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2021年10月10日15:25

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北関東の下位の背景【実は豊かな北関東】

■「魅力度ランキング」栃木が最下位を脱出 ランクダウンした県は
(朝日新聞デジタル - 10月09日 21:03)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=6697333

以前の発表でどうせ大都市圏の人達が含まれているからでしょ、という批判を浴びたからだろうか、無作為に選んでいることを本件ではかなり強調している。

西日本についてはよく分からないが、しばしば何かと本件で比較の俎上に上がる北関東についてであればなぜこのような結果になるのかはある程度見当がつく。

最近ではアピールした者勝ちみたいな風潮だ。言い方が悪いが、ガラクタをダイヤモンドであるかのようなアピール能力が長けている奴、声がデカい奴が当座は勝つ、そんな風潮にすら感じられる。

この見地からすると、北関東の茨城県、栃木県(群馬もそうか)の人達は最も遠いところに位置しているのではないかと思う。いい意味でそんな風潮には与しないというか。そうなる背景には昔から豊かだったからだろう。

実際、慶長年間(豊臣秀吉の時代)の太閤検地の調査結果(単位:万石)を見てみよう。

当時は貨幣経済が普及していた訳ではないので、コメの取れ高を示す石高がGDPと見做された。北関東三県の当時の石高は、

上野(今の群馬県) 50
下野(今の栃木県) 37
常陸(今の茨城県) 55

・・・

比較の対象として、越後(今の新潟県)を挙げておくと、39万石。何と、戦国時代は新潟と栃木のコメの取れ高はほぼ同等だったのである。

国別だと陸奥が197万石と表記があるが、岩代、磐城(共に今の福島県)、陸前(今の宮城県全域と岩手県の一部)、陸中(今の岩手県)、陸奥(今の青森県)を合算した数値である。秀吉の時代、上杉謙信の子息、景勝が会津(岩代・磐城)に移封された。この時の石高が120万石、伊達政宗が60万石、陸中と陸奥がそれぞれ10万石ぐらいだったので、この数字は妥当なところか。

国別で単独で見た場合、トップは意外な事に、当時平野ではなく、盆地の広い近江(今の滋賀県)で、78万石だった。

当時は近江が豊作であれば、畿内の食料は足りたと言われるほどの天府だったのである。
織田信長が岐阜に次に京都ではなく、近江を根拠地にしたのも頷ける話だ。

北関東では常陸の55万石という数字も結構目を惹く。徳川御三家の紀州と同等の取れ高で、立派な数字である。国主だった佐竹義宣を関ヶ原以後、徳川家康が追い出したのも頷ける。

北関東でも群馬県は総理を何人も輩出しているので、豊かさが少し違うかなと思うが、栃木と茨城はこれだけ豊かなので、何もわざわざ他県にアピールする必要がない、その結果が順位に現れている気がする。

私が以前住んでいた甲信地方は寒冷地なので、それこそ食べられるものは何でも取らないとかつては生きていけなかった。山菜取りなんてしょっちゅう行ったと聞いている。ところが親類のいる宇都宮や土浦では山菜取りはしたことがないと聞いた。しなくても生きていけたからだろう。それでは次に農業産出額で見てみよう。

農業算出額(2019年、億円)

北海道:12,762
鹿児島:5,000
茨城県:4,967
千葉県:4,700

2000年以降、鹿児島が農業産出額を増やし、今では2位になって来たが、それ以前は千葉と茨城が毎年のように2位争いをしていた。

これが人口で割り算すると一人当たりの農業進出額が算出されるが、順位に変動が出て来る。

鹿児島:294,175円
北海道:233,288円
茨城:143,845円
栃木:143,096円

という結果になる。千葉県は人口が622万人もおり、6万円台と一人当たりだと下がる。一方、産出額の頭数では確かに北海道だが、北海道には540万人も人口がいるため、一人当たりになると、鹿児島がダントツでトップになる。茨城、栃木、鹿児島はアピールするのであれば、数字はちゃんと上がっているのだから、グルメ県であることを売りにしても良いのではないだろうか。

そのようなところも汲んで観察してみると良いのかもしれない。

(了)
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