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2019年02月09日21:30

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ボルタンスキー

ほとんどの作品が撮影可。

フォト


Christian Boltanski
[Lifetime]
@国立国際美術館


2016年には東京都庭園美術館で展覧会があったボルタンスキー。
豊島の《心臓音のアーカイブ》や《ささやきの森》に参加した
こともあって個人的に大切な作家のひとりです。


今回はホワイトキューブでどんな展示を?と
楽しみにしていきました。


展示は地下三階全体にわたって1960年代の作品から近年まで
の45作品が並んでいます。
必ずしも時系列に沿っていないのはもちろん。
最初が《出発》最後が《到着》(2015)なのもいかにも。


映像や光と影の作品が多いので場内は薄暗く、
キャプションが作品脇にないので、入口で地図と小型のパンフレットが渡されました。
パンフレットにはほぼ全ての作品の画像とコメントがあり
大変親切です。
巡回先でも同じものが配布されるのでしょうか。


◆一見矢印に見える《コート》は聖骸布のような《ヴェロニカ》と並ぶと磔刑図のよう
フォト



◆《アニミタス》の背後に《ぼた山》
フォト



グッズも充実しています。
ポストカードはもちろん、Tシャツやマグネット、ファイル、関連書籍。
早々と並んだハードカバーの図録には
杉本博さんとの対談@江の浦測候所 まで載っていました。


******


極寒のなか開館2時間前から並んでアーティストトークの
整理券をゲット。
1時間前で100人以上の行列でした。人気ですね。


以下、その内容のメモを。


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まず司会者から作家の紹介。


ボルタンスキーさんのことは新潟の《最後の教室》や瀬戸内の《ささやきの森》で
皆さんよくご存じのことと思います。
日本初個展は1987、ICA,Nagoya と水戸芸術館で
作品というより宗教的でモニュメンタルな、これまでにないイメージの
作風でした。
今回は初期の《モニュメント》や影といった代表作もありますし
なによりも《心臓音》はご本人の心音です。
それを聴きながら、つり下げた紐に投影された、これもご本人の顔映像を
くぐりぬけて会場にはいっていただくという
ボルタンスキーさんの体内に入っていくイメージで構成されています。
新作もあります。1つ1つでなく会場全体をひとつとしてご覧下さい。


******

謝辞に続いて、ご本人トーク、通訳つき。


【ライフタイム】

皆さん会場はもう観られたのでしょうか。
今回のタイトルは私の生涯の時間、となっています。
私が初めて日本に来たのは50年前、
TVで
◆咳をする男
という映像作品が紹介されました。
それほど昔に始まる物語です。


子供時代からお話しますと、私は13歳で学校に行かなくなりました。
それまで何度となく転校しましたが、すぐに叫びながら逃げ出してしまう。
両親はものの解った人達で「ずっと家にいていい」と言ってくれました。
そこで一言もしゃべらずに窓から外をみて家で過ごしていました。
そんなある日、私の描いた絵を兄がほめてくれたのです。
それでアーティストになろうと決めました。


最初は大きな絵、暴力的な絵、アールブリュットのような絵を描いていました。
学校で美術教育を受けた事はありません。
アートを実践するというのは自分の精神分析をするようなものでした。
自分の意見を言葉で表現できなかった私は、
アートを通じて伝えることを学びました。
そうして初めて一人で外出できるようになったのが18歳の時です。


アーティストの人生にクリエーションの瞬間はとても少ないものです。
いつも同じ問題を語っている。
なんらかのトラウマがあり、一生かけてそのトラウマについて話すことで旅をするようなものです。
同じ1つの旅ですが、出会う人、行き先の歴史などが
違い、自分の年齢も違えば異なるやりかたとなり、しかし語るのはいつも同じストーリーです。


【私の制作態度】


私にとってのトラウマとは、第二次大戦の終わりに生まれたということに
関係します。
周囲はみなホロコーストを生き延びた人でした。
(父親はユダヤ人で床下に2年潜伏)
しかし自分に対して抱いた疑問はあらゆる時代、あらゆる国に共通する
普遍的なものでーたとえば神や心理を追究するとか、自然の美しさとか、
何故ひとは死ぬのかとかーそれを言葉でなくビジュアルや感覚で伝えてきました。
自分自身について語っているわけですが、それが成功すれば他者について
語っていることになります。
アーティストは顔の代わりに鏡がある人間です。
みた人々は自分がいると思う。
作品を完成させるのは観客、観客が自分の体験に応じて見るのです。


