70年代は障碍者関係も世間に知られていなかったから、例えば、歩けて、手も動く軽度身障者を初めて見た人もショックに思ったわけです。ベテランの教師など、かなり社会経験を積んだ方でもそうでした。
ならば、秋田から出て、大学に入った直後に極めて重い障碍者をたくさん見て、いきなりその介護をすれば、ショックはいかほどのものか、今の僕には想像も付きます。しかも、その福祉団体のS園班の話も歴代が非常に暗いものでした。いきなり新人に暗い面ばかり見せて、ショックも与えるやり方。
つまり、Y子さんも、今から思うと、強迫神経症に陥ったと考えられます。それで、ホイホイ人を誘うようになったのも、S園の職員や、身障者サポートが失敗したのも説明が付きます。実際、上べだけを見ると、Y子さんは社会性が欠けているようにも見えました。でも、それは社会性ではなく、強迫神経症の状態の一つだったようです。
やはり、しつこく「私は何故S園に行ったのか」を考え続けたり、放浪みたいになった人もいましたが、それもそれで説明が付くし、人との付き合いに難を持った点が共通しているわけです。
Y子さんは今はどうしているかは判りませんが、尾を引いている人は多いです。でも、通訳関係だけは昔の因縁を切り捨てて、前進しています。外国語を多く話す人たちは脳が柔軟で、頭の回転も非常に速いから、昔の事も早く切り捨てて、気持ちを切り替えられるのでしょう。フェイスブックでそのような旧友たちとも付き合っていますが、学ぶ点も多いです。
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