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2022年01月26日23:07

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ポタリストの記録・【2022年の初ライドは禅寺参拝とサイエンスライドヘ・その3】

■龍像寺・もうひとつの縁起■

柔らかい光に照らされたお寺は地域の人達によく護られているのを感じた。

この淵源山龍像寺は曹洞衆広沢寺の末寺である。
 
縁起によると暦応年間(1338〜1341)、村の東にあった大きな池に住んでいた大蛇が、しばしば人畜に被害を及ぼしていたため、当時の地頭・淵辺義博が、かぶら矢を放ち退治。

蛇体は三つに分かれ飛び散ったため、それぞれの地に葬り龍頭寺・ 龍像寺・龍尾寺を建立したと伝えられている。

その後、3寺とも荒廃したが、弘治2年(1556)に巨海和尚により3寺を統合する形で龍像寺が再興されている。

龍像寺には以前紹介した淵辺義博だけでなく、江戸時代の淵野辺村領主、旗本岡野氏一族の墓所がある。もうひとつの縁起とはこの人物のことだ。今回この人物にスポットを当ててみよう。

岡野氏の初代、板部岡融成(江雪斎)は、小田原北条氏の外交僧として活躍した人物で、北条氏滅亡後は豊臣・徳川両氏に仕えた人物だ。

天文6年(1537)鎌倉幕府執権北条氏の末裔と称する田中泰行の子として伊豆下田にて生まれた融成は、江雪という真言宗の僧侶だったが、関東の雄・北条氏政の命により板部岡康雄の養子となり家督を相続。右筆・評定衆として活躍した。

また、寺社奉行として寺社の管理にも関わり、佐竹氏との戦いの戦勝祈願や、病に倒れた北条氏康の平癒祈祷などを行なっている。

天正元年(1573)に北条氏と同盟を組んでいた武田信玄が亡くなった際には、氏政の名代で病気見舞いとして甲斐国に赴く。しかし信玄の弟・信廉が影武者となっていることを見抜けず「信玄生存」と報告する失態を犯してしまう。

それでも北条・武田の同盟決裂後に結ばれた織田信長との同盟では、江雪が北条の使者を務め、「本能寺の変」で信長が亡くなった後、信濃国をめぐり徳川家康との戦い(天正壬午の乱)が始まると、和睦交渉に奔走し、家康の娘・督姫を氏直の正室に迎えるという北条に有利な和睦を取りまとめている。

天正17年(1589)、北条氏と豊臣秀吉との対立が深刻になると関係修復に尽力。北条と真田との間で起きた沼田領問題では秀吉が裁定を下すことになる。江雪斎は北条の代表として事情説明のために上洛した。このとき、秀吉は江雪斎を大変気に入り、自ら茶を点ててもてなしたという。このあたり「人たらし」(調略)が大得意な秀吉らしい応対といえるかもしれない。

小田原征伐により北条氏が没落した後、江雪斎は岡野融成と名を改め、秀吉の御伽衆となる。秀吉の死後は長男・房恒が仕える徳川家康の家臣になり、「関ヶ原の戦い」では、先行して関ケ原に赴き、東軍に寝返りの密約を結びながら、なかなか参戦しようとしない小早川秀秋に参戦を促している。

江戸幕府開府後も徳川家康に近侍し、慶長14年(1609)に伏見で亡くなった(享年73歳)。

その後、江雪斎の子孫は旗本として存続している。長男・房恒の家系は武蔵国都筑郡長津田村(現・神奈川県横浜市緑区長津田)を所領。そして、次男・房次の子の英明が淵野辺村を所領し、龍像寺を菩提寺としたのである。

英明の死後、淵野辺村は本家 貞明・分家 友明に分知され、幕末まで続いた。龍像寺には江雪斎の供養塔がある。

北条→豊臣→徳川と勝ち馬に乗り換え、何とか岡野氏は存続出来た。大河ドラマには出て来ない人たちの必死の生き残りが感じられ、興味深い。

新型コロナウイルスでなかなか手水鉢のお水にありつけなかったが、本日は水を湛えていて、頂くことが出来た。真冬とは思えないほど温かい水だった。

■方位の測定の方法■

再び忠生通りに戻る。ここで境川を南下すればの町田駅は直ぐだが、そもそも町田駅は自宅から見て南とも東南とも被る地域なので行かずにいた。

ここで以前方角の測り方って、どうしたら良いのかというお問い合わせを頂いたので、ちょっとしたアンサーコラムとして述べることにしたい。

先ず地図の真北と磁北はやや異なるということである。磁北は文字通り方位磁石の北を指す地域を指す。診断の際は勿論磁北が基準となる。

これが日本の場合約6度西に傾いている。6度のズレがある。6度というと、大したことないじゃんと思うかもしれない。確かに時計の針では1分に過ぎない。しかし距離にこの誤差は比例していく。

では実際にやってみよう。自宅から見て、どの地域が何の方位かを調べる方法である。

磁北を地図に表記する方法

先ず地図上の自宅を貫通する垂直の線を引き、そこから6度西に傾いたところが磁北となる。

磁北から自宅を結ぶ線、この線を二等分線と見做し、今度は左右にそれぞれ15度ずつ自宅を貫通させる傾いた線を引く。

これで真北のエリアが出来上がる。

後は三角定規の90度のある方を使い、その斜辺(60度)を線に合わせる。東北、北西どちらからやっても良い。60度のある方の底辺に線を引くが、同様に自宅を貫通させる。これで東北(または北西)のエリアも出来上がる。

同様に東、西、南は30度のエリア、東南、南西は60度のエリアになり、線が全て自宅を貫通してあれば、自宅から見てどの地域が何の方位かが分かる。

東西南北:30度、東北、東南、南西、北西:60度

この時方位がどっちつかずのところが必ず出て来る。そういった地域は両方が吉方位でも、ふたつのエネルギーが激しくぶつかるところなので、出来るだけ行かない方が良い。そこはゴタゴタや失敗が起きやすい。またこの地域は何回行っても信号機が赤、という場合も多い。

自分にとって、それが町田駅だったのである。

この地域に行くと本当にゴタゴタが多い。交通の便は良いのだが。私事で大変恐縮だが、学生の時はおカネを落としたし、3回お見合いして、3回失敗したのがこの町田駅界隈だった。(笑)3回目で漸く方位を測定すると、東南とも南とも言えない方位であることが判明。

なるほど、何をやってもダメな訳である。以後、通過するだけにしている。

字数もだいぶ圧して来たので、今回はこれまでに致します。次回はJAXA相模原を見学致します。はやぶさ以上に興味深い展示を見つけましたので、それを見てみたいと思います。

(続く)

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