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2022年02月18日18:05

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表面上の平穏無事の背後に潜むもの

 このところ、ようやく日本でも時々、freedom convoyについて報道されるようになりました。カナダの首都オタワではすでに2週間にわたって新型コロナウイルス規制に反対するトラック運転手ら(ワクチン接種反対派)の抗議デモによりトラックが中心部を占拠し続けているのです。また、米北部のミシガン、ノースダコタ、モンタナの3州とカナダを結ぶ国境3カ所が封鎖されました。カナダのジャスティン・トルドー首相は2月14日、緊急事態法(これにより、抗議デモに対処するための一時的な権限を連邦政府が握ることになる)を発動したようですが、その後どうなったかの情報を私は把握していません。
 友人のカナダ人(Gさん)はもう気が気ではありません。Gさんは元々ワクチン接種賛成派だったこともあって、反対派によるこのような暴挙に激しく憤り、この人にしては珍しく反対派を口汚く罵り、あのようなことが起こらない日本に自分が居られて本当に良かったと言うのです。
 言われた私の心情は複雑です。一面では、かれこれ20年以上も日本に暮らしているGさんが、それだけ日本の社会に馴染んでいることの現れとして喜ぶべきことと言えるのかもしれませんが、他面では、Gさんが馴染んでいる日本社会の表面上の平穏無事には大きな問題が潜んでいるのもまた事実だと思えるからです。
 一例を挙げれば、首相の記者会見。そこでは、米国大統領の記者会見でしばしば見られるような記者と大統領との丁々発止の質疑応答はほとんど見られません。日本には、記者クラブという前近代的な組織があり、そこが記者会見の場を事実上仕切っているので、同クラブに睨まれた記者(当局が隠したいこと、当局にとって都合の悪いことを質問してくる記者)は、予め記者会見の場に出席することすら許可されなくなるのです。この結果、記者会見はいつも何事も問題がなかったかのように和やかに終わります。国民はいつまで経っても問題の本質に向き合えません(後になって、知らないうちに決まってしまったなどと文句を世間話でボヤく愚行を繰り返してます)。
 日本という国は昔からこういうことをしてきました。多数派になびかない者、何らかの意味で都合の悪い者、厄介者を、こうやって、社会から隔離、排除し、その隔離された人間の人権を事実上日常的に奪い、表舞台(社会)では活動しにくくすることによって、表面上の平穏無事を保ってきたという闇の歴史があるのです。
 その最も悪質な例を挙げれば、ライ病患者に対する隔離政策ということになるでしょう。プロミンという特効薬が1941年に開発され、1943年にはその有効性も確認されていたというのに、日本は何とその10年も後の1953年にらい予防法をつくり、らい病患者の隔離政策を始めたのです(しかも同法は1996年まで廃止されませんでした)。ライ病患者を社会の表舞台から事実上消すことで、表舞台の平穏無事を図ったわけです。
 似たような例は、現代でも、上述の首相の記者会見の他にも幾らでもあります。
 例えば、株式会社の株主総会、社団法人の社員総会も(少しづつ改善されつつあるとはいえ)何か問題を指摘したり、内部告発などをした人は、白眼視され、「モノ言う株主」などと報道に取りあげられる実態があります。株主、社員である以上、総会に出席してその意見を言うことなどは当たり前のことのはずなのに、日本ではそれをやると、ニュースになり、場合によっては干されたりするのです。おかしいと思いませんか?
 また、「部落差別」(この差別自体は1000年も昔からあるものですが)も、こうした隔離、排除して事実上表舞台(社会)から抹殺してきた日本の闇の歴史に含めて差し支えないでしょう。特定の地域を「部落」とし、そこの住民を「えた」とか「非人」と呼んで差別し、特定の卑しい(と多数派が見る)職業に就くことしか認めないことで、彼らが社会の表舞台に出てくることを封じてきたわけですから。彼らは今でも、就職や結婚等で苦労しています。ひとたび部落出身者と分かると拒絶されることが少なくないからです。
 一部の精神病院の実態も、この日本の闇歴史を反映したようなところがあります。
 日本の精神医療は他の先進諸国に比べて半世紀は遅れていると云われています。私立の病院、病床数が異常に多く入院期間も数年に及ぶものがザラです。
https://synodos.jp/opinion/society/22678/
 これらのことが何を意味するかというと、何らかの形で社会に適応できない人々をいい加減な基準によって精神病患者に仕立て上げ、強制入院という形で長期間、社会から隔離し飼い慣らしてしまうことが可能になるということです。実際、東京八王子の滝川病院事件のように過去にも問題となったことがあります。
 精神病院は治療施設ではあっても、その一部は実質的には社会的に厄介な人々が表舞台に出て来られないように、これを社会から隔離し収容しておく施設と化しているわけです。これは、もはや強制労働を伴わない収容所と言っていいでしょう。
 先ごろ、スリランカ人のヴィシュマさんが死んで今なお問題になっている入管も、いわば外国人用の収容所と化していると言えるでしょう。こちらは治療施設ですらありません。
 要するに日本の表面上の平穏無事は問題に直接向き合ってそれを解決して得られたものなのではなく、何らかの意味で都合の悪いところが表面に出ないように、不都合な人々を隔離・排除し、社会的に抹殺することによって得られたものでしかないのです。
 これは、切り捨て、排除の文化というほかないと思います。それが究極的に現れた例は死刑制度に対する日本人の評価だと思います。今日、大部分の先進国で廃止されている死刑制度が日本では存続しているだけでなく、今なお80パーセント以上の国民が、その存続を支持しているのですから(死ねば「死人に口なし」で幾らでも問題を隠蔽できます)。
 こうした冷たい文化に支えられた社会は、自分が強者・多数派に属し表舞台に居られる限りは、居心地の良いものかもしれません。しかし、ひとたびそこから外れると、先進国とは信じられないくらいの恐るべき「貧困」に晒されることになります。人権保障の「貧困」、子どもの「貧困」、生活の「貧困」等々、実際にそうなっていることは、ご存知の方も少なくないことでしょう。
 freedom convoyのような対立・分断が進む海外のニュースを見て、他岸の火事と思うのではなく、日本の平穏無事にも実は大きな問題が潜んでいることは絶えず意識しておく必要があると思います。
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