谷山浩子さんのインターネットラジオでこんな話題があった。答えは否だそうだ、音はしない。谷山さんは腑に落ちなかったようで反論を試みていたが私も概ね同感である。
これは論理のトリックだ。音というものを人が認知したものであると定義すれば確かにそうなる。だが人が居ようが居まいが木が倒れて空気が振動して音波が発せられる。その空気の振動を音と定義すれば音はする。人が居ようが居まいが現象そのものは変わらないと思う。
量子力学の事は解らぬ、観測者しだいで現象も変わるのか?アインシュタインの相対性理論では光の速度は観測者が何処に居ても不変である事実を踏まえて、論理的に時間が可変であるとせねばならぬとした。観測結果で実証されている。それが現象も可変である事になるのか?
まあそれはそれとして、これは写真にも応用できる。撮って放っておいたら、それは写真ではなかろう、誰かに認知されて初めて写真といえる。そしてその矛先は真っ直ぐ私に向かっている。
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