僕はこの映画を2017年の11月に見ました。そのとき“封切り”だったはずなのに、制作年度は2016年となっています。1年かけて公開に至ったらしい。そもそも脚本は2014年に“ブラックリスト(制作されない優秀脚本という意味)”に載っていたそうな。
LBJという大統領は、ケネディが暗殺されて大統領になった副大統領というイメージしかなかったのですが、この映画では(そして史実を眺めると)たしかにケネディが遣り遺した政策を具体的に行った大統領らしい。←この期に及んでまだ“らしい”と言うのは、やはりジョン・フランケンハイマーの「影なき狙撃者」が鮮烈だったからですね(苦笑)。
今回の映画では、ジョンソンが院内総務として有能だったこと、難しい交渉事を巧みに乗り切る力を持っていたことが描かれます。そういう才能にたけた人物が、志半ばにして凶弾に倒れた大統領の考えていた革新的な政策を次々実現していったという、その本心はどうだったのか、この映画ではついに明らかにされません。そしてまた、アメリカ経済が好回転していたからこそ実施できたという事実も語られない。
つまり「記者たち 衝撃と畏怖の真実」(2017)でもそうでしたが、ロブ・ライナー監督は手際よく事実を描いていくけれども、その事実の核である社会のうねりみたいなものには興味がない様子なのです。今回も、LBJという人が交渉事に長けていて、その手腕を大いに発揮することが生きがいだったみたいに感じられる。
もちろん僕は、LBJがケネディ暗殺の首謀者だったという描き方をしろと言うつもりはありません。しかし、交渉上手なだけで(そしてケネディの掲げた理想が人々に受けたとはいえ)、政策としてほとんどが実現したという実態の“核”には迫る必要があるのではないでしょうか。それができない劇映画は、単なる再現ドラマでしかないと思う。
それと僕は、LBJ夫人(ジェニファー・ジェイソン・リー)が“レディ・バード”と呼ばれていたことを知らずに、グレタ・ガーウィグ監督の「レディ・バード」を見ていたのでした。なんの関係もない、ということなら問題ないのですが、その言葉になんらつながりが感じられないので困ってしまいます。←もっとも「LBJ」では、“バード”としか字幕に出てこないから、それでいいのかも。
誤解を恐れず簡単に言いきってしまえば、LBJに扮したウディ・ハレルソンのメイクが、どう見てもメイクだということがこの映画の長所であり短所だということです。眼差しがハレルソンそのものなので、逆にメイクが浮いて感じられました。夫人がリンドンとのなれそめを語る場面にも、いまいち説得力がなかった。
かつて「スパイナル・タップ」というフェイク・ドキュメンタリーで、僕を心の底から楽しませてくれたロブ・ライナーは、今では手堅い職業監督に収まってしまったのかと、個人的には残念なわけです。ボビー・ケネディ(マイケル・ストール・デイビッド)が、ちんぴらにしか見えない部分にも遺憾でした。そんな人間に熱狂するアメリカ社会だとは思えないもので。←でも、今の大統領を見ていると“その程度の社会”なのかも、とは思います。
てなわけで、高校の歴史の参考にくらいにはなるだろう、という実録映画でした。写真2左がウディ・ハレルソン本人、中がLBJメイクのハレルソン、右がLBJ本人。そして写真3カラーが「LBJ」のスチール写真、モノクロが報道映像です。こういう面白さも映画の面白さのひとつだけど、それだけじゃあの“歴史的事件”を描く意味がないと思います。
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