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2017年05月04日19:53

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ソール・ライター

覗きみるような構図、見下ろす視線
雪、赤い傘。

〜ニューヨークが生んだ伝説〜
写真家 ソール・ライター展
@Bunkamura ザ・ミュージアム
フォト

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ソール・ライター(1923-2013)は1950年代にファッション写真で有名になりましたが
その後一線を退き、四半世紀後に再び脚光をあび生涯が映画化までされた写真家です。

今回は
ファッション写真から「ストリート」「カラー」そして
生涯描き続けた絵画、ヌード作品や道具・私物まで、
200点以上が展示されていました。

**********


NYから来たお2人のトークを聴きました。

語り手
マーギット・アーブ(ソールライター財団創設者、ディレクター)
ポリーヌ・ヴェルマール(NY国際写真センター、アソシエートキュレーター)

◆マーギットのお話。


ソール・ライターを語る方法は色々ですが
アーカイブの映像からアーティストとしての彼を見たいと思います。

これがソール・ライター23歳の自画像です。
神学校を退学してNYで絵を描こうとしている。
それはユダヤ教のラビになるという父の期待を裏切ることでした。

NYに出た当時、母はたまに送金したようですし、ブルックリンの伯母も彼のことは気にかけていましたが、
それでもセントラルパークで野宿したこともありました。
肉屋やメッセンジャーのアルバイトもしましたが
どんなときでも床に紙を置いて水彩を描き続けていました。

そんなときダートから生活のために写真を勧められ
ユージン・スミスからカメラを貰ったのです。

いま彼はカラー写真の偉大な写真家とみなされています。
急に有名になったのは10年前からで、やっと日本でも展覧会ができたということです。



彼はファニーな人柄で、ラバブルで洞察力に満ちており、頭のいい賢い人でした。
彼と話すと誰でも、こんなに楽しい会話をしたことがない、と思わされてしまう。
ただし仕事のことには慎重でした。

彼の心のなかは隅々まで画家だったと理解するのが大切です。
独学ですが、美術史に大変造詣が深かった。美大の先生になったら素晴らしかったことでしょう。
筆が好き、カメラも好き、新しい技術も好き。
インタビューアーとしても優秀でした。

イーストビレッジのアパートに60年間住んで、静かな人知れぬ生活をしていました。
ほとんどの写真は半径数ブロック内で撮られたのです。

彼と最初に仕事をしたのは1995年です。
やがて私は彼の仕事について全責任を負う決心をしました。
自分にとって楽な作業が彼の助けになるとわかったからです。彼が再び成功するずっと前です。

彼の人生は上がったり下がったりを繰り返しました。
無視されることを望んでいたのではないかとさえ思えました。
パートナーのソームズ・パントリーと彼の二人が持っていたお金はゼロに近かった。
それでも毎日絵を描き、写真を撮っていました。


世界が一冊の本で変わるというのはよくあることかもしれません。
2006年、初めてのカラー写真集『Early Color』が出るや
彼はスポットライトの中へおどりでました。
これはカラー写真の考え方を変えた本だと言われています。
出版には8年かかりました。本人の希望は本の大きさを小さくすることだけ。

知名度が上がっても彼は無視していました。
写真を撮られるときにはカメラマンを撮りかえして、
からかうタネにしたりして。
諸々の支払が楽になったぐらいで生活は変えなかった。
絵を描く。コーヒーを飲む。本を読む。カメラをもって出かける。

私は週1回写真の整理に行きました。それでも晩年の彼は幸せだったのではないかと思います。

2013年11月26日、90歳になる1週間前に彼は亡くなりました。
友人も毎日訪ねているさなかでした。

彼の死は大きな打撃でした。彼のいないアパートの鍵を最初に開けるときは寂しかった。

遺言のなかで彼は私にアーカイブを残してくれました。
そこで2014年にライター財団を立ち上げ、資料の整理と保存に携わってきました。
カメラ、暗室の道具たち、機材、筆、フイルムやテープ、3000冊の本。

資料のなかには家族の肖像もありました。

これは彼の子供の頃の写真です。私は71歳から90歳の彼しか知りませんが、本人とすぐにわかりました。
1931年、ウィーンに行った時の写真や、ポーランドの親戚を訪ねたときの写真もあります。

16歳頃から海外に興味を持ち、学校の勉強をしながらピッツバーグ大学図書館で美術史を独学しました。

カメラに興味を持ち、母に買ってもらったのは1930年代です。
当時のモデルはもっぱら妹のデボラでした。
父親は、18歳でラビとなり7ヵ国語を話す学者でした。
大学を1学期で退学したり、クリーブランドの神学校も落ちこぼれたりのソールは父の目には問題児に映ったことでしょう。
これは大学のIDカードですが囚人のような表情をしていますね。
描いた絵がマース・カニンガムとジョン・ケージの2人に買って貰えたのが契機か
1964年にNY行きのバスに乗ったのは先程お話しした通りです。

