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2021年03月25日07:23

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京都旅行 其の八

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大徳寺に9時半近くに到着。
マニアック神社を飛ばした結果、間に合った。
とはいえ、大徳寺もかなりマニアックなお寺だ。
一休禅師や利休居士を排出した「茶づら」で有名なお寺さんだ。

今回の旅行は、茶道の史跡も多く見て回る。
大徳寺に着くなり女房殿が、お寺の町みたい、と仰せになる。

大徳寺は、きちっと軒を連ねて○○院や○○寺がコンパクトに収まっている感じだ。
参拝者には嬉しいかぎりだ。

総門から入り、すぐ裏に自転車を停める。
雨がかからないところでカッパをぬぎ、傘さす。

目指すは聚光院、特別拝観だ。

中は撮影禁止だったので、一枚も写真がないのが残念だが、一見の価値はある。

次は瑞泉寺、ここも大徳寺の境内だ。
ここも現在特別拝観期間中だ。

ここでの目玉(個人的に)は、利休居士が作った唯一の茶室「待庵」の写しの茶室がある。
狭くて暗い茶室は利休好みで、いわゆる「子宮回帰」の茶室なのだ。
かたや秀吉の金の茶室は薄っぺらい権力志向の茶室で、利休居士とは全く接点がないと改めて実感する。

ここでまさかの「待庵」を見れるとはツイている。

ここ瑞泉寺は大友宗麟の菩提寺でもある。

大友宗麟と言えば、キリシタン大名で有名だ。
お寺さんの中なのに、飛び石や灯籠をそれとなく十字架になるように作られていた(説明がないとわからない)

利休居士といい、大友宗麟といい、宗教、信教の自由が無かった時代は、さぞや生きにくかったと思われる。

イスラム教はイエス・キリストを預言者として扱っているように、利休居士は神道が仏教を組み込んだように、キリスト教をも組み込むつもりだった、と言われている。

多神教と一神教では、多神教は一神教を組み込めたとしても、一神教は多神教に組み込まれるのを拒むだろう。

でももし、神道にキリスト教を曲がりなりにも組み込めていたら、迫害や殉死などのなかったかもしれない。

利休があと少し長生きをしていたら、それが出来たかもしれない。

利休居士の最後は、秀吉からの切腹の命令だった。

その理由の一つに、ここ大徳寺の山門に利休の像を彫刻したからだと言われている。

しかし、そんな歴史的建造物も今は周囲が立ち入り禁止になっていて見ることが出来ない。
そのうち特別公開でもするのだろうか。

秀吉公は、自分が何故利休の像のある山門の下を歩かなければならないのだ、といちゃもんをつけた。
そして、今ではデートスポットでもある四条河原にこの利休の木像を張り付けにし、それでも腹の虫の収まらない秀吉は、本当に利休に切腹を命じた。

文化人と戦人(軍人)は、茶室の好み一つをとっても相容れないもので、力が全ての天下人、戦人秀吉は、力で全てをねじ伏せようとした。

ダビット作「ソクラテスの死」に描かれたソクラテスは、毒杯と知りながらそれを飲む所が描かれている絵だ。

悪法も法なり、と言って毒杯をあおいだと言われているが、いつの時代も、いつの国でも、偉大な人は同じように振る舞うものだ。

利休を逃がそうとする大名や弟子はごまんといたが、あえて利休は命令に従うがうことをする。

どこかへ逃亡しょうなどとは微塵も考えなかったのだ、どこかの自動車の元社長みたいに。

それは、利休居士から秀吉公への最後の戒めを送るためだったのではないだろうか。

天下を治めるのは、力ではない、草人木(茶道)の心だ、と。

命をかけての陳情だったのだろう。

しかし、力がある故にそれがわからなかった秀吉公。

秀吉は利休を切腹させたあと後悔したと言われているが、誰も意見に逆らえないような強大な力を持ってしまった支配者の、これもまたひとつの悲劇だ。

後に、秀吉も、今回はまわれなかったが方広寺の釣り鐘事件により、家康から戦いを挑まれることになる。
同じく、全く些細なことからのいちゃもんにしか思えない理由によって。

力でねじ伏せるのなら、いつの日か同じように「歴史」からしっぺ返しをうけるのだ。

またまた妄想の迷路に迷い込みそうなので、ここらへんで現実の旅行にもどる。

さて、大徳寺の塔頭2つを拝観した時点で、時間は昼の1時前。

これから金閣寺や北野天満宮をまわり、カルトな土蜘蛛塚や妖怪ストリートを回ろうと思っていたが、雨が土砂降りに近くなってきた。

既にカッパも限界、靴下、スボンが漏水で冷たくなる。

行くべきか、辞めるべきか、聴くならエンマでしょ(今でしょ)!

と言うことで、次なるスポット、千本えんま堂こと、引接寺に行ってから考えることにする。

千本とは、このへんは昔千本もの卒塔婆がたっていたからとか、いやいや千本の松があったとか色々な説があるが、いずれにせよ京の都のはずれに位置し、妖怪などがウヨウヨしていたに違いない。

千本えんま堂は、入ると上の方からおっきいえんま様がどーんと見下ろしている。

それもそのはず、創建は小野篁だ。
前回行った、六道珍皇寺内の井戸から夜な夜な地獄へ下りていき、閻魔大王様の隣に座っていたのだから。

そして、本堂にはお賓頭盧さまが赤い顔をして鎮座している。

どちらも怖い。

お賓頭盧さまには囲いがないので手で触れられる。
撫でるとご利益がある。

お賓頭盧さまは、お釈迦様の弟子で、神通力を持っていたが、その力をみだり使ったので、入滅を許されず地上にのこってずっと人々を救いなさい、と言われた。

さらに、お釈迦様の目を盗んでお酒を飲んでいたそうだ。
だからお賓頭盧さまは全身が真っ赤なのだ。

千本えんま堂のお賓頭盧さまは違うが、舌を出しているお賓頭盧さまの像もあり、それは飲酒がバレて「しまった」と言って舌を出した、と言うことだ表情(いー)テヘペロ
(お賓頭盧さまが赤いのは、本当は修行で生気がみなぎっているから、とも言われている)

そんな人間くさいお弟子さんをしっかり拝み、本日はここを終着寺とする。

またいつか京都へ戻って来ることを祈念して、一路京都駅へと自転車を走らせる(その前に自転車を返さないとイケなかった)
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○時間 5:00~13:00
●訪れた場所
鵺神社
清明神社
一条戻り橋
小野小町双紙洗水遺跡
官休庵 
不審庵
霊光殿天満宮 
白峯神宮 
首途八幡宮 
総本山本隆寺 
雨宝院 西陣聖天 
宝鏡寺 
報恩寺
今日庵
本法寺 読経
水火天満宮
深泥池
上賀茂神社

【大徳寺】
聚光院
瑞泉寺 

千本えんま堂(引接寺)

計 21箇所    合掌

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