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2015年12月11日10:49

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黒澤明の持ち味と思われる部分が随所に感じられる、谷口千吉監督デビュー作「銀嶺の果て」(1947)初見。

なにしろ僕が生まれた年の8月上旬に公開していますから、当時生後3か月の僕は今回が初めての鑑賞です。谷口千吉の監督デビュー作で、オールシネマ・オンラインでは黒澤明と谷口千吉の共同脚本となっています。主演の三船敏郎にとってもデビュー作だそうです。僕が見たバージョンはタイトルに新版と出て、脚本は黒澤明単独表記でした。そして配役のトップに名前があるのは三船敏郎。初公開時もそうだったのでしょうか?

物語は、銀行強盗をした3人組が北アルプスに逃げたというところから始まります。アルプスのふもとにある温泉宿に身を隠そうというのですが、ラジオのニュースを聞いた宿泊客らがが気づき、警察の手が迫ります。そこで3人組は雪山へ登りますが、雪崩で仲間の一人を失います。残った二人(志村喬と三船敏郎)は山小屋へと逃げ込む。そこにはなじみの登山家(河野秋武)と、山小屋の主(高堂国典)とその孫娘(若山セツ子)がいる、という展開。

よくもまあ冬の雪山でロケを敢行したものだと感心します。冬の北アルプスの頂上付近とか、尾根歩きなんて、とてもじゃないけど専門家ですら危険です。一説には北海道でロケしたとか。どこであれ、そのロケーション効果が素晴らしい。雪崩で小杉義男が死ぬ場面は、さすがにカットを切り替えているけれど、雪崩そのものは結構な規模のものを実際に撮影していますから、その迫真性に驚きます。←とはいえ、「フレンチアルプスで起きたこと」のようなとんでもない雪崩ではありませんけどね。あれは特別。

物語が、プロローグの警察内部での記者と警察のやり取り、温泉宿で犯人たちが見破られるまで、そして山小屋内部、さらに尾根づたいの逃走、そして結末と、90分を少し切る長さの中にうまく配置されていました。雪山の部分がロケだから、ドラマに味が加わる。三船の悪役、そして志村のかつては善人だった首謀者、そこへ登山家としての倫理を頑なに守る河野が絡む最後の逃走劇は、荒野で展開する良質の西部劇をしのぐものがありました。

なにより山小屋の娘・春坊の存在が大きい。先日「ゴジラの逆襲」を見直したとき、若水ヤエ子と間違えて、“出てこない”と思っていた若山セツ子が、見たとおりの清純な乙女を嫌みなく演じていました。この春坊の心に志村喬がほだされるという設定も、この描き方なら納得です。谷口千吉は水木洋子と結婚していたのに、この若山セツ子と再婚するんですね。さらに7年後に離婚する。そしてより年下の八千草薫と結婚するわけです。そりゃ会社から“私生活が問題”として干されるわな。干されろ、干されろ。←単なるやっかみです。

そんなやっかみのせいだけではなく、この映画には黒澤明の雰囲気が随所に感じられます。山小屋でレコードを聴くというあたりのモダニズムもそうだし、レコードに合わせて河野秋武がコサックダンスを踊るあたりもそう。黒澤明に関するインタビュー番組で池辺晋一郎が“黒澤さんは北志向で、北海道やロシアが好き”と語っていましたが、雪山はロシアの雪原に通じるものがあります。そしてイギリスから招かれたときにジョン・フォードの「ギデオン」撮影現場に招待され、ジョン・フォードとは昵懇となったわけで、西部劇のテイストには感じるところがあったと思われます。

そういえば黒澤和子さんが、「隠し砦の三悪人」の件でジョージ・ルーカスが黒澤に会うのをためらったという逸話に対し、“うちの父も、いろんな映画からヒントを得てますから、ルーカスにはどんどん使ってくれと言ったそうです”と話していました。ほかの映画からヒントを得るというのは、映画人としての当然の行為であり、それが剽窃にとどまるのなら、パクった人間の才能を疑えばいいというだけのことなのでしょう。←しかし犯罪小説のトリックの場合は、パクっちゃいかんね。

ということで谷口千吉監督には悪いのですが、僕にとっては黒澤映画の一環として楽しませていただきました。見ることができて幸せです。
ところで若山セツ子さん、晩年は不遇だったようですね。この純真な春坊を、入院から自殺(1985年)に追い込んだのが、日本の高度経済成長からバブル期の社会性でないことを祈ります。

なお写真1はキャプチャー画像ですので、ダウンロードや転載はお控えください。←俺は控えないという勝手な主張はダメですよ。歪んでてご免。
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