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2018年08月06日22:18

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原爆に秘めた「敗戦」を「終戦」と言わざるを得ない理由

■知られていない日本の原爆開発。太平洋戦争中の極秘作戦「ニ号研究」の歴史
(THE PAGE - 08月05日 09:42)
http://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=177&from=diary&id=5231230

■多大な犠牲を払って、昭和天皇は将来の日本人の名誉を守った■

 軍事的にはアメリカ属国と言って差し支えないポジションにある日本だが、その状態でも少しずつ事実を語る人たちが出て来ているのは慶賀すべきことである。アメリカは戦後直後とは似ても似つかぬほど変わり果ててしまった。今後、いつまでもアメリカにベッタリと云う訳にもいくまいと思う。

 あのノストラダムスの大預言シリーズで有名な五島 勉氏の作品に

 『日本・原爆開発の真実』(祥伝社)

 がある。記事は学術的に過ぎる。寧ろこの話題にご興味のある方はこちらの方が読みやすいだろう。

 この記事では日本の乏しい物資では完成出来なかった、と読み取れるが、五島氏はそうではなく、時の昭和天皇が頑強に原爆開発を許さなかったからだと本書で述べている。

 日本は圧倒的物量に圧され、戦局が不利になっていく。そのような中、東條英機らは戦局を逆転すべく極秘にドイツから仕入れたウランを元に福島県の石川町で原爆を開発しようとしていた。いざ、その戦略を昭和天皇に報告した。

「陛下。戦局は厳しいですが、大逆転する戦略がございます。原子爆弾を製造すれば『米軍』を壊滅させることが出来ます。」

 すると、昭和天皇は

「確かにその兵器があれば、お前たちが言う通り、戦局を打開出来るかもしれぬ。しかし、日本が開発出来るものをアメリカが開発出来ないはずがない。他の国も追随していく。その結果、世界を破滅させることにもなりかねぬ。その日がやって来た時、『諸悪の元凶は日本だった。日本さえ開発しなかったら。』と云われれば、将来の日本人が世界中の人たちから世の終わりに後ろ指差されることになるだろう。開発はいかなることがあっても相ならぬ。」

 しかし戦局は更に厳しくなり、東條英機も

 「かくなる上は陛下の意に背くことになっても止むを得ない。」

 という覚悟を決めたが、どういうことか、またまた陛下の耳に入ってしまい、「お前ら、まだやっていたのか」と相当激怒されたという。

 ともあれ、日本に原爆が落とされ、敗戦した。この事実を追究しただけでもすごいことだが、なぜ敗戦の日と云わず、終戦の日と言うのか分からなかった。しかし、本書を拝見すると、その理由が分かった。

 陛下の玉音放送の際、頻りに出てくるのが「無辜の民」という言葉だ。これでもか、というほど出て来る。東條英機らは原爆投下を「米軍」に限定していた。しかし米軍は民衆の上に落としたのだ。昭和天皇は「お前らは非戦闘員の上に大量破壊兵器を叩き落したのだぞ。」ということをこれでもかと出て来る「無辜の民」という言葉から窺えるのである。まるで米軍に対する呪いの言の葉のように出て来るのだ。

 それで単に負け惜しみではなく、敗戦を終戦とせざるを得なかったのだろう。民衆が大虐殺された、それゆえ戦争は終えるという態度である。

 日本が原爆製造の秘密基地にしようとしていた福島県・石川町は甲子園の名門校のひとつ、学法石川高校のある街でもある。広瀬隆氏は震災の後、波状的にダメージを被った原子力発電所が引き起こす災厄を「原発震災」と名付けた。原爆を開発しようとした県で、原発事故が起きている。何と言う皮肉であろうか。矢張り無念の涙を飲んで多大な犠牲を払って終戦を迎えたのはご英断だったと思う。

 そのアメリカも圧倒的に突出した軍事力で今やそれを維持するのに大変な負担を強いられている。戦争が起きないと経済が回らないほどになって来ているのだ。残念ながら、アメリカの強大過ぎる軍事力が仇となって、相手になってくれる国などない。

 一方、被爆国の日本は多くの事を25年デフレで嫌と言うほど学んだだろう。デフレ経済は平和と親和性が高く、市場経済とも相性が良いということである。やれることは多いはずである。

 
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