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2015年08月23日23:24

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史談・金満主義vs道義

 【今も昔も同じではないか】

 菅原道真は学問の神様として有名であるだけでなく、大宰府に流罪となり、そこで病を得て、憤死。その後、彼を左遷した人々に怨霊となり、壮絶な復讐を行なったことは有名だ。だが、それだけでは「天神」という称号を得られなかっただろう。何しろ或る意味日本の最高神に匹敵する称号ではないか。

 実は、この称号と遣唐使廃止は関わりがある。
 
 遣唐使廃止。これは日本の交易にとって鎖国を意味していた。しかも当時日本から中国に日本の品物を持って行けば、20〜30倍の高値で売れた。とても旨みのある話だったのである。それほど中国との貿易は儲かった。これを国ぐるみでやれば間違いなく儲かったのに、なぜ止めろと進言したのだろうか?
 
 この当時、交易で利益を上げる以上に交易を続けることでもたらす害が問題になりつつあった。彼が遣唐使を止めるべきだと進言した理由に

 「民の生活の安穏のため」

 とどの史書にも書かれているが、具体的内容については沈黙している。

 ここで問題になってくるのは、当時の日本の政治体制である。平安時代は源平の戦いになるまで、死刑すら事実上無かった時代だ。日本には絶対的な権力者なる者は存在しない。歴史の教科書を読むと、さも道真が止めさせたかのように読みとれるが、他の多くの大臣が同意しなかったら、このようなことは当然出来ないはずだ。

 交易によってもたらされるのは、何も物ばかりではない。人も当然入ってくる。唐の人達だけでなく、朝鮮人まで入国してくる。まして大儲け出来るとあれば、当たり前だ。

 新羅、唐にも当然絶対的支配者がいて、民は奴隷という社会に育った人々である。こういう社会に育った人間は上に立ったら、下に対してどんな傍若無人な行ないをしても良い。それを当然のごとく考える。

 こういう人達が日本に来た場合、どうなるだろうか?

 日本には郷に入ったら、郷に従え、という言葉がある。勿論そういう言葉に従う人はいただろうが、中には日本に来て徒党を組んで、犯罪集団となった。村人を襲い、残酷な殺害事件、強奪事件を繰り返していたことがこの当時の記録したさまざまな文書から読みとれるのである。

 そこで道真はいくら豊かになっても、治安が悪くなるくらいならば、少しぐらい貧しくなっても、国を閉ざして、みんなで協力して暮らした方がマシだと考えた。

 しかし世の中には何時の時代も強欲な人間がいるもので、多大な利権をもたらす遣唐使廃止を進言した道真を良く思わない人達は少なくなかったはずである。表向きは藤原時平一派によって政界を追われたことになっているが、果たして彼らだけなのだろうか?

 時平だけではあるまい。多くの「遣唐使族」の術策によって彼は左遷、不遇のうちに大宰府で生涯を終える。

 しかし、彼の「天満天神」と云う称号、この言の葉に、当時の心ある庶民たちがどう見ていたか、読みとれる。民衆の生活を守る為に交易を止めた、その意図をくみ取って、「天満天神」とあがめたのである。

 現在を見れば、この国の政府は中国の爆買いに喜び、移民年間20万人計画などを策定している。冗談じゃない。消費税増税を始め、日本人が銭を使えないような政策を推進しつつ、中国人などには免税しているというからあきれるしかない。その一方、中国バブル崩壊で、何の経済政策も打てない習近平。日本政府が中国人富豪の爆買いに歓喜する一方、バブル崩壊で庶民の矛先を少しでも反日に向けさせようと中国政府が策動していることを忘れてはならない。西暦894年の庶民は中国人、韓国人の犯罪、マナーの悪さに道真の遣唐使廃止に激しく同意した。2015年の庶民はこの心意気を持つべきだろうし、爆買いに歓喜する日本政府やマスコミたちは今一度この時代の歴史の省察に学ぶべきではないか。

 最後までお読み頂き、ありがとうございました。

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