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2017年10月31日00:23

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マイルス・デイヴィスの自伝「MILES」を読んでいる (上)



Miles Davis with Quincy Troupe



MILES The Autobiography  



first published in 1989, paperback eddition published by PICADOR in 1990, 20 chapters in 402 pages

with 111 phtos

ISBN978-1-4472-1837-1



参考)

中山康樹 著  「マイルスを聴け! 2001」双葉文庫 2000年 10月

ISMN 4-575-71174-8 C0176



インターネット 音楽サイト spotify からマイルス関係各種アルバム音源





マイルス・デイヴィスの自伝を読んでいる。 もう何年も前に町の古書店で買っておいたものを読み始めたのだがそれが甚だ面白くてどんどん進む。 けれどこの本に関しては他の本とは違った読み方をしている。 それはマイルスが生涯録音した音源を編年体で解説した中山著「マイルスを聴け2001!」を手元に置き本書に記されているそのときの音源をネットのサイトから聴きながら立体的に読み進めていることだ。 そこで困るのは本書の興味深いそのときの記述を頭に聴くのだがすぐにマイルスの演奏に曳き込まれ頁が進まないことだ。 けれどこれが正にマイルスが語るその時点に戻り自分がもう40年以上前にライナーノーツや各種文献をもとにジャズの勉強をしていたそのときのことを想い起こすのだ。 1970年代のジャズ喫茶の大スピーカーの前でもなく、自室のステレオセットの前でもなく、今2017年で聴くやり方はベッドに横になり本書と「マイルスを聴け!」を手にネットのサイトから簡単に自分の望む音源を選び聴く。 ただ音質と音量においてはかつての聴きかたには遙かに及ばない。 それに当時ジャズ喫茶や下宿で聴いたあのがむしゃらな真剣さは今では多少の残骸は認められるものの光るものはかなり褪せているように思う。

本書をまだ読み終えていないのにも関わらずここに途中経過として記そうと思ったのは、このまま読んでいれば面白さに押されてローラーコースターのように興奮の連続に魅了され、それに圧倒されてあっという間に終点に着いてしまい、何の変哲もない結局面白かった、というだけの単純な感想で終わり、途中の興奮の内容を飛ばしてしまいそうだと思ったからだ。 読んでいる、というのかそこに書かれている時代のマイルスのそれぞれの音源を聴きながらラジオのインタビュー番組を聴いているような体裁にして読んでいる、というより体験しているといったほうが適切なのかもしれない。 インタビューを聴いている、というのは本書はクィンシー・トゥループというジャズ・ジャーナリストがマイルスにインタビューしてその語りをそのままに編集し情報を加えて本にしたもので当然インタビュー形式だから小説のような錬られた文体でもなくどちらかと言えば単調な語りが延々と続き、だからそこに登場するジャズの歴史上の夥しい人物群に親しくなければ本書は何の面白みもない退屈な書物となる。 俺が誰とどうした、あのときはこうだった、クソみたいなやつだが特大のイカレタ音楽をぶちかましてどうとかこうとか、、、、といったトーンが延々と続く。 

「聴いてくれ、自分が生涯でもっとも忘れられない偉大な経験をしたというのは自分が18、イリノイ州、東セントスイスのミシシッピ川を越えたリンカーン高校を丁度卒業した時だった。 1944年、ミズリー州、セントルイスでディズ(ディジー・ガレスピー)とバード(チャーリー・パーカー)が演ったのを聴いた時だった。 初めて彼らをビリー・エクスタイン楽団で聴いた時、何だ、これは一体何だ、と思った。 こんな全く糞みたいで無茶苦茶なものは怖ろしいものだった、というのはディジー、(ヤードバード)パーカー、バディーアンダーソン、ジーン・アモンズ、ラッキー・トンプソン、アート・ブレーキ―が一緒に、言わずもがなのビリー・エクスタインと演っているんだぜ、何というマザーファッカー、この糞みたいなものが体の中に一杯になってこの音楽で満たされたわけだ。 これが自分が聴きたいとおもっていたものだった。 そしてこんな音楽が自分の求めていた音楽で自分もその中で演りたいものだった、、、、、」 とこんな具合に序章が始まり、実際マイルスの糞みたいなこれからほぼ50年に亘る生涯が綴られる、いや語られることになるはずだ。 そしてこの糞ったれとマザー・ファッカーという称賛の言葉を延々と聞くことになる。 

実際自分は今の時点でマイルスがピアノのビル・エヴァンスを自分のバンドに採用してビル・エヴァンスからラヴェルを弾くアーテユロ・ミケランジェーリを聴くのを勧められる件、216頁、全20章のうち第11章までしか進んでいないのだが、それは1959年、中山康樹によるとモダンジャズのバイブル、聖典で、20世紀のジャズが到達しえた最高峰である、とまで言い切る「Kind of Blue」が録音された時のことである。 実際、他の文献でもこのとき、録音の合間に薬漬けになっていたビル・エヴァンスから延々とラヴェルの素晴らしさを聴かされ往生した、というマイルスのことを読んで20年ほど前に聴き始めたラヴェルだったのだがその中でもミケランジェーリの演奏は最高だと思っているのでこの件には嬉しくなった。 

ここまでで本書の約半分、1944年のマイルス18歳から1959年マイルス33歳までである。 ここまでにもうジャズの歴史、マイルスの半生史が満載されていて、ここで一息入れて整理しなければもう手に負えないと思ったから記し始めた次第である。 敢えて言えばマイルスの根元はここまででほぼ全て述べられているとも言え、ここまでで既にジャズミュージシャンとして最初の頂点は極めている。 これから後はどのようにして彼は押しも押されぬジャズの帝王となりその帝王の帝王ぶりを自分のエゴを前面に押し出して話を進めていくかそれを楽しみに読み進めていくことになるだろう。

尚、マイルスについては要点はウィキペディアに下記のように簡潔に記されている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%87%E3%82%A4%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%B9



(中)に続く
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