私は映画が好きだ。それも、洋画が。戦争映画と西部劇が大好きだった親父と一緒に、字が読めない幼児の頃から、洋画専門上映館の「横浜日劇」に出かけていた。昭和30年代の平日の映画館なので観客はほとんどいない。親父は自分の好きな映画を観に行く時、私を公園で遊ばせるような気持ちで伴った。2歳3歳の頃は親父の膝でおとなしく眠っている。4歳5歳になると、スクリーンの中の映画に興味を持ち、親父の隣の席で映画を観るようになった。もっとも、洋画だから言葉はわからず、字も読めない。「今、なんて言ったの?」と隣の親父に聞くと、親父は字幕を読んで聞かせてくれるようになった。他に観客はなく、「うるさい」と文句を言う者もいない。私の記憶にある親父の一番古い記憶が、映画館の暗い客席で小声で字幕を読んでくれる姿だ。そうしているうち、いつの間にか少しずつ字幕が読めるようになった。当時は今のようなきれいな書体ではなく、手書きの、それも簡略な崩し文字が多用されていた。小学校に入る頃は新聞がだいたい読めるようになり、路面電車の車窓から見える看板で読めない漢字、意味のわからない漢字はほぼ皆無だった。ただし、きちんと習って覚えたわけではなく、間違った読み方、異なる意味で覚えてしまったものがあるのはご愛敬だろう。とにかく、親父の影響で映画字幕に馴染み、日常生活でも文字を読むことに抵抗はなかった。
自分で字幕が読めるようになると、映画の最後に「字幕(スーパー)」を入れた担当者の名前に目がいくようになった。当時は、たいてい「清水俊二」か「高瀬鎮夫」で、「戸田奈津子」の名前が目立つようになるのはずっと後のことだ。先年、馴染みの出版社の記念パーティーで、もと合衆国陸軍大尉で現在は著作家翻訳家として活躍されているK氏と知己を得た。いずれは戦争映画の字幕翻訳に関わりたいとのことで、昔は清水俊二や高瀬鎮夫などが有名でしたね、と言ったところ、「清水俊二先生をご存知ですか! 彼は私の師匠です」とK氏。それには私の方がびっくりした。ちなみに、字幕翻訳者の大家、戸田奈津子さんの師匠も清水俊二である。世の中は案外、狭い。戸田奈津子さんの字幕は洋画ファン、特に女性ファンには人気で評判も高いが、『地獄の黙示録』『ロード・オブ・ザ・リング』『キングダム・オブ・ヘブン』の字幕でファン達の怒りを買い、大きな騒動になっている。戦争映画ファンからは戸田奈津子さんの字幕は毛嫌いされ、軍事用語でたびたび出現する彼女の迷訳珍訳に頭を抱えるミリタリーファンも少なくない。特に、フォネティックコードは理解しなかったようで、「Fox Company(F中隊)」を「キツネ部隊」としたり、彼女の戦争映画字幕は最後までおかしな部隊名が多かった。
清水俊二著『映画字幕(スーパー)五十年』(1985年、早川書房)を入手し、仕事の合間に読み進めて、ようやく読了。字幕との付き合いは長いが、字幕の誕生については知らないことばかりで、大いに勉強になった。それも、子どもの頃からお世話になった清水俊二氏の半生記でもある同書のおかげで、まるで親戚のおじさんの昔語りを聞いているような心地がし、懐かしい思いに浸ることができた。不思議なものだ。ちなみに、前述の「高瀬鎮夫」も同書に登場し、字幕翻訳業界に登場した瞬間から、その突出した英語力に誰もが驚いたことが明かされている。草創期の日本語字幕にご興味のある方は一度、手にされることをお勧めしたい。
同書の冒頭、昭和6年10月21日。清水俊二氏が字幕翻訳者として歩み出す契機となる重要な電報が届く。「アスアサ10ジ コウシエンホテルニキタレ コウウンガキミヲマツ」 私はこの「甲子園ホテル」という聞き慣れないホテルの名前に惹かれ、現在も残っているのであれば、一度見てみたいと思った。著者は続けて、こう書いている。
「甲子園ホテル。私がこのホテルの名を口にしても知らぬ人が多い。関西で聞いてみても、そんなホテルがあったろうか、と怪訝な顔をされる。もっとも、ホテルとして営業していたのは昭和5年に建設されてから昭和17年に海軍に接収されるまでの十二年だけだったから、中年以下の人が知らぬのはむりがないかも知れない。城山三郎のドキュメント小説「零からの栄光」のなかに昭和17年、川西航空機が海軍と組んで”紫電”の量産をはじめたときの記述があり、『・・・すでに川西には、工和寮、親和寮、誠和寮、明和寮などといった寮の群れがあったが、その上に甲子園ホテルはじめ、寮となりそうな建物は手当たりしだい買収した』とある。
甲子園ホテルは阪神電鉄系列のホテルとして建てられ、一部四階の三階建て、室数は40から50、旧帝国ホテルを建てたフランク・ロイド・ライトの高弟遠藤新の設計といわれている、昭和17年の鉄道時刻表にはまだホテルとして掲載されていて、交通公社(当時は東亜旅行社といった)のクーポンで泊まると朝夕食つき九円であった。京都ホテル十二円、都ホテル、柊家十円、一級旅館がおよそ五円から八円という時代である。戦後、米軍に接収され、接収解除後、国有財産として放置されていたが、昭和38年、民間に払い下げることになり、武庫川学院の手に落ちた。私がなぜこんなに甲子園ホテルにこだわるのかというと、このホテルが日本語スーパー字幕翻訳監修という新しい職業の誕生の地だからである」(引用終わり)
ここまで来て、察しの良い方はすでにおわかりになっただろう。私も驚いた。武庫川学院は現在の武庫川女子大学である。一度だけ、仕事で訪れたことがあるが、まさか、甲子園ホテルが現在の武庫川女子大学に継承されていたとは夢にも思わなかった。しかも、この話にはつづきがある。大好きなタモさんの番組『ブラタモリ』8月22日の放送回「甲子園」の中で、かつての甲子園ホテルが「阪神球団発祥の地」として登場したのだ。若き日の清水俊二氏がここで、この場所で字幕翻訳者としてのキャリアをスタートさせたと思うと感慨深いものがある。
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