に策はなかったのだろうか? 同じ結末は避けられなかったとしても、元特殊部隊兵士らしい「何か対抗策」を見せてほしかった。
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