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2018年11月10日21:00

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藤田嗣治

『藤田嗣治 異邦人の生涯』(近藤史人)
を読んでゆきました。


没後50年
藤田嗣治展
@京都国立近代美術館

126点のうち海外から来ているのはポンピドゥーや
ランス、プティパレ(スイス)などから28点。
まあ日本人画家でもあるので国内にもいいものが
あるのは当然といえば当然ですが。

近美の《五人の裸婦》や戦争画、
大原の《舞踏会の前》
川村の《アンナ・ド・ノアイユ》
豊田の《自画像》《スペイン女》
などと嬉しい再会。


個人的に最も心に残ったのは個人蔵の《夢》(1954)。

天蓋付きのベッドにやや体を捻って横たわる裸婦。
向こうを向いているので表情はわかりませんが
大変美しいシルエットの横顔です。
暗闇から彼女を覗き込むような位置に狐や狸、猫や鳩といった6匹の動物たち。
天蓋の布はフランス更紗で、子供たちが遊ぶ様子が
繊細に線描きされています。
殆どモノクロに近いので《私の夢》のような華やかさはありませんが、寝乱れた髪も複数の筆をもって描かれていて触れたくなるよう。
例によってポストカードにはなっていませんでした。
個人蔵だからかな。でも個人蔵でも《小さな主婦》はグッズになっていたけれど。

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トークショーを聴きました。

ファッションから藤田を読む
〜ベルエポックから狂乱の時代まで〜
深井晃子(服飾評論家)
林洋子(美術史家)

【本展のコンセプト】(林)

京都では2006年、君代夫人の存命中に生誕120年の展覧会がありました。
その時は夫人のプライベートコレクションがかなり出ていたのですが
今回は家族も亡くなられて歴史化された藤田を学術的に取り上げるのが目的の展覧会です。
私は個人的に藤田の手仕事などバックヤードの研究をしてきましたが
今回本人が生前望んだであろうオフィシャルな展覧会とすることによって
結果として関連する様々なことも読めてきました。

7月に東京で始まった本展は、京都を経て、年明けには規模を変えてパリへ巡回することになっています。

展覧会というのはマラソンのようなもので
始まるまで大変慌ただしく、それまでの蓄積を
全て吐き出してスカスカになるのですが、
始まるとムクムクと次のネタが湧いてきます。
今日は公開勉強会として、私も次に実現する展覧会の
モトを得ることを期待しています。

さて、本日深井先生をお呼びしたのは。

当初、藤田はアンティークを集めて描いているのは
わかっていましたが
ファッションまで意識していませんでした。

ところが今回初来日した
《エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像》と
《アンナ・ド・ノアイユの肖像》
という20年代の女性像2つが
京都展で初めて並ぶのを見て気づいたことがありました。
(東京ではアンナ・ド・ノアイユの展示なし)

今回借りられなかった《エレーヌ・フランク》(1924ベルギーイセ文化基金蔵)
これは練馬区美術館の鹿島茂コレクションの《ガゼット・デ・ボントン》掲載のジャンヌ・ランバンのドレスだと判っています。

フォト

(写真上から時計回りにエミリー/エレーヌ/アンナ)

つまり藤田画中では、小物等のモチーフこそ18/19世紀のアンティークですが
ファッションは当時の最新流行なのではないでしょうか?

その辺りを深井先生にお話いただこうと思います。

【ファッションから読むフジタ】(深井)

(スクリーンには藝大卒業製作の自画像と
エコールドパリ時代の自画像)

◆フジタのスタイル

藤田は1913年に渡仏すると異例のスピードで成功した画家です。
1920年代という景気のよい狂乱の時代でした。
藤田の絵画的な才能はヌードや肖像画等様々なところに見られますが
ファッションとも切り離すことはできません。

