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2016年08月10日22:53

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和の話・その3

「和」とは調和、ハーモニーだけではない。中国語では「和」は生産も意味している。

「和は実に物を生じ、同は則ち継がず」(『国語』)
 
 『国語』のこの格言は飽く迄和と同の違いについて綴ったものだが、この格言でも明らかに生産も意味している。今後我々はどうやって生きて行けばいいのか、それについて綴ってみたくなった。今回もエネルギー問題である。

■食を増やすのではなく、捨てる量を減らせないか■

 エネルギーには食糧も該当している。今や中国、インド、ブラジル、インドネシアなど、長期的はこの地域でも少子高齢化は避けられないものの、人口が増え続けている。いや
寧ろ少子高齢化になればなるほど、食糧の問題は重要なのだ。なぜならば、耕す者が減るからだ。

 今まで日本の政府もそうだったが、食糧をいかにして廉価に増産するか着目してきた。だが、耕地にも限界がある。そろそろ視点を変えるときに来ているのではないか。この点考えると、日本は昔から結構やってきたと思う。島国でそれほど貿易もない時代、いかにして浪費せず、ちびりちびりと食べて行くか、先人たちは腐心したのだ。

 『枕草子』にも上流貴族が奈良の山にある氷室から氷を持ってきて涼を取ったという記述がみられる。江戸時代になると、豪農、大名は蔵を持つようになる。今でも東北、信州あたりに行くと蔵はたくさん残っているが、大震災で東北の蔵は消えつつある。だが、食糧のことを考えると、蔵という発想は今後も活かしておくべきである。人間はそんなに利口ではない。あのアインシュタインもこんな奇怪な事を言っている。

 「第三次世界大戦はどんな兵器で戦うかわかりません。しかし第四次世界大戦は確実に
こん棒や石弓で戦うことになるでしょう。」

 彼ですら、人間はまた性懲りもなく、大きな戦争をやらかすだろうと警告している。そのサイクルをみてみればいつ警戒しなければならないか分かる。どんな民族も大抵100年も経たないうちに1度くらいは戦争をしてきた。第二次大戦後、戦争をしていない国は日本を含めて数えるほどしかないではないか。

ということは、そろそろという事だ。だからこそ、蔵というハードは無くなっても、発想は活かしておくべきなのである。

 私の祖父母の住まいは北関東の田舎町で河原に近い。昔は今と違って川幅も広く、水深も深く、そこではしばしば幼児が上流から流されてきた。何のことはない。体の良い「間引き」である。中には親が不憫に思ったのだろう、殺さずに箱に入れて流されただけで、ごくごく稀に生きている子もいて、釣りをしていた時に見つけ出し、助けて養子にしたこともあったらしい。それもわずか100年ほど前の話だ。未だにその河原の片隅には小さいずんぐりとした無縁仏の石たちが並んでいる。飾られた風車が悲しげに今の時期は回っている。仏さんの多くが子どもたちなのは明らかだ。

 また東北の被災地の体育館で一時避難した親類が言っていた。

 「あんなところ、何日も居るものではない。そのうち、人間らしく生きる気力が失われていく。だから私たちは出来るだけ早く出ることにしたのだ。」

 と。彼らは続々と入って来る人がいる中、3日も経たずにさっさと出たという。東京の場合、人口密集地なので、東北のように多くの人を避難所で人を留めておくことなど無理だと思っていい。一層この人のような気概が求められる。しかし意あって、力足らずではただの匹夫の勇で斃れかねない。

 大名の子孫やお金持ちでもないのに、蔵を持つなんて無理だよ、そんな声が聞こえてくるかもしれないが、そうでもない。
 
 さしずめ現代によみがえる蔵といえば自分は冷凍庫を連想する。但し家電製品としての冷凍庫ではせいぜい−20度がいいところ。これでは食材が確実に劣化していくのは避けられない。なぜならばこの程度の温度だと食材のたんぱく質、脂肪分の活動は生きているからである。

 これらの動きを完全に休止させるくらいの低温で貯蔵できれば家庭でも蔵を持つことは不可能ではない。そんなモノがあるのだろうか?

 ところが有るのだ。休止させるくらいの温度の目安は最低でも−40度。ロシアのツンデラの永久凍土の温度がこれくらい。マンモスが全く腐敗することなく、ロシアのシベリアの凍土で発見されたことがあるが、それはこの温度だったからである。食べられるほど肉は新鮮だったと聞いている。これ以下に下がると「超低温」と呼ばれる世界。−60度以下になると「極低温」と言われる世界になる。

 実は我々が口にするマグロの大半は既に数年前に捕獲されたものばかりなのだ。廉価な回転寿司のネタの多くはそうだ。なぜそんなことが可能なのかといえば、偏に−60度くらいの超低温冷凍船で遠洋漁業が可能になったからである。これくらいの冷凍庫があれば、
家庭で蔵をもつ事は十分出来るのである。

 それくらいの冷却装置となると、とても100Vでは無理ではないか、と思ったが、東京・文京区にあるダイレイの製品では100Vでも−60℃を実現している。気になる価格だが、一番安いもので、71Lの家庭用ストッカー(要は投げ込み式)で定価10万円台、消費電力も200W程度となっている。独り暮らしならばこれでも良い。だが、所帯持ちには現実的ではない。ただし、200Lクラスになると電力は560Wと頑張って省エネになってきているが、50万円とかなり値段が跳ね上がる。重さも76キロと重たい。

 自分も実物を見てきたが、矢張り最も小さい71Lクラスでもコンプレッサーはそれなりに五月蠅い。これは業務用を100Vに改造したものだから致し方ないかもしれない。しかし普及が進めば、確実に安くなっていくはずである。

 家電メーカーがやればいいではないかと思われたかもしれない。しかし聞いてみると、
消費者の大半は超低温冷凍庫なんて知らないから売れないだろうという。とはいえ技術的にはそれほど無理ではないらしい。それと解凍技術も問題だ。幾ら鮮度良く冷凍保存出来ても、自然解凍ではどうしても解凍後は食材が不味くなってしまうのは避けられない。現状では家庭でやろうとしたら、限りなく0度に近い水温で氷を張って流水解凍でもしていくしかないだろう。超低温冷凍庫だけでなく、効果的な(解凍しても食材がおいしい)解凍器の開発も待たれるところである。

 日本は世界の総人口の2%にも満たないのに、世界の食料の1割も消費している。その一方、平均摂取エネルギーでは先進国で最低。信じられないだろうが、これ以下の主要国は最早北朝鮮しかないというオチがつく。ということは、いかに捨てている量が多いかということである。電気代を削るよりも、捨てている食糧をせめて10%も減らすことが出来ればそちらの方が確実に省エネの早道になる。その一案として、超冷凍技術はなかなか有効なのではないかと思う。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 「和の話」・了

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