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2020年02月02日21:20

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ポタリストの記録・【名刹比べと不思議な体験・その1】

■今年初めての墓参りへ■

先日祥月命日だったので、亡父、叔父の墓参りと西多摩地区を代表する名刹2件、参拝を兼ねて自転車で行って来た。普段はクルマで行くのだが、近い将来クルマを手放した際、自転車でそのようなことが可能かどうか、そして可能な場合、負担はどれぐらいか確認したかった。ある意味、「実験」である。何しろクルマは乗らなくてもたとえローンを完済していたとしても、駐車場代を加味すると3万円でお釣りが来るか来ないかでは幾らクルマ好きの私でも手放さざるを得ない。逆にクルマを手放せば実質3万円は節約になる。そう考えた。

9時にJR拝島駅南口をスタート。

いつも通り武蔵野橋を潜り、暫し五日市線沿いを走った。武蔵野橋を潜ってすぐのところは角からクルマが飛び出して来るので注意。年に数回、ここで接触事故がある。一時不停止の車両が多すぎるのだ。


熊川駅前の奥多摩街道を青梅方面に向かって進む。スーパーバリューの前を斜めに入り、福生市商店街の道を進む。ここの商店街はなかなか健闘している。西友が振るわないからだろう。実際売場に行っても、お客さんがいるのは飲食店街(ここの大戸屋はお勧めである。同社の誇る多摩地区きってのモデル店舗らしい確かにおいしい)、本屋、そして食品売場のみ。紳士衣料品の売場に至っては頭上でチャカチャカとBGMが鳴っているだけ。どうみてもお客より店員が多い感じだからだ。

直進すれば羽村、小作を経由して青梅に出られるが、本日はあきる野市にある墓参りに先に行くため、商店街の途中から下り、暫し五日市街道へ。多摩橋を渡る。この先はやや長い坂となっており、崖っぷちの切通し。自転車には適さない通りである。そこで平沢から斜に入り、住宅地を抜けていく。この通り沿いに「ざくざくばばあ」という妖怪の伝説があったことは以前書いた。今は湧き水もない。

上がると先程の五日市街道と合流できる。合流地点は嘗てはパークというスーパーがあったが、今はFMになっている。歩道橋を横断して南下すると東秋留駅付近に出られるが、確かにコンビニが一軒も北側にはなかった。意外かもしれないが、事実だ。地元の人たちに重宝されているのではないだろうか。歩道橋の先は長閑な田園が広がる。

■多摩地区最大のファーマーズかも■

その先にある大きな平屋の建物はファーマーズである。東京都には各地にある農協系の物産店のひとつ。自宅周辺はこちら以外に日の出、日野、立川(砂川)にあるが、どこよりも大きい。恐らく多摩地区最大だろう。入口の大きな手作りのとうもろこしの看板が出迎える。目の前の五日市街道は通称「とうもろこし街道」と呼ばれていて、毎年梅雨明けに近いころ、売り始めて曜日によっては順番待ちも見受けられる。
その他の野菜もスーパーとは比較にならないほど廉価だ。自転車ということで、野菜は買えないが、冬の時期は鍋の材料は殆どここで調達出来ている。その他、西多摩地区で作られているものが売られている。道の駅並みの商業施設だ。時折大型駐車場の観光バスにも駐車していることがある。レストランは地元の食材を使っているのであれば、もう少し充実してくれても良い気もするが。

ここに寄ったのは供花の調達が目的だった。ついでながらその隣のJAで日の出町の燻製チーズも買った。これほどの品なのだが、なぜかファーマーズでは売っていない。ひとつ660円もするが、濃厚である。後はひさしぶりにイナゴの佃煮も買った。ここのイナゴの佃煮は頭を外しているので、イナゴ独特のグロテスクさはない。その分やや高く、530円もするが、またタレがそんなにベタベタしていないので、手でつまみ食いしても手を汚すことが無いのも手軽だ。そもそも東アジアの民族は肉食ではなく、虫食がメインだったはずだ。バリバリと酒のつまみに頂くと意外と元気が出る。

子どもの時は食べ過ぎて鼻血が出たことも。(*_*;

そこから永田橋通りに出て、滝山街道を北上、途中にある霊園墓地が当地である。

■墓相あれこれと墓地で不思議な体験■

墓地前は激坂と言っても良いほどなので、桶の近く、自販機脇にアースロックをして用を足し、墓地へ。父と叔父の墓は徒歩で難なく行けるほどの距離である。本日は甲子園の常連校、東海大菅生高校の野球部がトレーニングをしていた。平日は時々霊園墓地を利用しているようだ。気合を入れる先生、黙々と走りこむ部員が見える。勿論ただ使っているだけでなく、5月の連休明けごろは鐘突堂付近の広場でお祭りが催されるが、同校の音楽系のクラブの部員が演奏することもあると聞いた。

いつも通り掃除をして、供花を準備する。亡父は派手好きだったから、菊の花は買わなかった。その代わり冬の花を買って飾る。水は少しこぼれるぐらいいつもやっている。瀬戸内寂聴さんに言わせると、この水に浮遊霊は弱いらしい。彼女に言わせると、花は棘さえなければ何でも良いらしい。ただ生前バラが好きだった人の場合は棘さえ取ってあげれば供花として問題無しだという。