ここで彼の自画像を見てみましょう。
最初は1910年、藝大卒業の時のもの。いかにも良家のお坊っちゃま。
それが1929年のこちら(東京国立近美)ではおかっぱ頭、ヒゲ、丸眼鏡にピアス。
これは単に注目を集めることが目的だったのではありません。
パリで藤田は新進画家の溜まり場・モンパルナスでピカソらと出会いました。
当時はアカデミズムから脱却する動きが顕著であり
彼の目には革新的な方向を模索する戦場と映ったことでしょう。
この髪型やスタイルは、自分もそこで戦う、そのための自己表現であり1種の鎧となりました。

パリにおいて服装は自分らしさの表現なのです。

◆当時のデザイナー

当時のパリには
・ポール・ポワレ
・ココ・シャネル
・ジャンヌ・ランバン
・マリアノ・フォルトゥニー
・ビオネ

らがいました。
ポワレが女性をコルセットから解放したことはあまりにも有名です。

◆肖像画中のドレス

当時描かれたドレスは高級注文服(オートクチュール)です。
スーツ1着で現在の数百万円しました。
それを彼女たちは一張羅でなくじゃんじゃん買っているのです。

◆エミリー・クレイン=シャドボーンの肖像(1922)

彼女はシカゴ出身の富裕なアメリカ人で
1917年の個展が成功した藤田へ肖像画を注文したのです。

胴の部分は型押しベルベット。
ポールチェニーの型押しベルベットでしょうか。
青いドレス部分にはひび割れのような線がありますがこれはなんでしょうか。単なる劣化ではないと思います。
丈が長い室内着でマイヤー・ガレンガのポシェットに大変似ています。
生地はガレンガのものではないでしょうか。
靴はサテンの室内ばき。
ストッキングは緑の絹で縫い目まで正確に描かれています。
藤田はおしゃれに敏感な眼差しの画家ですね。
足元のクッション、猫の毛並みまで質感がよく表れています。

◆アンナ・ド・ノアイユの肖像(1926)

アンナはルーマニアの王家の血をひく詩人で、
フランス政府から勲章も受けた才女です。
アンドレ・ジイドやモンテスキュー、コクトーなどを集めるサロンを主催していました。

この絵は背景が真っ白ですしサインもないことから
未完と言われています。

さてこのドレスですが、ポワレに似ています。
ストンとしたシルエット、裾と袖に花が刺繍されたチュール。
藤田はチュールの六角形の網目まで超絶細かく丹念に描いています。

ゴールドに見える上身ごろはプリーツです。
現代のイッセイミヤケの「プリーツプリーズ」のようですね。ただし絹ですが。
これは誰の作った生地でしょうか。
私はマリアノ・フォルトゥニーではないかと思います。
これはフォルトゥニーの《デルフォス》。似ていますね。
ヴェネツィアで活躍し服飾デザイナーというより絵も描くし舞台装置もつくるマルチな人でした。
20年代にはパリに店も出していましたから知っていて不思議はありません。
ポワレはフォルトゥニーの服を店に置いていましたし
生地も持っていました。
あくまで仮説ですが、ポワレはフォルトゥニーの服に手を加えたのではないでしょうか。

当時のプリーツは絹ですから座るとすぐに
プリーツがとれてしまう。
するとまた店にプリーツをつけてもらうというお金と手数のかかる服でした。

プルーストの『失われた時を求めて』(1915)にはこんな服をアルベルチーヌに6着も買ってあげたという記述があります。
文学に登場するほど注目のデザイナーでした。
藤田も人気デザイナーと係わっていたのかもしれません。

◆ジェイ布

服から離れますが布の話をしましょう。

《座る女》(1921)では眼も髪も黒い貴族の女性が黒い服で描かれています。
白い肌が引き立っていますね。
唇と座っている布の赤がアクセントになっています。

この布はジェイ布というフランス更紗です。

ランバンのドレスの《エレーヌ・フランク》が座っているのも
ジェイ布ですね。
《五人の裸婦》(1923)の足元にも5種類のジェイ布が見られます。
藤田はアンティークの布も集めていました。

藤田の絵を通じてわかることは、
画家は布が持つ複雑で立体的な質感(テクスチャー)を
カンバスという平らな画面に再現し
視覚的に浮かび上がらせて、触感として
伝えなければならないということです。

