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2019年06月20日22:28

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麻布十番から六本木一丁目へ

6月19日(水曜)
今日は午前中は晴れだけど午後から曇って、二時過ぎから雷雨雷雨になるって予報だったのでした。
かなり自信ありげな予報でしたから、昨夜からヨメはんに”明日はカッパを持っていったほうがいいよう”って経験豊かな夫らしくアドバイスして、朝も念押ししたのでありましたが、どっこい、午後からどんどん晴れていって、二時過ぎに図書館に歩いて行ったら日差しが強くて暑いのなんのあせあせ(飛び散る汗)
やい!夫の立場はどうなる泣き顔

「昨日のことは今日中に!」って日記を書くための標語を考えたのですが、パソコンに向かってもなかなかその気になれず、ようやく書き始めてもすぐに詰まるので、家事で発散しようと玄関先と団地の階段を掃き、風呂の掃除もして、ひと息ついて麦湯を沸かそうとしました。
麦茶のパックを茶筒から出して薬缶のお湯が沸くのを待ってるうちに、”そうそう、今夜のソーメンつゆも作らんとなあ”って思い付き、目の前の棚に置いてある出汁パックを入れてある瓶を見たら空っぽです。
そこで、引き出しから出汁パックのつながってるのを出してきて一つ一つ切り離して空き瓶に入れ替え、手鍋のお湯が沸いたので入れようとしたら調理台にもう一つパックがあります目
あれっ!?
すると薬缶が沸騰してカタカタいう音がしてきたんで、一瞬呆然としました。
そうか、麦湯を作ろうとしてたんだ…
ん、どっちがどっちだっけ?
思わず両手にパックを取って眺めてしまった醜態を思い返すだに、情けないったらありゃしません。
それに近頃たびたび調理中に段取りが狂ったり、”あ、あれもやっとかなきゃ”なんて思いつくと今やってることの手を放して棚や冷蔵庫を開けるんですが、そこで”はて、何をしようとしたんだっけ?”なんて佇んでしまうことも多いんですよねえ。
こりゃ「今の目の前のことは今!」って標語を先に台所に張り出さなくちゃイケマセンぞ。
あ、日記を書いてる途中でしたねえわーい(嬉しい顔)

昨日は西武新宿線の「中井」まで行き、地下化のためすっかり新しくなって様変わりした駅に寂しさを感じ、核シェルターになりそうだなあ、なんて思いながら都営地下鉄大江戸線「中井」の地下深く降りてゆくエスカレーターに乗ったのでした。

着いたところは、なんと麻布十番の蕎麦屋であります危険・警告
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遥か向こうに見えるのは六本木ヒルズでございましょうなあ。
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杉浦日向子さんに影響を受けて蕎麦屋に凝っていた時代がありました。
さて、いつ頃のことだったかと「もっとソバ屋で憩う」って文庫本を日向子さんコーナーから出してきて奥付をみたら、平成14年11月1日発行となってました。