60年代には『ハーパーズバザール』のアートディレクター、ヘンリー・ウルフらに認められ、フアッションフォトグラファーとして活躍しました。
メキシコやフランスにも撮影に行っています。

しかし1981年、セットでカメラを外し、そのまま戻りませんでした。
メーカー幹部にあれこれと言われるのが嫌になってフアッションフォトグラファーを辞めたのです。

彼は絵を描くことを止めたことはありません。
作品は展示されたり人の手にわたったことはほとんどありませんが、まもなく全集になります。
白黒写真の上に水彩絵の具で描いたものもあります。
その多くは書籍のなかから見つかりました。
しおりにしていたんでしょうか。

膨大なアーカイブはデジタル化作業の途中です。

映画について。
トーマス・リーチから2008年にコンタクトがありました。
リーチは忍耐強く、1日20分〜2・3時間ずつというソールの希望を受け入れ、その度にロンドンからやって来ました。
本人の承認がない限り公開しないという約束さえ守ってくれました。
そうしてできたのが『急がない人生で見つけた13のこと』です。
昨年日本でも公開されましたが、今回の展覧会と関連してまた上映されるお話があるようです。

いま、彼の元自宅にはアーカイブと財団のオフィスがあります。

今回、展覧会のために日本に来ましたが彼が一緒だったらと思いました。
制服の子供、交通整理の警官、スーツを着た会社員、焼き鳥を焼く人など
彼なら撮っただろうなと思いました。。。

◆ポリーヌのお話

ソール・ライター、マーギットと3人で初めて会ったのは
フランスのカルティエ・ブレッソン財団での個展でした。
そしてソール・ライターは私の人生を変えるような素晴らしい人でした。

今回の展覧会では彼を日本でどのように見せるか6か月前からセレクションをしてきました。

私は日本で育ったことがあるのです。これは40年代の彼の自画像ですが、日本人みたいでしょ(笑)?

彼はボナールやヴェイヤールに強い関心がありました。
ソールライターのカラーやヌードの作品にはボナールの影響がみられます。
常に画家の目を失っていません。

そもそも写真と印象派の関係は深い。1874年、写真家のナダールは自分のアトリエで第一回印象派展を開いています。
現実を写す新たな手段としての写真の担い手であるライターは
浮世絵や印象派・ポスト印象派から二重に影響を受けています。
ボナールについていえば、あだ名は"とても日本的なナビ派"ですし
法律専門家から進路変更して芸術家になったこともソールに似ています。

今回の展覧会は日本美術との関係でみても面白いのではないでしょうか。
図録の表紙に選んでくださった雪道の写真も、広重の影響が顕著です。
実際に彼の蔵書にも広重の画集があります。
彼は浮世絵に近い革命的なテクニックによる構成を作り出しました。
赤いカーテンのすき間から見下ろすような作品もしかり、
広い画面を空間にする作品もしかり。
垂直性が多用されタテに分割された画面が多い。
好きなモチーフが赤い傘や雪だというのも浮世絵風ではないでしょうか。

図録のエッセイで、彼のことを"ニューヨークのナビ派"といわせてもらいました。
本展覧会のキュレーションをしながら点が線に繋がってきたように思います。

◆質問コーナー

問。
ソール・ライターらしさとは

答。
作品についてですね?
私たちもソールらしく撮ってみようと思うことがあります。例えば
・色のブロックをつくる
・スパイのように覗き見する
・カラーを使いつつ白黒っぽく見せる
とか。

問。
プリントは自分でしていたのでしょうか

答。
白黒写真については自宅を含めいくつかのスタジオを持っていました。
小さいものはそこで。主に経済的な理由から小さかったのだと思います。
新しい『インマイルーム』という写真集では身近な作品を選びましたが一つの被写体を300枚も撮っていたりして驚きました。
カラーについては印刷所に出していました。初めて自分でプリントしたのは1995年です。
初期はスライドとプロジェクターで見せていました。

問。
同時期のNY美術、例えばロスコやウォーホルなどとの関連は

答。
勿論同時代からの影響もみられます。
マーク・ロスコ風といえば『Early Color』の表紙作品等が典型ですね。
ウォーホル?(笑)彼が撮ったウォーホルの肖像があります。(以降撮影に行ったときのエピソード)

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トークのあとでは図録のサイン会がありました。

寡聞にしてみそこねた映画、どこかでまた上映されないかな…


6月25日まで。
http://www.bunkamura.co.jp/s/museum/exhibition/17_saulleiter.html
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