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2016年08月08日14:22

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「和」の話・その1

「和」とは調和、ハーモニーだけではない。中国語では「和」は生産も意味している。

 「和は実に物を生じ、同は則ち継がず」(『国語』)

 『国語』のこの格言は飽く迄和と同の違いについて綴ったものだが、この格言でも明らかに生産も意味している。今後我々はどうやって生きて行けばいいのか。和=生産について綴ってみたくなった。

 日本中あちこちで地鳴りが続いている。

 東日本大震災の余震とて完璧におさまった訳ではなく、他の地域に影響を及ぼしているし、4月に起きた熊本大地震の余震も続いている。

 しかしこれぐらいの規模の地震は江戸時代に何回かあったのである。ならばその時代に学ぶことは出来ないのだろうか。

 すると意外なことが分かったのである。

 江戸時代、我々の先祖は多くが農民だったが、農民は士農工商というランクで二番目だったものの、最も辛いポジションだった。豊作であれば、安く農産物を買いたたかれ、凶作ならば、自分の生活すら犠牲になった。しかしそれでも備えをしなかった訳ではない。何しろ気候は今よりも少し寒かったこと、農産物自体も耐寒性は今よりも劣っていた。飢饉は大なり小なり、ほぼ20年おきにやってきたことが分かっている。そこで備蓄をしていたのである。米はそんなに保たないが、ヒエ、粟だったら、100年ぐらいもたせることは出来る。それゆえ昔の国名の陸奥(今の福島、宮城、岩手、青森県)、出羽(山形、秋田)、信濃(今の長野県)などといった穀倉地帯では崩れかかった蔵があちこちに点在する。

 我々は先祖の備蓄の知恵をもう一度思い出すべきなのではないか。
 
 蔵なんか、買えないという人もいるかもしれない。しかし今後都会では高齢者の限界集落などが出るし、マイホームで老夫婦が暮らしているようなところでは、部屋は確実に余るはずだ。既に自分が以前いた山梨県の北部のJR小海線沿いでは、清里以北はこぎれいな廃屋が目立っている。地方自治体の「地域企画課」あたりに電話すれば、住むことを条件に格安で買えるかもしれないから、訊いてみる価値はあるだろう。自分も両親が健在で、職がこの地域であれば、真剣に考えたと思う。DIYが好きな人であれば、田舎のボロ家を補修して生活するのも結構楽しいはずだ。

 まさに「DASH村」さながらのことが日本の辺鄙なところに行けば誰でも体験できる。

 本来行政がそのような廃屋などを買い取り、備蓄庫に改造して、盗まれないようにしておくべきだが、行政がそんなに当てにならないことは今回の地震でハッキリした。いざという時はあまり助けてくれないものだ。どうせこれからも大地震はやってくる。何も不味いヒエ、アワを貯めておくことはない。四畳半ひと間で十分備蓄は出来る。缶詰だったら、1年や2年ぐらいでは腐ることはない。

 あの地震で、福島第一原発事故が起きたが、最後の爆発があった3月15日には東京の全てのスーパーから米が姿を消した。再入荷したのは一週間後だった。日本人はこれまで食糧を備蓄しない国民だと思ってきたが、江戸時代は違ったようである。パニックになっていない今のうちに或る程度備蓄はしておくべきである。米などは食べる人でも、せいぜい年に200kg程度だろう(自分もこの程度)。10kgの米でたかが20袋に過ぎない。そんなに場所は取らないはずだ。

 電気代が気にならない、スペースに余裕もあるならば、商業用の冷蔵庫、冷凍庫を持つことも良いと思う。

 電気が切れたらどうするのか?

 少なくとも東電の管内では、全ての天然ガスの火力発電所が動けば電気は停まらないことが分かった。あのイラク戦争の協力の見返りに日本はアメリカの命令でオマーン、バーレーンあたりから5千億円ほどの天然ガスを買わされた。東電管内は全ての原発は半年間、停止していても平気だったからである。

 日本の立場は相変わらず良い面の皮のようである。

 トヨタ、パナソニックといった製造業は今後高効率なガスタービンによる自家発電にどんどん切り替えていくだろう。余裕のある企業ほど電力会社依存を断ち切ろうとしている。

 経済の動きには一定の周期があるが、最も長期的視野で見るコンドラチェフの波では、人類はどうやら再び戦争の時代に突入しつつある。そんな時代になってしまう前に、個人備蓄というのも一案ではないかと思う。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

 (続く)

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