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2019年01月17日13:03

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今見直すと、実に“身にしみる”映画でした。村川透監督「白い指の戯れ」(1972)。

僕はこの作品を、公開時には見ていません。ノートを調べたら1976年の1月に新宿蠍座で見ていました。1972年度のキネマ旬報ベストテンの第10位にランクインしたこの作品を、その日まで見ていなかったということです。←このランクインには、キネマ旬報の編集部が投票権を持つ評論家のために、ロマンポルノを3本ほど投票締め切り前に特別に試写させたと聞いていたことが、“邪魔”をしたのかも。

しかし実際に見たら、当時住んでいた自宅のすぐそばの井の頭公園が出てきたり、よく行く新宿や渋谷の盛り場が映し出されたりと、とても親近感を持った記憶があります。そもそも“白い指の戯れ”というエロチックな題名が、実はスリの話だとというオチを楽しんだ上で見に行ったのでした。

今回は、東映チャンネルで放送したものを見ました。上映時間は75分。R15用に若干切ったのかも。←キネマ旬報の決算号には78分とあります。しょせん僕は、ピンク映画やロマンポルノの絡みシーンについて、年齢制限に合わせてカットされても寛容ですので、何の不都合もありませんでした。←外国映画の場合は不平たらたらですけどね(笑)。

で、見直して実に感動的だったのは滑り出し、レッカー車がボロ車を牽引して街中を走る映像でした。このとき流れる音楽と共に、僕はロベール・アンリコの「冒険者たち」を思い出してしまったのです。だから続く伊佐山ひろ子らが街を歩くシーンには、ジョアンナ・シムカスをとらえたジャン・ボフティのカメラを思い浮かべ続けました。

撮影した姫田真佐久の頭の中に「冒険者たち」があったかどうかは問題ではありません。僕には「冒険者たち」と同質の映像の力が感じられたということです。もしこの作品を所蔵しているなら、冒頭を再生しながら、音声は「冒険者たち」のサントラ音楽を流してみてください。みごとにマッチするはずですから。

オールシネマオンラインには、“アメリカン・ニューシネマの影響を感じさせる”とありますが、1990年以後の感想ですね。アメリカン・ニューシネマがこの「白い指の戯れ」の空気感を持ち始めたのは、僕に言わせれば「ロング・グッドバイ」あたりからです。つまりこの作品は、それより早い。それ以前の「イージー・ライダー」や「俺たちに明日はない」には、冷静に人物を眺める視点はありますが、この映画のように気持ちとして寄り添う姿勢はなかった。しかしロベール・アンリコにはあった、ということです。

ということで、伊佐山ひろ子の主人公に共感しつつ、全編を見終わりました。今思うと、女性のタイプとして“古い”気がするけど、それを言っちゃおしめぇよ、でしょう。それよりも彼らをつけまわす刑事(木島一郎?)の、“思いやり”に言葉を費やしましょう。形だけ倫理をのたまう連中なら、“そんな刑事、いてはいけない”となるでしょうが、これでいいのだ(byバカボンのパパ)。

要するに45年前と、僕は何も進歩していないということですが、そのへんはまあまあ、いいじゃないですか。社会が進歩したように見えるけど、後戻りしている(逆行と言うと、ある特定政治団体と区別がつかないので避けます)わけで、立ち止まっているだけでも進歩的なんですわ。これって、恥以外の何ものでもないけど、時代と組するよりはマシだと感じています。そういう意味でも“身にしみる”映画でした。
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