僕が書の作品を書くとき、自分の力以上に書ける時があります。
それって、何でしょうかね?
作品が生きているというのか、魂が入ったというのか、神が書かせてくれたのかそんな気がします。
音楽家からもよく聞きますね。
神が降りて来たと。
一心不乱に集中すると力を貰えるものだと思います。
先日テレビに松本幸四郎さんが出ていました。
『ドン・キホーテラマンチャの男』のお芝居について話していました。
その中で、大仏様の前でお芝居をした時、後ろから大仏様の声が聴こえて来たと言ってました。
大仏様の力を借りて演技に力が入ったようです。
また、
『悲しみを希望に。
苦しみを勇気に』
変えるよう演技を通じて観衆に訴えているそうです。
観ている人達が涙を流していたのを観ると、その気持ちが伝わっていると思いました。
僕も是非観に行きたいと思いました。
NHKのトーク番組で
スピルバーグ監督に
『あなたが、死んだあと、天国で神になんと言って迎えてもらいたいですか?』の質問に
『よく耳を傾けてくれたね』と神様に迎えてもらいたいそうです。
その気持ち分かります。
この小さな日記すら、書かされている、
神様の声が聴こえて来る気がしていますので。
「僕もよく耳を傾けてくれたね」と言われたいですね。
よく最後に合掌と書いているのは
神様から沢山のお言葉を頂いた感謝の気持ちを表しているのです。
ある鍼灸師の話です。
針を刺して痛みをとるのだけど、治りの早い人と、治りにくい人に別れるそうです。
治りの早い人は、スッキリして帰るそうです。
治りの悪い人は、違う箇所が痛いといい始めます。
痛みがとれてありがとう。と感じるか、
違う痛みを訴えるか。
禅の言葉にも自分から苦しみを探しに行くなと教えています。
痛みが一つとれたら
ありがとうの感謝の気持ちが大切ですね。
それが、すべての痛みをとる力になるからです。
僕も未熟者ですから、人様から注意されたら、謝って感謝しています。
これからも、自分を含め皆様と一緒に苦しみに負けないで生きて行きましょう。
神様から
よく耳を傾けてくれたねと
迎えてもらいたいから。
合掌
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