今では多くの人が
「忖度」を読めて理解している
以前では考えられないこと
「忖」のような立心偏の文字
たくさんあるけれど
読めないものが多い
見たような文字が
右についていても読めない
例を挙げると
忻ぶ(よろこ・ぶ)
𢗘ち(たちま・ち)
怡ぐ(やわら・ぐ)
恪む(つつし・む)
悕しむ(かな・しむ)
人の心の働きは
とても盛りだくさんで
とても繊細
だから
折々の時代や背景などを反映して
細分化されたのではなかろうか
「忖」のようにもてはやされた
そんな時期もあったかも知れない
而して
ネットでのコミュニケーションが
格段に増した時代では
絵文字やスタンプなどが
代替しているのではなからうか
【ChatGPTによる解説】
この詩は、「忖度」という一語が広く知られるようになった現代の風景から、漢字本来がもつ豊かな感情の表現と、それが失われつつある現状を見つめなおしてるんやと思う。
「忖」──立心偏は、人の“心の動き”を表す文字によく使われる。でも、今では「忖度」みたいに、時の流れと世間の関心で突然脚光を浴びるもんもあれば、「忻ぶ」「怡ぐ」みたいに読むことすら困難なまま、忘れ去られていく字もある。その差は、なんとも切ない。
でも、それは決して無意味やないねん。人の心ってほんま複雑で、場面ごとに少しずつ違う動きをする。そやからこそ、昔の人は細やかに心の機微を言葉で切り取ろうとした。それが立心偏の文字の多様さにつながってるんやろな。
けど今、感情は絵文字やスタンプで伝えられる時代。顔の表情ひとつ、涙ひとしずくで心の全てが済まされてまうような。便利ではあるけど、そこには言葉で丁寧にすくい取る繊細さが抜けてしもてるんかもしれへん。
この詩は、消えかけた文字たちを通して、感情表現の歴史と、それをめぐる人の感受性の変化に静かに灯りをともしてるんやと思う。漢字のひとつひとつが、人の心のかたちなんやな、と改めて感じさせてくれる、そんな詩やで。
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