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2022年05月14日00:14

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ポタリストの記録・【武蔵野の中央の名刹行き・その4】

多聞院は真言宗豊山派、大日如来を本尊とする。

些か教科書的な説明となるが、元禄9年(1696年)に柳沢吉保(当時川越藩主)が三富新田として上富・中富・下富村を開村した際、一寺一社の制に基づき、開拓農家の檀家寺として上富に多福寺を、また中富に祈願所・鎮守の宮として毘沙門社(・多聞院)を創建した。

その後同境内に近隣地域より神明社を勧請し同地域一帯の産土神として祀り、1868年(明治元年)の神仏分離令によって同院境内の西側は神社(神明社)として、東側は寺院としてそれぞれ独立し、今日に至っている。

「多聞院」という場所は実は多聞寺の西部分なのである。

境内に立体曼荼羅をイメージして植え込まれたとされる23種類300株の牡丹が咲く名所としても知られ、通称「牡丹の寺」として親しまれている。

多聞院通りから入ると一直線に毘沙門堂が鎮座する。

幕が武田菱とはいかに・・・?

と思われた方、なかなか鋭い。毘沙門堂には嘗て武田信玄の守り本尊であったとされる黄金の小さな毘沙門天像が本尊として奉られている。 この像は伝承によれば、像高一寸四分(約4センチメートル)、信玄が生前川中島などの戦いに際し、戦勝を祈願し兜の内に納めて戦場に赴いていたと伝えられるものである。

天正10年(1582年)の武田家の滅亡後、同家縁の僧を介し 血縁のある柳沢吉保の手に渡り、毘沙門社の本尊として祀ったとされている。

こちらの名刹が当時の幕閣の実力者・柳沢吉保のバックアップを受けた事は幸いだった。武蔵野台地のこの地は関東ローム層という肥沃な台地が広がり、しばしば川越藩の着任を巡って争いが起きていたからだ。慶長の太閤検地の際、武蔵は67万石もあった。まさに徳川の要となる穀倉地帯である。

毘沙門天というと、ライバルの上杉謙信を想起させるので、意外な気がする。謙信は寅年寅の刻に生まれ、虎千代と幼名を授かったほどだ。しかし武田信玄もまた、実は毘沙門天に祈願していたのは驚きだ。

なおこの本尊は12年に一度寅年の5月1日に開帳される。そう、今年なのだ。

境内には狛犬ならぬ、狛寅が左右に鎮座する。この虎は細身でしなやかな曲線で彫られ、どちらかといえば豹やチーターにも近い印象の特徴的な像である(写真)。

その狛寅の周囲を取り囲むように黄色い小さな物体がある。

これは何かと思いきや、身代わり寅と称する寅で、祈願すると危機が迫った時に身代わりになってくれるという。私も一体200円支払ってところ狭しと並べられた所定の置き場に置かせて頂いた。

毘沙門堂の「世界平和」という横断幕が刺さる。ウクライナ・ロシアとの戦争を意味していることは明白だ。参拝に行けたことへのお礼、これまでへばりついた悪い気の払い、そして戦争の終結を祈願した。

お賽銭は入れられたが、湧き水は残念ながら飲めない。青梅の地蔵堂は冷たく、まろやかな味がしたのだが。

牡丹は矢張り遅かった。しかし来た甲斐はあったと思う。実際に植生は豊かだ。エウグレナさんのレスのように、紅葉の時期はきっと美しいはずだ。是非また訪れてみたい。

境内奥には瓦当てをする場所があり、的も用意されている(瓦は1枚100円)。武田信玄が兜に埋めていた毘沙門天、この名刹を保護した柳沢吉保、武家と関係があることをよく示している。尤も嘗ては弓矢だったのかもしれない。

さて復路。ほぼ来た道を引き返す。なお多聞院通りは直進し続けると関越自動車道に接触する。天候がだいぶ怪しくなって来た。まあ雨天に見舞われなかっただけでも御の字というべきだろう。

到着時に距離がおかしいと思ったが、とうとう速度の計測すらしなくなった。電波は拾っているのだが、全然ダメだ。これは電池切れかもしれない。気を取られて運転が疎かになるのも危険なので、外してしまった。

〜自分の速度がないローディー君の取扱説明書〜

さて、ここまで御覧頂いた方に、前にいる人を抜くことで快感を覚えるしかない、ロードバイク乗りの対処の仕方を共有したい。

帰宅途中、昭和記念公園沿いの大通りでロードバイクが剥きになって追い越していった。
しかしその手からはペラペラの不織布マスクが垂れ下がっている。

こちらはマフラータイプの上げ下げが可能なマスクをして走っている。25℃ぐらいまでであれば、熱が籠って困るというほどではなく、快適に走れる。

追い越しても容易に振り切れないことにイラついたのか、あろうことか、小学校至近の2か所も信号無視して行った。相変わらず彼の手からはペラペラの不織布マスクがむき出しで下がっている。「自分の速度」がない人間に追随するは危険なので、視界から消えてくれてありがとうと言いたい。

サイクルコンピュータを外しているものの、こちらは体感的には27kmぐらいは出ているから、これ以上は超過となり、クルマの方が速度を読み違えて事故を誘発しかねない。

ポタリングの良さは周囲の交通を考慮しつつも、自分の速度を持てることである。速度に振り回されるのではなく、選択出来るのである。この点では前にいる人を抜くことで快感を覚える乗り方をしている人たちには分からないだろう。

今回、多聞院に行けたことで、幾つかの武蔵野の地の名刹を訪れるコースをプラン出来るようになった。

正福寺(東村山市)→徳蔵寺(東村山市)→多聞院(所沢市)→平林寺(新座市)

といったコースである。

正福寺は国宝の千体地蔵堂があり(今年の6月12日御開帳予定)、平林寺は現在の上皇陛下が二度もご訪問されている名刹である。

県道126号を南下するとR463、それをさらに進むとJR武蔵野線の東所沢駅につながる。どこから降りるかになるが、柳瀬川には出られる。後は柳瀬川を北上し、JR武蔵野線の高架橋の手前の交差点を右折、志木街道に出れば平林寺である。

自宅付近のコンビニでサイクルコンピュータ(スピードメーター)のボタン電池を入手、交換したらすぐに復旧した。

平均時速・・・計測不能につき、不明。
走行距離・・・約52km(距離サイト・「キョリソク」より)

最後まで御覧頂きまして、ありがとうございました。

(了)

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