つまり目を通して質感を触感として感じさせる。
白い肌も、その、質感を作り出す能力の表れでしょう。

◆染め

藤田の布好きはフランスのものだけではありません。

《自画像》(1936)
日本の居間で寛ぐ藤田。
「象牙のへら」や「物差し」といった裁縫道具がありますね。
背景に掛けられているのは江戸時代の布団生地だそうです。
右端に掛けられているのは長襦袢。

南米を旅したときの絵には今では見られない民族服が描かれています。

日本の絵では
《魚河岸》(1934)とか《角力》などいいですねえ。
沖縄の絵には芭蕉布や紅型を着た人物が描かれています。
芸術作品は衣服の記録でもあるのです。

【クロストーク】(深井×林)

◆コレクション

林「藤田は5回結婚して世界を3周しているといわれますが
アンティークの布を集めてリサイクルしている。
明治の人らしく物持ちがいい。
民芸の人たちと同世代で"染め"に関心があった」

深井「メゾンフジタにコレクションがあります」

◆アンナ・ド・ノアイユの肖像

林「アンナの肖像はどこまで未完成なのでしょうか。
はじめ私は人体は完成していて背景が未完だと思っていたのですが。
ドレスの完成度に比べて装身具は途中のような気がしてきました。
足元もよく見たら腕とは違う色で」

深井「紫色ですね。昼間にこんなストッキングははきません。
1920年頃からスカートが短くなって脚が出ると
肌色のストッキングがはかれるようになりました。
一方でイブニングドレスには色物のストッキングを合わせる。
プルーストの小説でも、公爵夫人が馬車に乗り込む際にドレスにストッキングが合わないのに気づいて戻ったためにパーティに遅刻する話が出てきます」

◆新たな視点

林「現在東京都庭園美術館で開催されている
『エキゾチック・モダン』展にポワレのコート《イスファハン》が出ています。
中近東的なエキゾチズムを感じさせる作品で本展と合わせてみると興味深い」

林「今回借りられなかった《マルト・バデールの肖像》(1925山王美術館)も
チュールやアールデコの本に加えて東洋的な装身具がエキゾチックです」

深井「宝飾品や髪型、ネイルやペディキュアにも
目を向けてほしいですね」

林「《座る女》(1929 国立西洋美)も借りられなかったので
常設でご覧になってください。
ドレス、靴、アクセサリーに金屏風のような背景です」
深井「花柄は30年代のものですから流行の先取りですね」

林「今回は男性ファッションはテーマでないのですが《ヴァイオリンを持つ子ども》(1923熊本県美)の少年ファッションはいかがですか。
デザイナーのマチュー・レヴィの息子ワグネルです」
深井「 この襟の形は慶応幼稚舎の制服と同じですね」
林「そうですか!
背景はただ黒いようですが、室内装飾を手掛けたのはアイリーン・グレイです。菅原精造にならってつくった漆の壁の前に立っている」
フォト

(写真左から《ヴァイオリンを持つ子ども》《魚河岸》)

◆黒服の女

《カフェ》(1949ポンピドゥ)
《スペイン女》(1949豊田市美)

林「ともに1949ニューヨーク時代の作品です。
よく見ると右端に足の不自由な男がいたり、カイゼル髭のギャルソンがいたり。
ニューヨークでもないしリアルタイムでもない」
深井「袖が肩でふくらんだデザインは一昔前のものですね」
林「20年代の肖像画はお金持ちの注文画だったので流行の先端、
1949年の肖像は藤田自らのアレンジだということですね」

フジタの絵には「幕の内弁当のように彼の好きなものが詰まっている」。
絵の変遷だけでなく
「使われている布は」「ファッションは」
というような視点でもみてください、とのことでした。

12月16日まで。
http://foujita2018.jp/


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常設展にも所蔵のフジタが10点余り。

そして同じく没後50年のデュシャン《パリの空気50cc》
フォト


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