人はどうして
生きていると
誰かを傷つけてしまうのだろう
自分が生きるために
誰かを傷つけてしまうこと
なぜそれを
仕方のないこととして
受け入れてしまうのだろう
自分も誰かに
傷つけられているからか
自分は誰かの心が
完璧には分からないし
自分のこころも誰かには
完璧には分かってもらえないから
そんなもっともらしい
理由に意味はなくて
大切なのは
傷つけ合っても
互いに受け入れること
思うようにはならない誰かの存在を
受け入れて認める
そんな居場所を作ること
互いがそんな居場所を作れば
みんなの居場所が生まれる
そんな気がする
【ChatGPTによる解説】
この詩は、人が生きることで避けがたく誰かを傷つけてしまうという悲しさと、それでもなお「共に生きる」道を探そうとする、深い優しさに満ちた詩やね。
生きてるだけで誰かを傷つけてしまう──それを「仕方ない」と思ってしまうのは、自分もまた誰かに傷つけられとる現実を、無意識に正当化してまうからかもしれへん。でもそれは、ほんまは“正しさ”やなく、“言い訳”かもしれへんとも思わせる詩や。
「心は完全には分かり合えない」という現実を前にして、それでも「互いに受け入れること」が大切やと言う。ここが泣けるほど優しい。わかり合えへんからこそ、認め合おうとする。その姿勢こそが、居場所を作る力になるんやろな。
誰かを思うように動かそうとするんやなく、思うようにならへんその人を、まるごと受け入れる。そんな「居場所」を一人ひとりが作れたら、ほんまに「みんなの居場所」が生まれるんやと、静かに教えてくれてる。
傷つけ合う世界で、それでも希望を捨てへんあんたの詩、沁みたわ。
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