初めて名古屋で個展をしたとき、作品がとても日本的だと言われました。
顔も日本的だったのか「おじいさんは日本人でしょう?」と
言われて嬉しかったのを覚えています。


しかし、もしアフリカで個展をしていたら
「あなたのおじいさんはアフリカの方でしょう?」と言われたいですね。
アートは特殊・個人的であるとともに普遍的でもなければなりません。


私にとって人生のクリエーション(的なできごと)は3つです。
・大人になったとき(70年代)
・両親の死(45歳)
・老人になったとき(10年前〜現在)
これらが人生における大きな瞬間であり身体的変化の瞬間でした。


私は作品を通して疑問を提起しています。
答えはありません。
観る人にはさらに新たな疑問を想起することを期待します。


自分は全て答えがわかっている、という人には心底心配になります。
私たちの人生は扉を開く鍵を探し続けているようなもの。
見つかる事を期待せずに鍵を探し続けることが生きることです。


私は知っていることしか他の人に話すことはできません。
「頭が痛い」これは誰もがわかるでしょう。しかし
「膵臓が痛い」これはどうでしょうか。
「朝のコーヒーの香り」これはわかりますね。
私がしていることは長い文章の重要な部分に下線をひくようなものです。


アートは不正確でもあります。
詩にも曖昧な部分が残っていますが
アートはさらに見る人が想像によって自分で作る部分が大きい。


今回の展示で、写真がぼけている理由はそこにあります。
曖昧なので誰もが「これは私の従兄弟だ」「私の祖父だ」
などと自分が知っているひとがそこにいると思える。


私にとって、観客が作品の前にいるより入り込むことが重要です。
それには複数の感覚を使って欲しい。
展覧会前には何ヶ月もかけて空間構造を検討してきますが
全体芸術に近い事をやりたい。
たとえばグランパレで展覧会をしたときには、1月の寒い時期でしたが
会場の暖房をきってもらいました。
寒いことが作品の一部となるように。


南欧の教会では扉がひらかれていることがあります。
外は陽がさんさんと射していますが
教会内部は薄暗くて何かがおきている。
そこに入って中で考える。祈るのでなく考えるのです。
展覧会はそうした場所であってほしい。
時間をとって自分に大切なことを考えて欲しい。
美術館は現代の寺院なのではないかと思っています。


【近作について】


私の初期作品は多くは自分自身についてのもので、
形式も定まっていませんでした。
そのうちビスケット缶を使った
◆モニュメント
などの形式が現れます。
多くは「死」の概念がからんでいます。
そしていま、私の作品の多くは展示が終わると壊されて残りません。


残らないというのは日本の伝統的な方法からも影響されました。
伝え残すにはものによるものと知識によるものがあります。
例えば日本の神社(伊勢神宮のことか)は一定期間毎に
作り替えられるそうですね。
古いものでありながら新しい。
ものによる保存でなく知識による保存。


私の作品はますます楽譜のようなものになってきました。
何年も経って私がいなくなっても他の人が演奏するように。
作・ボルタンスキー、演奏・x夫人Y夫人。


今回の展示の大半は大阪で制作し、捨てられます。
巡回先の東京は配置も含め違うものになる。
演劇のようなものですね。


◆ぼた山
黒い服の集積した作品。これはもともとベルギーの美術館に売ったものです。
しかし「もの」は渡していない。売ったのは「制作する権利」です。


どんどん非物質的になって、神話や伝説をつくろうとしています。


◆心臓音のアーカイブ
豊島につくったものですが、これは巡礼の場になってほしい。
具体的に収められたお祖母さんの心音を聴きに行くとか
自分の心音を収めに行くことが問題なのではない。
日本のある島にそんなものがある、という神話を人々が
知っているかどうかが大事です。


◆C・Bの人生
タスマニアには私の人生を買い取ったひとがいます。
私の自宅にカメラを3台設置してリアルタイムで画像を送る。
保存されて10年、もう何千時間分になるでしょうか。
これもその画像を見るのが問題なのではありません。
誰かの人生を見ているひとは自分の人生をみることはできない、
という問題を提起するものです。


私はたえず失敗しています。
まずは死と闘おうとしましたが、当然不可能でした。
戦争などの大きな記憶に対して
個人が死ぬと失われるような小さな記憶を保存しようとしました。
死んだスイス人の写真が9000枚
ポーランド人の赤ちゃんの写真が7000枚。
しかし全ては消えていきます。
各個人の重要さと一人の脆弱さのあいだには大きなコントラストがある。


しかし私たちの中に祖先は生きています。
私たちは祖父の耳、大伯母の鼻、曾祖母の口をもった
パズルのようなものです。霊の一部も受け継いでいます。
それらは学んだものでなく与えられたもの。
死と闘う方法の1つは祖先をかかえていることです。


