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2020年08月24日09:45

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こんな“いいこと”を実行できる人が、心底うらやましく思えます。トム・シャドヤック監督「I AM/アイ・アム 〜世界を変える力〜」(2010)。

トム・シャドヤックという監督さんを知ってますか? 「エース・ベンチュラ」など、ジム・キャリーのコメディーを監督した人です。その監督さんが、“世の中おかしいんとちゃうか?”(関西弁にしたのは喜劇っぽくするためであり、監督さん本人とは何も関係ありません)と思いあたり、知識人や精神世界の指導者たちに“どうすれば良かんべぇか?”(同前)と聞いて回ったわけです。

すると明確になったことが一つありました。かつては悪の源とされていた“欲”が、ある時代から“欲望そのものは悪くない”となり、欲望に任せて金を集めることが一般にまで流行したのです。だから欲を捨てれば済む、ということです。

たとえば、自然界における動物たちは“弱肉強食”で“本能のままに生きている”とされていますが、実は欲望に任せて他者の食物までを独占することはしない、と彼は気づきます。かつて狩猟民族たちは、必要な分量の食料以上に狩りはしなかった、と。たしかにアメリカ先住民は、その精神でヨーロッパからの移住者を受け入れました。彼らには土地所有の概念がなかったから、移住者たちは“誰のものでもない土地”を自分たちの物にしました。

長い話を短くすると(要するにByホルノグラフィティの宮本君だっけ?)、物を持っている人々がそれを止めれば、世の中は平和で幸せになるということです。たしかに世の中の全員がそうすれば、平和で幸せな世の中になるでしょう。しかしすでに、1%の人間が世界の富の90%を所有してしまっているのです。この1%の全員が自ら富を公平に分配すると言い出せば、たしかに世の中は平和で幸せになるでしょう。しかし、そうは問屋が卸さないのです。

トム・シャドヤック監督は、それに気づいたから自らの大邸宅を売り払い、欲望を捨てて生きることにしたようです。僕は残念ながら、そんな真似をしたら野垂れ死にするだけなのでできません。というか僕程度の人間は“分け与える側”ではなく、分けてもらう側なのです。すでに経済的に禁欲を強いられていて、ほとんどの欲望は我慢しています。

ということで、自然界の法則(動物たちの多数決による民主的な生活)を説かれると、それは結構なことですねとは思うものの、その考えに賛同して全財産を投げ出します、とは言えません。そもそも差し出す財産がそれほどない。←「文無し横丁の人々」の神父さんなら、そんな僕にも“できるだけでいいのです”と寄進を進めると思うけど、僕はそんな甘言には乗りません。

つまり、この映画の主張は、自然界の法則を原理としてはいますが、事例として挙げている事柄の説明に、量子力学の真理を引き合いに出したりします。我々が生きている世界は、ニュートン力学でほとんどの解決を見る世界なのに、量子レベルの動きをそのまま現実社会に演繹する論理って何よ? そういう都合の良い論理は正義ではないと僕は考えます。

結局、人間を性善説で考えて、それを実践する方々だけで生活なさっておられると、それはそれで幸せだろうなぁと、僕は羨望のまなざしを向けるしかない、というドキュメンタリーでした。つまり僕は、それほど現実社会の毒に侵されているだけのこと。そんなバカな僕を、えらい人たちは蔑んでいることでしょう。その事実を僕は甘んじて受け止めます。だって、日本の首相を替えるという単純な行為すら、僕にはできていないんですから嗤われて当然なのです。

写真3は、未来のオバマ大統領(あるいは今も健在のマンデラさん)がトム・シャドヤックに“ほんまか?”と疑問を投げかけている姿、だと僕には見えます。
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