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2018年02月08日22:03

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オヤジの古い友人より

ハマのオヤジが一月二十九日、
入院中に亡くなり、十日経った

その最期の日は、おだやかに笑い、
「遠いとこ、よお来てくれた、よお来てくれた」
と、よろこんで手を握っとったんだ
おれはその日は、ゆっくり泊まりで見舞いがてら、
安心してハマの病院に行ってたんである

だいたいがうちのオヤジは、
少々弱気になろうが手を握ってくるようなキャラじゃないのに。
そういうのがもうあぶなかったんだ

先週二日に葬儀。
ハマの家にオヤジの骨を持ち帰り、
その翌日三日、
おやじの友人・二瓶廣志さんからオフクロに手紙が届いた



『この度はご夫君の訃報に接し、その突然さにおどろき、
おなぐさめの言葉もできません。
ただただご冥福をお祈り申し上げます。

私は保土谷化学にご夫君と同期入社し、
白金の独身寮では同部屋で親しくお付き合いいただきました。

入社以来60数年、
十二月には忘年会でお元気な会話を交わしたばかりでしたのに・・

しばらくはおさびしいでしょうが、
ご家族友人近所の人などと積極的に交流され、
お元気にお過ごしなさるよう願っております。』


オフクロは高校出なので、オヤジより三年先輩だったそうだ
白金(しろがね・東京目黒のちかくらしい)の独身寮には、
千代おばさん(オフクロの兄のヨメサン)と二人で訪ね、
二瓶さんとともに、四人でテニスをやった思い出があるという

オフクロはもらった手紙を読んでると、泣いて読めなかったんだ
「かしてみろ、オレが読んでやる」
と言ったが、ジブンで読みたかったのか渡さなかった
オレが読んでやっても、どうせ同じく声に出しては読めなかったろう




出棺時、オヤジの友人たちの前でお礼のあいさつをして、
そのあとオレは位牌なり写真を持つ役だったらしいが、
棺桶を担いだ
弟ケンジ、息子ソウタロウとともに。

同志社大学の古い友人たち二十人ほどが校歌を唄ってくれる中、
棺桶を担いで雪降る野外に出た


オヤジの人生は日々よろこびに満ちていた
人づきあいがよろこびだったんだ
オヤジは生活態度やら、やたらくちうるさかったが、
生きる道に関しちゃ、とにかく好きにやらしてくれた

明るく単純で、異常に行動力のある人だった

天草から出てきた父の父、
父の母・京都のおばあちゃん、
みなそういう人だった

おれも果てるまで、そういう風に生きねば、と思う。
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