多分その頃なんでしょ、大学のサークルの先輩で我が青春を混沌の渦に投げ込んでくださったうれしい顔作詞家のK氏を、”佳い蕎麦屋らしいから昼過ぎに会ってのんびり飲みましょうよう”なんてお誘いして待ち合わせたのに、何故かすっぽり抜け落ちたように忘れて、同期の姥桜たちと目黒の庭園美術館で”どうしたんだろうねえ?Kさん遅いねえ、急な仕事でもはいったのかなあ”なんて待ってたら、携帯電話が鳴って、”馬鹿野郎!待ちくたびれたからもう帰る!!”なんて怒鳴られたことがありましたっけ。
次に同期の姥桜を引き連れてった時はお休みだったてんですから、はい、15年越しくらいの因縁の店なんであります。
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いや、昼からいただく赤坂地ビールは殊の外おいしゅうございます。
このビールは意外にも「ホッピービバレッジ」ってホッピーで有名な赤坂の会社が作ってるんです。
あ、有名って言っても呑み助の限られた世界でのハナシで、東京の安直な下町酒場のオジサンたちにしか馴染みのなかったホッピーが、不況による居酒屋ブームと三代目社長のホッピーミーナこと石渡美奈さんの活躍で今や全国の酒場で飲めるようになったんでございますよ。
貧乏人の懐に優しくて、安焼酎を割って飲む、もつ焼き・焼き鳥に最適にして糖尿病のオッサンたちの強い味方なんであります。
ただ、ご家庭で飲んでもちっともおいしくないのが玉に瑕で、それがまことに不思議でありますからご注意くださいませ。
そのホッピービバレッジが1994年の酒税法の改正で作ることが可能になった地ビールに取り組みまして、これが好評で、今では各地で愛されるようになったんですよねえ。
深大寺ビールでしょ、調布ビールでしょ、日本橋ビールでしょ、あ、それにジブリ美術館で飲んだのも…いや、違うでしょう!
やっぱり、調べたら「風の谷ビール」は静岡県の丹那盆地にある観光施設「酪農王国オラッチェ」で作られてるそうです、そりゃそうだよなあ。
そのうち「麻布十番ビール」ができるかもね。

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夜にコンサートを楽しむ予定なので、ビールのお代わりはせず、お酒も頼みませんでしたから卵焼きの味が今ひとつでございました。大根おろしを梅干しと見間違えたヨメはんも甘すぎるねえって言ってましたけど、これは酒のアテにもならない参考意見にすぎません。
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量もたっぷりで、これで麻布十番価格でなかったらいうことないんですが、今の麻布十番の土地価格を考えると致し方ございません。

日向子さんのー
この店は、いつ行っても裏切られることがない。老舗の風格と庶民性のちょうど良いバランスが「更科堀井」の魅力だと思う。
って言葉がわかるには更なる訪問が必要なんでしょうが、あいにく、小生にはもう時間が足りませんし、麻布十番の街の変貌にはついていけそうもないので断念することにいたしました。
せめてと、記念写真を撮りまして今生の…わーい(嬉しい顔)
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(いつもあごをあげるんで、もっと下げて笑いなって言ったら”あごを下げると二重あごになるからイヤだ!”なんてげっそりやっと説得して撮った写真ですから息子に託してなんかの役に立ててもらいましょう)

この麻布十番って町、そう、まだ町って感じでした、とは因縁浅からぬものがございまして、六本木のパンとケーキ屋の店長をしていた三十代に、多くのアルバイトの地元高校生や短大生と仲良くなりまして大学のサークルの続きみたいな濃い付き合いをしておりました。
地下鉄が通る前で、六本木から歩いてヨメはんとスウェーデンセンターに行ったり、文字通りの下町風情のある「庶民的な」町の散歩を楽しんだりしたのでした。
麻布十番といっても鳥居坂下から一の橋に下っていくにつれ職人さんの住む町といった雰囲気が濃くなり、台東・墨田・江東の馴染みの町のように感じられたものです。
アルバイトの短大生の子の家は「箱や」さんでしたし、お茶屋の息子も、有名なママさんアナウンサーの息子もいましたねえ。
…それも幻の彼方になりました。
麻布十番温泉もなくなってしまい、十番稲荷神社はビルに挟まれて肩身が狭そうにしていました。
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カエルさんにご挨拶わーい(嬉しい顔)
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折角だからと、神社の向かいにある塩のモダンな専門店「マースヤー」や、すっかりキレイになって魅力のなくなった豆源さんに寄って買い物をして、まだ「ダイエー」の看板のままのスーパーに驚いたりして、今度は地下鉄南北線の「麻布十番」駅から、本日の本来の目的地「六本木一丁目」にあるサントリーホールに向かったのでした。

都心に出ると、そのたびに町とのお別れになるので、最近は無事に歳をとって老人になれた勲章のようにも思えてきます。
そして今夜は、ようやくブルッフのバイオリン協奏曲第一番を身体全体で感じることができます。




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