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2022年08月01日02:30

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40年“連れ添った”友人が語るデニス・ホッパーの思い出。ニック・エベリング監督のドキュメンタリー「デニス・ホッパー/狂気の旅路」(2017)。

まず製作年度として僕は2017年と書きましたが、オールシネマ・オンラインとimdbは共に2016年としています。2016年にベネチア映画祭で上映したことから2016年としたのでしょう。ただし僕がモンドTVで見たバージョンには、エンド・クレジットに2017年と出ます。本編に表示される年代が実際の製作年より後ということはないので、今回に限り2017年を製作年(=初公開年)と考えました。

デニス・ホッパー監督の「イージー・ライダー」(1969)は、“もっとも成功した自主映画”として世界的にヒットしました。コロンビア映画の配給によって自主映画としては記録的な興行収入を上げた、という意味です。その後、ロバート・ロドリゲス監督の「エル・マリアッチ」が7000ドルで作られ、それが稼いだ事実もありますが、そちらはあくまでコスト・パフォーマンスの意味です。

その2作がどちらもコロンビア映画(=ソニー・ピクチャーズ)だということで、僕は笑い話のつもりで紹介しました。とはいえデニス・ホッパーという俳優兼監督が、次回作「ラスト・ムービー」製作に関して、編集権を盾にラストシーンの変更を認めず、そのため配給元のユニバーサル映画の怒りを買い、ハリウッド出禁となったらしい。

このドキュメンタリーは、デニス・ホッパーと「ラスト・ムービー」製作で知り合い、以後ホッパーが死ぬまで40年間を友人として過ごしたサティヤ・デ・ラ・マニトウのインタビューを中心に収録しています。ホッパーの才能を認めているヴィム・ヴェンダースらも証言しているから、サティヤの一方的な思いとは言えないでしょう。

デニス・ホッパーは、伝説の俳優ジェームズ・ディーンに感化されたとサティヤは語ります。なにしろ映画出演作が3本しかないディーンです(端役は除く)。そのうち2本も共演した俳優は、デニス・ホッパーしかいない(「理由なき反抗」と「ジャイアンツ」)。←ディーンと親しかった俳優そのものが少ない訳ですが。

ディーンに感化されたホッパーはアクターズ・スタジオに学び、役になりきるメソッド演技を会得したとサティヤは語ります。「ラスト・ムービー」のあと25年もハリウッドから干されたホッパーですが(サティヤ談)、酔っ払っていても役に入り込んだら演技をキメていたらしい。このあたりヴェンダースの証言も加わります。

僕にはどうも“演技”というものが理解できていないので、俳優さんの演技だけを取り上げてどうこうは言えません。しかしアクターズ・スタジオで学んだ多くの俳優さんたちが“演技派”として成功し、メソッド演技そのものが高く評価されている事実は知っています。「ラスト・ムービー」はベネチア映画祭で受賞したわけで、ヨーロッパの評価とハリウッドの対応の違いも大きかったのでしょう。

ハリウッドがホッパーを干していた時期に、ホッパーへの出演依頼は“映画が産業として成立していない国”からが多かったそうです。そのひとつとしてオーストラリアが紹介されるのは、映画史的に正しいのでしょうか? その正誤は置いといて、“ホッパーと関わると二度とハリウッドと仕事できなくなるぞ”と忠告する人がいたらしい。ところが出演依頼した人は、“今までハリウッドと一度も仕事していないから構わない”と応えたとか。

とりあえずヴェンダースの「アメリカの友人」が1977年、コッポラの「地獄の黙示録」が1979年なので、「ラスト・ムービー」から10年も経っていません。しかしハリウッドにそびえ立つブラック・タワービルのMCA(ユニバーサルの親会社)の重役たちは、ホッパーを許さなかったということでしょう。

ホッパーの友人ということで、ディーン・ストックウェルがインタビューされ、ラス・タンブリンの名前も上がります。ホッパーは絵画にも才能があったと語られたとき、“ジャック・ロードとは違うけど”というセリフがありました。僕が「007は殺しの番号」における“初代フェリックス・レイター”と記憶しているジャック・ロードですが、二十歳ごろに描いた絵がメトロポリタン美術館などに買い取られているそうです。知らんかった。

というような、いろいろな固有名詞が交錯しますから、なかなかの発見もあるドキュメンタリーと言えるでしょう。とはいえ邦題の「狂気の旅路」というのはいかがなものか。原題は「Along for the Ride」で、サティヤがホッパーとの関係を、一緒に遠乗りに出かけたという雰囲気にとらえたと思えるのですが、狂気で片付けちゃマズいでしょ。

確かに幻覚などを見て病院に収容されていたこともあるわけです。しかしそれを狂気と片付けてしまうと、そもそもこのドキュメンタリーの意味がなくなるように思えます。常識的には狂気に見えても、本人を理解した人間には狂気ではないし、本人もまた理解者の前では絶対に狂気ではなかったのだ、と僕は感じました。

それにしてもミシェル・フイリップスって、ホッパーとも結婚していたんですね。あ、この名前にピンとこない方は、このあたりスルーしてください。僕はジョン・ミリアスの「デリンジャー」で彼女を記憶しています。ジョン・ミリアスを知らない方も同じくスルーしてください(笑)。

要するに、次々と出てくる固有名詞にどう対応するか、それがこの映画のポイントです。つまりAlong for the Ride(一緒に遠乗りしてきた)という人間関係のパースペクティブが、“深み”を感じさせてくれるという作品でした。ということで、サティヤの言に従ってトルストイの「芸術とはなにか」を読まなくちゃ。

写真3は、インタビューされていた女優の1人ジュリー・アダムスの代表作として上げておきます。
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