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2019年10月06日22:38

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真正直な剛球人生

おれの中学か高校時代だ
パリーグの試合はいつもガラガラで、
ロッテの監督になったカネヤンは、
「パリーグもおもろいんやで!みな来て〜や!」
と呼びかけていた
監督でも優勝したんだよなあ


カネヤンが高校生だったときの話を忘れられない
野球をしていても、あっちの欲は抑えられず、
じぶんでシゴいたトイペのチリ紙を、いつも屋根の上に放り投げていたそうだ
それがトユに詰まって、雨水がオーバーフローしてしまい、
おやじさんにさんざ叱られたんだと。  


あけっぴろげで、人間臭く、人生も豪快痛快に駆け抜けた大投手カネヤン
あなたのことを忘れません。


追記・10月7日朝刊より

1958年、立教大から巨人に入団した黄金ルーキー長嶋茂雄のデビュー戦で4打席連続三振の洗礼を浴びせ、プロの意地を見せた。
 後年、長嶋さんは自伝の中で金田さんが報道陣に「長嶋ひとり牛耳ったところで、わしの給料は上がりませんよ」と話したという言葉を記している。当時は東京六大学リーグはプロと遜色ないと言われていたが、金田さんの球に驚嘆したことを明かしている。


さらに共同通信・菅谷斉さんの記事「評伝金田正一」より

「現役ばりばりのころ、長身で長い両手を振りながら歩く姿は、この世に怖いものなし。本当に偉そうに見えた。
 付き合ってみると実像は人間くさかった。なにしろ驚くくらいの寂しがり屋。ロッテ監督時代、試合に負けると「食事をしようや」と何度も声を掛けられた。敗戦の悔しさを吐き出すと落ち着くのである。独りだと不安で眠りにつけなかった、と聞いた。
 お開きは「仰げば尊し」を歌ってから。「わしはな、高校を中退してプロに入った。だから同級生と卒業式をやっておらん。『仰げば尊し』と歌いたかった」。わが師の恩、と声を上げたかったのは、プロ入りまでの先生たちの支援があったからである。
 現役を引退した直後、「わしは来年も投げるつもりだった。ところが400勝の試合で胴上げはされるし、長嶋なんて泣いておる。辞めざるを得ないだろ」。現役最後の金田節ジョークだった。」


■金田正一さん死去 プロ野球元投手、通算400勝
(朝日新聞デジタル - 10月06日 20:56)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=168&from=diary&id=5816068
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