父と叔父の墓には水を飲む切り込みがないので、コップに昭島市の地下水を汲んでいつもあげている。コップは生前父が新潟に慰安旅行に行った時に買ったステンレスのコップだ。燕の鉄である。叔父は亡くなる間際地方で生活保護を受けていた。彼は大腸がんで一級障がい者となり、ケアマネージャーが生活保護を受けるように手配してもらった。本人はそういった事情だから、万一亡くなったとしても葬儀を挙げないでくれという。葬儀を挙げれば生活保護に掛かったお金を請求される恐れがあるからだというのだ。町役場から連絡が入り、荼毘に付したから、何日以内に遺骨を取りに来なければ無縁仏にするぞと言って来た。義理の妹夫婦はクルマを出すと言ったが、彼らのクルマはトヨタ・クラウンだ。そんな高級車で行き、福祉課の人に見つかったら、お金を請求されることだって有り得る。そこで私の軽自動車以上に安っちいヴィッツで取りに行くことに。

この時はまた驚いた。

何と遺骨の安置している隣は動物霊園であり、犬や猫がけたたましく鳴いているので何事かと思えば、敷地内の用務員さんの話だと、犬や猫たちは貰い手がいなければ最終的には殺処分されるので鳴いているのだという。
 
着くとしかも係の女性は身分証明書をこちらから出す前に彼の遺骨を差し出したから驚きである。宅配便の荷物受け取りですら今では顔パスという訳にはいかない時代なのに。勿論彼女は人を見て判断したのだろうが、いかにこういう境遇で亡くなった人に対しては遺骨を取りに来ない人間が多いことの証左ではないか。

私はお寺巡りが好きな割には宗教には無頓着で、母方の実家の先祖代々の位牌には全て「空」から始まる漢字だったため、勝手に「空」→空海→真言宗、と思い込んでいた。ところが曹洞宗だったのである。それほど無頓着だが、因果応報はあると思う。遺骨を取りに来ない、村八分の残り二分(二分は葬式と火事)もないような非情な、無節操な人間は将来の子孫が吠え面をかく事になるかもしれない。私は可能な限り密葬でも良いから葬儀を挙げ、廉価でも戒名を授けたかったが、後に地方自治体から依頼された取り立て屋の存在を知り、諦めることにした。それでも結局墓誌には俗名で載せることにした次第である。

少々やかましいことを言うが、最近では墓誌に刻まれない名があるという。刻まれない名はその家から排斥された人ということになり、これまた子孫が祟られて吠え面をかくことになる。親切な場合はその代の主が元気な時に色々とサインを送って教えてくれる場合もあるようだが。

また墓誌の一番右側は女性を刻むとその家は男子が生まれず、絶家(子孫断絶という意味ではなく、苗字がなくなる)すると言われている。そうはいっても、女性が最初に亡くなる場合だってある。このケースは一人分開けてから刻めば問題はない。

線香を焚く。この日は無風状態だったので、ロウソクから火をつけるのもラクだった。出来ればいきなり火種から焚くのでなく、ロウソクからくべてあげたい。その方が丁寧だ。

ロウソクも線香もなるべく匂いのないものが良い。特に神道の場合は一層そうだ。自然香が無難だ。アロマロウソクは個人的に好きで、おつきあいしていた方からも頂いたことがあるが、それを知っているので、墓地には持ち込まないし、仏壇にもささげる事はしない。先の瀬戸内氏によると、特に白檀の香りは嫌いな人(勿論あちらの人、霊)が多いらしい。逆に無性に好きな人が寄って、家までついてくることもあるから避けた方が良いとのことだった。

ここでちょっと不思議な事が起きた。

私が線香をてんこ盛りにしてくべて祈っていると、袖口をクイックイッと優しく引かれた。後は人が立てるスペースはあるものの、誰もいないはずだった。振り向くと、荒れたお墓があった。こちらはここ半年以上親類が訪れていないようだった。かわいそうなことに、墓にいるのはまだ当時高校一年生のお嬢さんである。交通事故で亡くなったと以前彼女の親御さんからお聞きした。暫く会っていなかったので心配はしていた。

とっさに思った。・・・矢張りずっと来ていなかったのか。怖い感じは全くしない。

「わたしもお線香欲しいんです・・・。」

見えた訳ではない。しかしこの若い娘さんが言っているように聞こえたので、お水を替えて切り花を一本分けて、線香を香炉に入れて拝んだ。

この区画の界隈は数人の知り合いが眠っているので、その家々のお墓も水と線香はお盆、お彼岸、年末といった確実に墓参りの人が来る時期以外はいつもあげている。神の加護は私にはあまりないようだ。あればこのような就職氷河期にわざわざ当たるようなことはなかっただろう。結婚だって、適当な時期に適当な異性が現れ、今頃子どもだって設けているだろうから。しかし最低限度のことはしていると仏に評価はされているせいか、ありがたいことに、こんな神からクソカードばかり引かされている私すら、必ずしも見捨てられている訳でもなく、仏に守られている感は確かにある。

私がクソカードばかり引かされているのは3代先のご先祖に真摯に生きず、善良な人を泣かせた人がいたからだろう。こうしてみると先祖供養は先祖の為、と言いながら、実は自分の為にやっていることが分かる。

墓地はトイレも自販機もあるので、水分補給に事欠かない。そろそろ昼に近いので、秋川駅へと向かう。市街地までは平井川に掛かる菅瀬橋を渡るとなだらかな上り坂。そこを上がったところに家族経営でやっている小川家という蕎麦屋がある。安くて入りやすいのだが、今日は営業していなかった。最近休みと当たることが多いのだが、ご主人、大丈夫だろうか・・・。

先程立ち寄ったファーマーズ近く、畑の中に花がきというお店がある。ここも昔からある和食屋さんだ。こちらはいつもお客さんがいっぱいだ。お座敷もあるので、法事の帰りに予約で使われることが多いようだ。本日も駐車場が満杯で混んでいたため、先行して大悲願寺に行き、帰りに立ち寄ることにした。

最後まで御覧頂きありがとうございました。

(続く)

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