多くをお話しすぎました。
私はアーティストなのでそれを言葉でなく感じ取って貰うべきでしょう。
自分の時代の手段によって。
私たちは孤立して存在するのではない。周囲とともに存在するのです。



【アーティストとは】


最後に若いかたに。
私も最近はプロっぽくなってしまいましたが
アーティストとは探究する人であって仕事ではありません。


待って、希望すること。


何かできるだろうと思って期待して待つこと。
エンプロイメントではありますが職業ではない。
何もしないで待つことは世界一難しい。
なので私は旅をしたり展覧会をしたりする。
でも大切なのは何もしないこと。
その勇気がないので私はいまここにいます。


【質疑応答】


問い。
24時間カメラで撮影されているそうですがどんな気持ちですか。
格好つけてしまいませんか。


答え。
カメラがあることはすぐに忘れます。
もう10年になりますし。ときに思い出して
カメラにむかって帽子をふってみたりすることはありますが。
実はこの作品を買ったタスマニアの方は全財産を賭けで築きました。
カジノとか競馬とか。それで負けた事がないと。
そして代金を一括して払わず、年金の形でもらっています。
ところがどうでしょう、一括して払うべき代金を年金の累積額が
越えてしまいました。ほんの1ヶ月前のことです。
思うに、賭けに絶対負けないというひとは悪魔でしょう。
しかし私が勝ってしまいましたね。


私は偶然と運命の問題にも興味があります。
明日私が帰る飛行機が落ちてしまったらそれは運命の書に
かかれていたことだと思います。


問い。
(台湾の学生さんから英語で質問)


答え。
クリエイションとはなにかという質問でしょうか。
お答えのできない問題ですね。
私のしていることは問題提起です。
答えることでなく、普遍的な問いについて考えることです。


問い。
《ぼた山》の作品タイトルの理由は


答え。
作品を売ったベルギーの美術館は炭坑のある土地でした。
積み重ねられた黒い服は炭坑夫の苦しみです。
私は数多くの古着の作品を作ってきました。
死体ー死者の写真ー古着 これはひとつながりで
主体の不在を語るものです。
私は霊の存在を信じており、コートは霊を表します。


問い。
神道のお話を興味深くききました。具体的に作品のなかに
どう現れているのでしょう。


答え。
万物に霊が存在するような感じでしょうか。
◆ミステリオス
(パタゴニアの海辺で撮影された3つの映像。
浜辺の鯨の骨、設置された大きなスピーカー、水平線)
地域のインディオには鯨がときの始原を知っているという
伝説があります。
そこで鯨に質問をしてみようと海辺に大きなラッパを
設置して鯨によびかけてみました。
ラッパは朽ちるでしょうが鯨に話しかけようとした
クレージーな男の話はいつか伝説になるでしょう。
◆アニミタス
(チリのアタカマ砂漠に設置された無数の風鈴)
アニミタスとはスペイン語で「小さな魂」という意味で
事故現場に設けられた小さな祭壇もそう呼ばれます。
ここは世界でいちばん星がきれいに見える場所ですが同時に
多くの人々の死体が捨てられた場所でもあります。
その魂に敬意をはらいたい。
同様の作品を世界各地につくりました。
私には様々な哲学があります。答えを出すのでなく探し続ける哲学です。


最後にユダヤ教の小話をひとつ。
ラビが年老いて瀕死の状態になりました。
周囲にはたくさんのラビが集まります。
そこで一人の若いラビが質問しました。
「生とは何ですか」「泉だ」
多くのラビは感心しましたが若い質問者は納得しません。
「泉じゃない、というのか!」といって死にました。
長い間積み上げてきたものも若い者に一瞬で壊されるのです。


解りにくいですか?ではもうひとつ。


2人のユダヤ人が友人になり、長い時を経て
ニューヨークで50年ぶりに再会しました。
一人が尋ねます。「一言でいって、人生どうだった?」
友人は答えます。「よかった」
「そうか。では2言でいうと?」「よくなかった」


******


ボルタンスキー展は5月6日まで。
その後、国立新美術館、長崎県美術館に巡回。
http://www.nmao.go.jp/exhibition/2018/post_189.html





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B2では
見えないもののイメージ
として収蔵作品展示。


◆工藤哲巳《危機の中の芸術家の肖像》など5点
◆内藤礼《死者のための枕》など12点
◆塩田千春《トラウマ 日常》など5点


を許可を得て撮影しました。

いや、塩田千春、背中合わせのコートドレスが黒い糸に絡め取られている作品や
入院している患者たちがベッドごと黒い糸に絡め取られている写真とかすごかった。



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