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2018年06月30日21:51

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ゴードン・マッタ=クラーク

会場内で Youtube を検索しながら展覧会を観る・・・? そんなの初めてです。


ゴードン・マッタ=クラーク展
@東京国立近代美術館
フォト



マルチに1970年代を駆け抜けたアーティスト。
アジア初の回顧展です。


企画担当の三輪健仁さん(東京国立近代美術館主任研究員)
のギャラリートークを聴きました。




**********


まずバイオグラフィ。
(会場にはありません)


1943年生まれ。父はチリ出身、シュルレアリスムの画家ロベルト・マッタ。
母も美術教師という芸術一家の双子の弟。
母の再婚に従ってニューヨークへ。ここが彼の活動拠点となります。
はじめコーネル大学で建築を学び、フランス留学時は文学を学びました。
大学時代にアースワークアーティストの活動にふれてアートへ転向。
世に出たのは1970年頃ですが 1978年に35歳で早世したので
実際の活動期間は10年に満たない。。。




彼のアートへのアプローチはさまざまであり
一つの像がむすびにくい。
長生きをすればなんらかのかたちに収束したのかもしれませんが。


ですから本展を見に来るかたも、
料理研究家は「フード」のコーナーに興味があるでしょうし、
グラフィティライターは「ストリート(カルチャー)」のコーナーに興味が
あるかもしれません。


今回の展覧会は彼の活動を


・ミュージアム
・住まい
・ストリート
・港
・市場


という5つのキーワードで分類して展示していますので
関心の入り口をそれぞれどこかみつけていただけたらと思います。


【ミュージアム】


彼は展示室というホワイトキューブに懐疑的でした。
いわゆる美術館は外と遮断した閉じている空間です。
マッタクラークは「ミューテーション・イン・スペース」=空間中の変容
という言葉をつかう。
空間は変化するし、そこへ出入りするものも変化する。
たとえば、この展示室は数か月前には「横山大観展」をやっていました。
いまはマッタクラークの展示をしている。
企画室はテンポラリーはもので、ミューテーションするのです。
そしてそこへ観に来るひとたちもずっとそこにいるわけではない。
入って出ると変化しているかもしれない。


作品:サーカス
ここにあるボール紙の模型は、シカゴ現代美術館がマッタクラークに依頼した
ときの作品の模型です。
今回の展覧会のために早大の学生さんが作ってくれました。
シカゴ美術館は隣接する集合住宅を購入・改装して新館にしようとしたとき
マッタクラークに作品制作を依頼しました。
いったいにマッタクラークの作品は家を分断したり穴をあけたりといったものが
多く、そんなものは新築の物件ではない。壊すときとか
空き家で誰のものかわからないとか、そんなものでしょう。
ですから、70年代の「ビルディング・カット」作品は
作品を体験したひとがごく限られているのですが、これは唯一展覧会として
企画されたので一般のお客さんが入りました。
それでもオリジナルが残っていません。
いま展示されているような写真とか、記録映像とか、本のかたちしかない。


それは残念、でおわるのか。


いや、オリジナルはないけれど、40年後のいま
それとはまた別のゆたかな体験としてとらえられないでしょうか。


作品:ウインドウ・ブロウ・アクト
フォト


8枚組の白黒写真。建物と窓が写っています。
これは1976年に開催された建築シンクタンクの展覧会で
マッタクラークが出品依頼されたときに制作したものです。
サウスブロンクスやブルックリンの建物写真ですが・・・窓が割れていますよね。
これはニューヨークが再開発されたあと新しい建物がたったものの
そこへは家賃が払えなくてすめなくなった旧住人たちが窓を壊して
荒れはてていった地区の写真なんです。
荒れる、っていっても僕は実感がわかなかったんですが、動画サイトを
「1970 ブルックリン」とか検索してみて衝撃を受けました。
そしてこの写真は展覧会場の窓にたてかけて展示されていたのだそうです。
ところが展覧会オープニングの朝、マッタクラークは作品が立てかけられていた窓を
空気銃で破壊し、そのインスタレーションをもって作品を完成させました。
彼にはこの地区の再開発にかかわった人たちがその展覧会にも出ていると
わかっていて、それを批判する作品を制作したのです。
もちろん主催者は怒って彼の作品を撤去し、割れたガラスもその日の夜のレセプション
までにすっかりきれいに直してしまいました。
ですから彼のその作品を目にしたひとはほとんどいないのです。


【住まい】


作品:スプレッティング
フォト




会場には4つに分断された家があります。
切断されたものがパーツとして残っているのは10個から15個だけだそうで
今回の展示は大変貴重なものです。
会場にあるあの小さなモニター映像なんですが、あれは
マッタクラークがスプレッティングを行うのを見るツアーをしたときのもので
実際に切断している途中の家の屋根に登ったりしていて・・危ないというか。
あとでどうぞご覧ください。
記録写真を組み合わせたコラージュもあのように多数ありますが、
これは「復元」ではありません。
当然上からとったりしたからとったり角度がいろいろですので
断面をつなぎあわせても「ねじれ」を感じる。
それはそれで新しい体験といえないでしょうか。


【ストリート】


作品:フェイクエステート
金属網のフェンスに囲まれた細長いスペース。
これはマッタクラークが買った土地の形です。
ニューヨークでは税金が払えなかったりした人の土地を市が差し押さえ、
競売で一般のひとが買うということがよくありました。
25ドルくらいから参加できたようでマッタクラークも15か所くらい買ったようですね。
なぜそんなに安いのか?形がヘンだったり、二つの家の間で両側のひとに
断らないとアクセスできなかったり・・そんな土地を面白いと思ったのです。
経済ニュースの欄におかしな人としてふつうにインタビューされていたりして。
アート、という枠でくくれないのです。
この作品には土地の写真や権利書がセットになっていて、作品を買えば
もちろん土地もその人のものになります。


【フード】


ああ時間がなくなってしまいました。「市場」と「フード」については
作品をどうぞご覧ください。
少しだけお話ししておきますと、マッタクラークはソーホー地区に
レストランをひらきました。
ソーホーはもともと軽工業の工場が沢山あったところで、それが移転して
しまったあと、残された高い天井の建物をアーティストがスタジオ
として使ったのです。いまは家賃が上がってブランドストリートになってしまいましたが。
なぜレストランをつくったのでしょうか。
今や食とアートを結びつけるのはトレンドですが、当時は。
マッタクラークとしてはアーティストに食の場をというコミュニティ・職場づくり
であるとともに、それ自体をアートとして売ろうとしていたようです。
私たちなら味はどうだったのかが気になりますね。
ところがそれは全くアートと関係ないグルメ雑誌にマッタクラークの
名前も出ずに評価や記事が載っていたりする。
まったく彼の活動はアートという概念の枠をとびだしているのです。


【鑑賞にあたって】


作品をみるときには
・純粋に作品そのものだけを見る
・周囲を知ったうえで見る
という2つの方法があると思います。
そしてマッタクラークの場合、ビジュアルのコンテクストを入れながら
見るほうがいいと思います。
具体的には動画サイトを検索すると役に立ちます。
会場内でもフリーワイファイが使えますのでどうぞ。


それと、彼の作品をみるときに「完成度」をみないでほしい。
実際、私ももう少し丁寧に仕上げたら、もっと・・・と思うこともあります。
でも
まず「コンセプト」「着眼点」なのです。
作品のまわりを広めに考える。
アイデアにおいて現代とのつながりを感じてほしいと思います。


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