■火車とは■
皆さまは「火車」という化け物を聞いた事があるだろうか。悪行を積み重ねた末に死んだ者の亡骸を奪うとされる日本の妖怪、とウィキペディアなどには書かれている。
平成生まれの若人達は知らないだろうが、昭和の終わりまでは地方では土葬を行なっていたところがかなりあった。私の母方の祖父母は北関東の出で、こちらも昭和59年までは土葬だった。こちらでは土葬の時代、棺の入った遺体を土中に沈め、土を均してからはお神輿を土の上に置く。勿論このお神輿は腐敗し、最後は崩壊するが、それで天国に行ったと解釈し、石塔を立てるのだ。最初から壊れるのを前提にした、使い捨てのお神輿なので「葬式神輿」と呼んだりもした。
多分に道教も入っているかもしれない。
道教ではこの世で不完全なものはあの世では完全なものとなるとされている。崩壊したことで、あの世では立派な神輿になる。
嘗て、この妖怪の存在をこちらの地方でも火車は結構恐れられたものである。恐れられたのは遺体を地獄に連れて行ってしまうことと、誰しもまともな人間であれば、悪行のひとつふたつは大なり小なりやっているという認識があったからだろう。この妖怪は暴風雨の際に頻繁に出没されるといわれていた。
そんなのは土葬の時代の言い伝えだろうと思った。
ところが火葬がメインになった日本でもこんな話を然る方からお聞きした。
■火葬の時代にも出現し始めた火車■
ある南関東の火葬場で勤めている悦子さん(仮名)は「斎場スタッフ募集」という求人を見て応募したが、配属先は火葬場だった。以後、大学卒業後、通算で15年近く勤めている。
「火車って、土葬時代に恐れられた妖怪ですが、実は火葬の今の時代もいるのですよ。実際、葬儀屋さんはどこも『火車対策』をやっています。だって、遺体を盗まれるなんてあってはならないことですから。」
と意外な答えが帰って来た。
「わたしだって、最初は先輩の嘱託の方から言われて信じられませんでした。でも1年も経たずして出会う事になってしまいます・・・。」
といって、息をたくさん飲んで、彼女は話し始めた。余程恐ろしい体験だったに違いない。
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体験した日は夏の暑い日でした。亡骸は死後かなりの時間が経っている、自殺してしまった中年男性のものでした。独特な匂いが焼却前の棺から漏れ出していたのをよく覚えています。そして亡骸が窯に移され、私達は燃え具合などを確認するために炉の裏側へまわります。(因みにですが――炉の裏側で私達は燃え具合の確認や、時には亡骸の位置調整を棒等で行うのですが、その炉の裏側は気絶しそうなぐらい暑いのです)
その日の私達は焼却前の亡骸を見ることはできないので、彼から聞いた話と、焼却中に炉の耐熱ガラスから覗いて見た姿しかわかりません。
今でこそ事務的に淡々とこなす作業ですが、最初の頃は「人が燃える」という不思議な光景になんとも言えない気持ちになっていました。
その日は嘱託の先輩とわたしと2人で炉を監視していました。熱いので交代です。わたしが炉の中を見ると、信じ難い光景が・・・。
絶対に入る隙間などない、灼熱の炉の中を、ネコのような、なんとも言い表しにくい小動物が駆けまわっていたのです。良く見ると、その動物は人力車のような車を引いているのも見えました。不気味な動物が車を引いて走り回っているではないですか。
「ああっ・・・。」
わたしが声を張り上げると、先輩が炉の中を見て、
「どうした。」
と詰め寄って来ます。
「何と言う事だ。火車が来ているではないか。」
といって、長い棒を持って、亡骸の額を叩き始めた。
「先輩、何と言う事をするのですか。大事な仏さまの遺体ではないですか!!」
彼はわたしを押しのけて睨みつけました。妖怪と戦っている顔は鬼気迫るものがありました。叩く間も車を引いている得体の知れない小動物は駆けまわっています。先輩が執拗に叩いていると、この得体の知れない者は苦しそうな顔を浮かべて壁の中に吸い込まれて消えました。
先輩は汗を拭ってわたしを諭しました。
「この仏サンは生前相当悪い事をして自殺したようだな。火車は手あたり次第だが、奴等は特に悪事を積んだ者の遺体を好むものだ。あいつが炉の中に出て来た時が最も厄介だ。そしたら構わずさっきやったように棒で仏さんの額を叩け。するとあいつらが最も嫌な音が出て、諦めて去っていくものだ。
いいかい。人間がいる限り、うち等の商売は絶対に無くなることはない。だが、そんな商売で最も厄介なのは仏さんの遺体が盗まれることだ。これだけは絶対にあってはいかん。うち等を信頼して火葬させてくれたのに、遺体を盗まれましたでは通らないだろう。それだけは覚えておいてくれ。」
それから通算で15年ほど働いていますが、その後も数回似たようなことがあり、撃退しました。ですが、その時の炉の中での遭遇が最も厄介でした。
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話し終えると悦子さんは髪を垂れて嘆息した。
何とも不思議な体験を聞かせて頂いたが、もし斎場で働きたいという方がいらっしゃったら、「火車」(かしゃ)の事を心に留めておいて欲しいものである。後はどんな状況で火車と対決したのか、聞きたかったが、彼女の話が余りにもリアル過ぎて聞くのを躊躇った。正直、他人からお聞きした話で怖い話に編集できるものは少ないが、これだけは例外だったからだ。
末筆ながらインタヴューにご協力頂いた悦子さんにはこの場にて心より感謝致します。
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