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2020年08月23日05:17

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“問題をすり替えている限り、未来はない”という言葉が重くのしかかります。ラウル・ペック監督「私はあなたのニグロではない」(2016)。

冒頭にジェームズ・ボールドウィンが出演した1968年のテレビ番組が流れます。司会者がボールドウィンに、“黒人の市長が登場し、公民権も獲得した。なのにまだ問題があるのですか?”と問いかけます。ボールドウィンは苦笑いしながら、“アメリカには未来がないと思います。問題をすり替えている限りは”と応える。

この時点で僕は、何を指して“問題のすり替え”とボールドウィンが指摘したのか、ぴんと来ませんでした。しかし90分後、映画が終わったとき、題名の「私はあなたのニグロではない」という言葉の意味がわかるようになっていた、ということです。ただしこの“分かる”は、どこまでの理解なのか、もっと反省し続けないといけない内容だということも、同時に確認できました。

僕は“ニグロ”という言葉が、黒人に対する蔑称だと理解してきました。しかしもともとは、“ブラック”という蔑称を使わないようにするために使われ始めた言葉だとも知っています。差別的な言葉を封印しても、差別が存在する限り言葉の意味が変わる、使用する人間の考え方が言葉に現れる、という事実があります。

僕が学生時代、ブラックパンサー党の標語などで“ブラック・イズ・ビューティフル”という言葉がよく使われました。それ以後、ニグロは差別語でブラックならいい、という認識が定着しました。しかし基本的な問題は何も解決されてこなかったことを、最近の“ブラック・ライブズ・マター”などで嫌というほど知らされています。

この映画は、ジェームズ・ボールドウィンの未完の小説「Remember This House」を基にしているそうです。その文章をサミュエル・L・ジャクソンがナレーションとして語ります。そしてボールドウィンがケンブリッジ大学で講演(討論会?)した映像など、記録映像が綴られる。憲法を修正して黒人が白人の学校に通えるようにしたケネディ大統領たちでさえ、黒人問題の本質を理解していなかったと指摘するボールドウィンの言葉は痛烈でした。

つまり黒人問題は、“根強くアメリカに残っている”ものではなく、白人が作りだしたものだということです。アフリカから黒人たちを連れてきて、奴隷として働かせた。その体制を維持するために、人種差別が行われて現在に至っている訳です。だから“私はあなたのニグロではない”と言っている。

ボールドウィンは“アメリカン・ウェイ”を完遂しようと呼びかけているわけです。その呼びかけのために彼はタイプライターの前に座ったのですが、アメリカにいる限り“命に危険が”迫る。そこで1948年、パリへと移住しました。しかし1960年初頭から、マルコムXやマルティン・ルーサー・キングらが声を上げ始めて、ボールドウィンもアメリカに戻ります。

しかし今なお、ブラック・ライブズ・マター問題があります。つまり偏見を持った白人が大統領になったから問題なのではなく、大統領になる人間の心の中に偏見が残っている事実が問題なのです。それは同時に、“問題の本質を見抜いていない”僕自身の中にもある問題なのでした。それをこのドキュメンタリーは明確に指摘します。

ボールドウィンは言います。南部で15歳の少女が学校に行こうとしたとき、ケネディ大統領が同行してやれば違ったはずだ、と。ツバを吐かれ嘲笑の嵐の中を歩いた少女に、大統領が同行していたら同じことが起こっただろうか?ということです。ケネディ大統領やケネディ司法長官たちも、人種差別問題を白人が作ったのだという認識に欠けていた。その指摘は実に強烈です。

ということで、この90分のドキュメンタリーは実に重い。今なお続くブラック・ライブズ・マター問題が、さらに追い打ちをかけます。しかし、“問題をすり替えない”なら“アメリカン・ウェイ”は有効なのだとも言える。楽観はできませんが、それを信じて明日に希望を抱くしか、我々にはなすすべがない、ということなのでしょう。

それと、キング師たちのワシントンへの行進には、マーロン・ブランドだけではなくチャールトン・ヘストンも加わっていたことを、僕は記憶しておきたいと思います。マイケル・ムーアが“私はライフル協会の会員です”と言いながら、ヘストンを悪人に仕立てたインタビューがあっただけに、僕の“ベン・ハー”を少しは救済しておきたいのです。
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